小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 2004年3月16日)は、東京府出身の大蔵官僚。血液型はB型[1]。過去に、内閣総理大臣秘書官、大臣官房長、主計局長、大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁、日本政策投資銀行総裁、日本経済研究所会長等を歴任。
来歴・人物
旧制東京都立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科甲類を経て、1947年の学制改革の後、新制東京大学理科一類を受験し合格した。しかし、GHQ占領下の世相の混乱とインフレに心が揺さぶられ、意を決して行政官か法曹になるべく、翌年の春に東大文科一類を受験し直して合格した[2]。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後の1956年、大蔵省入省[3]。同期に秦郁彦、大橋宗夫(関税局長)、北村恭二(証券局長)など。
大臣官房秘書課長、近畿財務局長と主流にいたが、中曽根たっての要望で大物の内閣総理大臣秘書官として総理官邸入りした[4]。
一橋大学法科大学院長・教授の小粥太郎は実子[5]。
略歴
脚注
- ^ 『日本の官庁,その人と組織:大藏省,経済企画庁』政策時報社、1987年発行、147頁
- ^ 『大蔵省の危機』栗林良光、講談社文庫、1996年2月15日初版発行 p204
- ^ 『東大人名録 官公庁編』1962年発行
- ^ 『週刊現代 第20巻、第1〜3号』講談社、1986年発行、86頁
- ^ 梅本吉彦「研究生活を回顧して―人との絆に支えられて―」専修大学法学研究所所報42号8頁(2011年)
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1962年発行、342頁
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1963年発行、350頁
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1971年発行、469頁
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1973年発行、489頁
- ^ 『大蔵省名鑑』時評社、昭和62年
- ^ 小粥正巳氏が死去 元大蔵次官、前政策銀総裁 47news 2004年3月17日
- 先代
- 吉野良彦
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- 日本開発銀行総裁
- 第10代:1998年 - 1999年
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- 次代
- (日本政策投資銀行設立)
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- 先代
- (初代)
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- 日本政策投資銀行総裁
- 初代:1999年 - 2001年
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- 次代
- 小村武
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