北川 倫太郎
楽天時代(2014年4月30日) |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
大阪府堺市西区 |
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生年月日 |
(1993-06-21) 1993年6月21日(31歳) |
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身長 体重 |
185 cm 82 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
外野手 |
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プロ入り |
2011年 ドラフト5位 |
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初出場 |
2015年8月14日 |
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最終出場 |
2015年10月6日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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北川 倫太郎(きたがわ りんたろう、1993年6月21日 - )は、大阪府堺市西区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
経歴
プロ入り前
堺市立鳳中学校時代は浜寺ボーイズでプレーした。
明徳義塾高校では1年の秋から4番打者を務め[1]、2年夏、3年春、3年夏と連続して甲子園に出場。2年の第92回全国高等学校野球選手権大会では、2回戦で同大会の優勝校である興南高校に2-8で敗退。自身は、島袋洋奨から2安打を記録した。主将となり挑んだ3年の第83回選抜高等学校野球大会は、1回戦で日大三高校に5-6で敗退。自身は、適時打を1本放つも得点圏で2三振を喫してしまう。責任を痛感し、大会終了後に主将を辞めることも考えたがチームメイトの励ましがあり思い留まる[2]。3年の第93回全国高等学校野球選手権大会では2回戦で習志野高校に3-9で敗退したものの、自身は1回戦の北海高校戦と2回戦で2試合連続本塁打を記録した[3]。甲子園通算成績は5試合で打率.438、2本塁打。
3年夏には 第9回AAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出され、クリーンナップとして打率.438、9打点と結果を残した[3][4]。
2011年のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目で指名。契約金3,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した[5]。入団当初の背番号は63。
楽天時代
2012年には、イースタン・リーグ公式戦44試合に出場。4打点を記録したが、本塁打を放てず、打率も.213にとどまった。
2013年には、イースタン・リーグ公式戦48試合に出場。3本塁打、17打点、打率.232を記録した。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦86試合の出場で、1本塁打、19打点、打率.205をマーク。7月16日に長崎ビッグNスタジアムで開かれたフレッシュオールスターゲームには、同リーグ選抜の「7番・左翼手」として、スタメンで初出場を果たした[6]。
2015年には、イースタン・リーグ公式戦で打率3割を越える好成績を残したことから、8月11日に入団後初の出場選手登録。8月14日の対北海道日本ハムファイターズ戦(楽天Koboスタジアム宮城)9回裏に、代打で一軍へのデビューを果たした。2日後(8月16日)の同カードに「8番・指名打者」として初めてスタメンに起用されると、5回裏の打席で中村勝から一軍初安打をマーク。以降の試合でも、スタメンに起用されることが相次いだ。結局、シーズン終了まで一軍に帯同。一軍公式戦では本塁打を放てなかったものの、31試合の出場で、4打点、3盗塁、打率.215という成績を残した。
2016年には、一軍公式戦への出場機会がなかった。イースタン・リーグ公式戦では、シーズンの最終規定打席へ初めて到達するとともに、6本塁打、46打点、打率.248を記録。しかし、シーズン終了後の10月24日に、球団から支配下選手契約の解除を通告された[7]。11月30日に、育成選手として契約を結ぶことで球団と合意。背番号を063に変更することも発表された[8]。
2017年10月31日、自由契約公示された[9]。
楽天退団後
2018年シーズンからは社会人野球・カナフレックス硬式野球部に所属する。同年、滋賀県社会人野球のベストナイン指名打者部門に選出された[10]。2021年をもって退部。
選手としての特徴・人物
高校通算28本塁打を誇る[1][2]、豪快なスイングと勝負強さをあわせ持つスラッガータイプの打者である[3][4]。
50メートル6.2秒、遠投100メートル[11]。
尊敬する野球選手は金本知憲[12]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
外野
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2015
|
楽天
|
25 |
34 |
0 |
1 |
0 |
.971
|
通算
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25 |
34 |
0 |
1 |
0 |
.971
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記録
背番号
- 63 (2012年 - 2016年)
- 063 (2017年)
登場曲
脚注
関連項目
外部リンク