■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
人見 武雄(ひとみ たけお、1935年1月5日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
大津東高(現膳所高校)では、1952年夏の甲子園県予選決勝で瀬田高に敗退、京津大会には進めなかった。日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。1年生の春季リーグからレギュラーとなり三塁手、遊撃手として活躍。1954年秋季リーグでは穴吹義雄に次ぐ打率.345を記録。1955年春季リーグで優勝に貢献、最高殊勲選手賞を獲得した。直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で明大の秋山登に完封され準優勝。翌1956年の同大会でも、同じく決勝で関大の村山実に抑えられ準優勝に終わった。リーグ通算98試合出場、364打数101安打、打率.277、3本塁打。大学同期に島津四郎、江崎照雄両投手、二塁手の畠中良雄(阪急)がいる。
畠中とともに1957年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から三塁手として増田浩と併用され、65試合に先発出場。2年目の1958年には三塁手の定位置を得る。1960年には初めて規定打席(打率.270、14位)に達した。1961年には石井晶が三塁手に起用されたため、内野全般をこなすユーティリティプレーヤーとして活躍するが、翌年から出場機会が減少。1964年に引退した。引退後は六甲山ホテルの営業となる。[要出典]
この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。