加美郡(かみぐん)は、宮城県(陸奥国・陸前国)の郡。
人口26,410人、面積569.95km²、人口密度46.3人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記2町のまま変更されていない。
歴史
奈良時代の『続日本紀』には賀美郡と記される。その後色麻郡を併せ、江戸時代に賀美郡から加美郡に改名した。
近世以降の沿革
幕末時点では陸奥国に所属し、全域が仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点に存在した村は以下の通り。(1郷37村)
- 中新田村、下新田村、四竈村、小野田本郷、上狼塚村、下狼塚村、上多田川村、下多田川村、黒沢村、米泉村、羽場村、城生村、雑式目村、孫沢村、木舟村、平柳村、沼ヶ袋村、菜切谷村、小泉村、鳥島村、君ヶ袋村、鳥屋ヶ崎村、王城寺村、北川内村、四日市場村、小栗山村、吉田村、柳沢村、大村、谷地森村、一関村、高根村、宮崎村、高城村、平沢村、清水村、志津村、月崎村
宮城県第5大区(全12小区。加美郡のみ)
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小区 |
所属村
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小1区 |
四竈村、一関村、大村
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小2区 |
王城寺村、黒沢村、志津村
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小3区 |
月崎村、清水村、小栗山村、高城村、高根村、平沢村、吉田村
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小4区 |
中新田村
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小5区 |
四日市場村、下新田村
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小6区 |
上狼塚村、下狼塚村、雑式目村、平柳村、城生村、菜切谷村
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小7区 |
小泉村、木舟村、米泉村、君ヶ袋村、沼ヶ袋村、羽場村、小野田本郷の一部〔下野目〕
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小8区 |
小野田本郷の一部〔本郷・味ヶ袋・芋沢・鹿原・原町〕
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小9区 |
小野田本郷の一部〔上野目・漆沢・門沢・軽井沢・小瀬・長清水・原・水芋〕
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小10区 |
宮崎村
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小11区 |
谷地森村、孫沢村、鳥屋崎村、鳥嶋村、柳沢村、北川内村
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小12区 |
上多田川村、下多田川村
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- 明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、黒川郡と共に宮城県第3大区となる。
宮城県第3大区(全14小区。黒川郡・加美郡8~14)
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小区 |
所属村
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小8区 |
四竈村、一関村、王城寺村、志津村、大村
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小9区 |
月崎村、清水村、黒沢村、小栗山村、高城村、高根村、平沢村、吉田村、小野田本郷の一部〔下野目〕
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小10区 |
中新田村、城生村、菜切谷村、羽場村、上狼塚村
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小11区 |
雑式目村、平柳村、四日市場村、下新田村、下狼塚村
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小12区 |
小泉村、木舟村、米泉村、鳥屋崎村、鳥嶋村、孫沢村、君ヶ袋村、沼ヶ袋村、上多田川村、下多田川村
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小13区 |
小野田本郷の一部〔下野目を除く部分〕
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小14区 |
宮崎村、柳沢村、北川内村、谷地森村
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宮城県第3大区(全13小区。志田郡・遠田郡・玉造郡・加美郡12~13)
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小区 |
所属村
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小12区 |
小野田本郷・小泉村・木舟村・米泉村・鳥屋崎村・鳥嶋村・孫沢村・谷地森村・君ヶ袋村・沼ヶ袋村・月崎村・宮崎村・柳沢村・北川内村・清水村・小栗山村・平沢村
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小13区 |
中新田村・上狼塚村・下狼塚村・上多田川村・下多田川村・城生村・菜切谷村・羽場村・雑式目村・平柳村・四日市場村・下新田村・四竈村・一関村・王城寺村・黒沢村・志津村・大村・高城村・高根村・吉田村
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町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[2]。特記以外は全域が現・加美町。(1町6村)
- 中新田町(中新田村が単独町制)
- 色麻村 ← 四竈村、大村、一関村、王城寺村、黒沢村、高城村、吉田村、志津村、清水村、高根村、平沢村、小栗山村(現・色麻町)
- 鳴瀬村 ← 四日市場村、下新田村、平柳村、雑式目村、下狼塚村
- 広原村 ← 上狼塚村、菜切谷村、上多田川村、下多田川村、城生村、羽場村
- 賀美石村 ← 谷地森村、米泉村、孫沢村、鳥屋ヶ崎村、鳥島村、木舟村、小泉村、君ヶ袋村、沼ヶ袋村
- 小野田村 ← 東小野田村、西小野田村、月崎村
- 宮崎村 ← 宮崎村、柳沢村、北川内村
- 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制が施行。郡役所が中新田町に設置。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和18年(1943年)2月11日 - 小野田村が町制施行して小野田町となる。(2町5村)
- 昭和29年(1954年)
- 7月1日 - 宮崎村・賀美石村が合併して宮崎町が発足。(3町3村)
- 8月1日 - 中新田町・鳴瀬村・広原村が合併し、改めて中新田町が発足。(3町1村)
- 昭和53年(1978年)4月1日 - 色麻村が町制施行して色麻町となる。(4町)
- 平成15年(2003年)4月1日 - 小野田町・中新田町・宮崎町が合併して加美町が発足。(2町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前
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明治22年4月1日 町村制施行
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明治22年 - 昭和64年
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平成元年 - 現在
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現在
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中新田村
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中新田町
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昭和29年8月1日 中新田町
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平成15年4月1日 加美町
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加美町
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四日市場村
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鳴瀬村
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雑式目村
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平柳村
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下新田村
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下狼塚村
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菜切谷村
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広原村
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城生村
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羽場村
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上多田川村
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下多田川村
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上狼塚村
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小野田本郷
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明治13年 東小野田村
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小野田村
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昭和18年2月11日 町制 小野田町
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明治13年 西小野田村
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月崎村
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宮崎村
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宮崎村
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昭和29年7月1日 宮崎町
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柳沢村
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北川内村
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谷地森村
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賀美石村
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米泉村
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君ヶ袋村
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沼ヶ袋村
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孫沢村
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鳥屋崎村
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鳥嶋村
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小泉村
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木舟村
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四竈村
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色麻村
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昭和53年4月1日 町制 色麻町
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色麻町
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色麻町
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一関村
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王城寺村
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清水村
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黒沢村
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小栗山村
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志津村
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大村
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高城村
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高根村
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平沢村
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吉田村
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行政
明治23年(1890年)5月17日に郡制が公布された際に、宮城県庁内には黒川郡と加美郡を合併して新たに「美川郡」を設置しようとする動きがあった。これを知った色麻村長・佐藤簡らは同年11月12日、内務大臣西郷従道に宛てて「郡治独立請願書」を提出し、翌明治24年(1891年)1月23日には佐藤が上京して貴族院議長伊藤博文・衆議院議長中島信行の両名にも同趣旨の請願を行った。その結果、加美郡は明治27年(1894年)4月1日の宮城県における郡制実施の際に、単独の郡として存続できることになった[3]。
- 黒川・加美郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
高木惟矩 |
1879年(明治12年)3月 |
1880年(明治13年)11月6日 |
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2 |
但木良次 |
1880年(明治13年)11月6日 |
1899年(明治22年)11月26日 |
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3 |
竹内寿貞 |
1889年(明治22年)11月26日 |
1891年(明治24年)7月3日 |
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4 |
大童信太夫 |
1891年(明治24年)7月3日 |
1892年(明治25年)11月4日 |
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5 |
大立目謙吾 |
1892年(明治25年)11月4日 |
1894年(明治27年)3月31日 |
廃官 加美郡長へ転任
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- 加美郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
大立目謙吾 |
明治27年(1894年)4月1日 |
明治33年(1900年)7月11日 |
黒川・加美郡長より転任
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2 |
荒篤二郎 |
明治33年(1900年)7月11日 |
明治33年(1900年)8月3日 |
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3 |
白極誠一 |
明治33年(1900年)8月3日 |
明治34年(1901年)4月20日 |
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4 |
伊地知靖臣 |
明治34年(1901年)4月20日 |
明治37年(1904年)12月23日 |
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5 |
近藤晋二郎 |
明治37年(1904年)12月23日 |
明治39年(1906年)2月28日 |
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6 |
大立目謙吾 |
明治39年(1906年)2月28日 |
明治43年(1910年)4月22日 |
再任
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7 |
村上伊佐治 |
明治43年(1910年)4月22日 |
大正5年(1916年)5月19日 |
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8 |
渡邊寅治 |
大正5年(1916年)5月19日 |
大正5年(1916年)7月12日 |
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9 |
井上政信 |
大正5年(1916年)7月12日 |
大正6年(1917年)10月20日 |
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10 |
福島繁三 |
大正6年(1917年)10月22日 |
大正8年(1919年)5月12日 |
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11 |
高橋義四郎 |
大正8年(1919年)6月9日 |
大正12年(1923年)1月30日 |
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12 |
糟谷哲郎 |
大正12年(1923年)1月30日 |
大正13年(1924年)10月3日 |
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13 |
小山田義祐 |
大正13年(1924年)10月3日 |
大正13年(1924年)12月9日 |
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14 |
本田鶴吉 |
大正13年(1924年)12月9日 |
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脚注
- ^ 同日付、宮城県令甲第21号
- ^ 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年〈1889年〉2月9日付、宮城県令第8号)
- ^ 『加美郡誌』98~103頁
参考文献
関連項目