丹呉 泰健(たんご やすたけ、1951年〈昭和26年〉3月21日 - )は、日本の大蔵官僚。元財務事務次官。日本たばこ産業会長。
略歴
- 1951年(昭和26年)3月:東京都新宿区矢来町に生まれる[1][2]。
- 1969年(昭和44年)3月:開成高等学校卒業[3]。
- 1973年(昭和48年)10月:国家公務員上級甲種試験(法律)に合格[4]。
- 1974年(昭和49年)
- 法学部であったが、法律より政治学や社会学に興味があったという[6]。
- コピーや清書、会議への陪席、それと決裁の審査などをした。当時の大蔵省は今とは異なり、新人一人で質問を取りに行かせていたという[6]。
- 1976年(昭和51年)9月:大臣官房調査企画課
- 1977年(昭和52年)7月:主計局総務課調査主任[7]
- 大蔵省・財務省で最も肉体的に辛かった時代だとし、毎晩深夜の2時や3時まで働き、調査主任として、朝一番に出勤していたという[6]。
- 1978年(昭和53年)7月:主計局総務課企画係長[8]
- 1979年(昭和54年)7月:大垣税務署長
- 1980年(昭和55年)7月:日本開発銀行人事部
- 1982年(昭和57年)6月:関税局企画課長補佐(税率・総括)[9]
- 1984年(昭和59年)6月:主計局主計官補佐(厚生第五係主査)(年金担当)[10]
- 1986年(昭和61年)6月10日:主計局総務課長補佐(企画担当)[11][12]
- 1988年(昭和63年)
- 6月:主計局主計官補佐(通商産業係主査)
- 7月:外務省研修所
- 倉川茂行の死去に伴い、通商産業係主査を引き続きやっていた[6]。
- 1989年(平成元年)5月:外務省在カナダ日本国大使館一等書記官
- 1991年(平成3年)1月:外務省在カナダ日本国大使館参事官
- 1992年(平成4年)7月14日:主計局主計企画官(調整担当)
- 1994年(平成6年)7月1日:主計局主計官(厚生・労働担当)
- 1997年(平成9年)7月15日:主計局主計官(総務課(企画担当))
- 1998年(平成10年)7月1日:大臣官房文書課長
- 2000年(平成12年)6月30日:主計局次長(末席)(司計課、給与課、共済課、内閣、司法・警察、財務、文部・科学技術、厚生・労働担当)[13]
- 2001年(平成13年)
- 2006年(平成18年)
- 官邸から戻ってきたとき、ポストに空きがなくて一時的に据え置かれたものとされている[14]。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)7月4日:主計局長
- 2009年(平成21年)7月14日:財務事務次官
- 前任の次官は同期入省の杉本和行であり、同期入省者が次官になるのは、1988年(昭和63年)6月の吉野良彦、西垣昭以来、21年ぶり。
- 2010年(平成22年)
- 2012年(平成24年)12月:内閣官房参与(財政、社会保障)[16]
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2019年(平成31年)2月:横綱審議委員会委員[21]
- 2020年(令和2年)9月:文部科学省文化審議会委員(文化功労者選考分科会分属)[22][23]
- 2022年(令和4年)
- 2024年(令和6年)
その他
政府税調の会長だった本間正明が愛人を宿舎に住まわせていたと報じられ、会長職を辞任したが、情報をリークしたのは丹呉ではないかと言われていた[26]。
同期入省者
脚注
注釈
出典
参考文献
- 読売新聞社「読売人物データベース」
- 朝日新聞社「朝日新聞人物データベース」
- 日外アソシエーツ「日外アソシエーツ現代人物情報」