ロマ音楽家の結婚式演奏(チェコ共和国・2005年)
ロマ音楽 (ロマおんがく)は、西アジア やヨーロッパ などで移動型の生活を送る、あるいは送っていたロマ 民族(ジプシー)を中心に発達してきた音楽。
概要
ロマ は北インド に起源を持つ移動型の民族であり、中近東 、北アフリカ 、ヨーロッパ などで生活している。ロマは西暦1000年以前には北インド、ラジャスタン を離れ、放浪生活に入っていったと考えられている。一方、現在もラジャスタンで演奏家や旅芸人として生活しているロマもいる。ロマは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、ポリティカル・コレクトネスのため「ロマ」と呼称が変更された。
ロマは各地を放浪 し、音楽の演奏やダンスなどを行う旅芸人として生計を立ててきた。彼らによってもたらされた音楽は、現地の音楽に影響を与え、また影響を受け、相互に発展してきた歴史がある。ロマは北インド をたった後、イラン 、イラク 、アルメニア 、その他中近東 に現れるようになった。西暦1050年頃には既に、コンスタンティノポリス で音楽の演奏をしていたと考えられている。15世紀 ごろにはエジプト 、スーダン 、ブルガリア 、ルーマニア 、ハンガリー 、ギリシャ 、クロアチア 、マケドニア 、セルビア などへと居住地を拡大、やがてヨーロッパ全域へと広がっていった。スペイン のフラメンコ の原型もロマの音楽とダンスであったと考えられるなど、彼らは放浪先の中近東やヨーロッパ各地の音楽文化に強い影響を与えてきた。
ロマの音楽の大きな特徴として、テンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾[ 1] 、ソウルフルなヴォーカル、そして音高 をすべるように移動するグリッサンド の多用などが挙げられる。音階の上では、和声的短音階 の第4音を半音高くして二つの増二度 音程を持つ独特の音階(ハンガリー音階 などと呼ばれる)が用いられることが多いのも特徴である[ 1] 。
各地のロマ音楽
ルーマニア
ルーマニア のロマ音楽奏者はラウタリ (英語版 ) と呼ばれ、そのバンドはタラーフ(taraf )と呼ばれる。タラーフの主な構成はフィドル 、ツィンバロム 、アコーディオン 、コントラバス などからなる。ワールド・ミュージック のジャンルで、ファンファーレ・チョカルリア やタラフ・ドゥ・ハイドゥクス [ 2] は、国際的な知名度をもっている。マネーレ はロマ音楽の影響を受けた現代の音楽としてルーマニアはじめバルカン半島 で盛んになっているジャンルである。
著名なロマのソロ・ミュージシャンには、次のような人物がいる。
フランス
フランス のロマは、スペイン由来のグループ(ルンバ・ヒターナ rumba gitana) と、マヌーシュ 、あるいはドイツ 起源のグループに分けられる。前者にはジプシー・キングス 、後者にはジャンゴ・ラインハルト が有名である。
インド
インド 北部のラジャスタン 地方はロマの故地であり、現在でもロマが音楽やジャグリングなどのショーをする旅芸人として住んでいる。
トルコ
トルコの演奏家
トルコ は西暦1000年ごろからロマが住んでおり、さまざまな音楽が生み出されてきた。こんにち、トルコのロマの音楽はベリーダンス の音楽としてよく知られている。
ファスル(Fasıl)は軽快な伝統音楽で、主にクラリネット 、バイオリン 、ダラブッカ 、カーヌーン などが使用される。チフテテリ は、激しいベリーダンスと比べて、よりスローテンポでゆったりとしたダンスである。古代アナトリア半島 に起源を持つといわれているが、その発展には多くのロマが関わっている。
ベリーダンスやファスルのショーはレストランやナイトクラブで披露される。
マケドニア
チョチェク は、ブルガリア ではキュチェクと呼ばれ、サクソフォン やクラリネット 、そして第一次世界大戦 以降盛んになったブラスバンド 形式の演奏、およびダンスである。チョチェクの音楽は9/8拍子を大きな特徴とする躍動感のあるもので、マケドニア共和国 からは多くの世界的に有名な奏者を輩出している。代表的な音楽家には、女性歌手のエスマ・レジェポヴァ 、ブラス・バンドのコチャニ・オルケスタル がいる。
アルバニア
アルバニア では、ロマの音楽と現地の音楽がむすびつき、タラバ (英語版 ) と呼ばれるジャンルを形成している。タラバは中東の影響を濃く受けついた特徴的な音楽で、ドラムス 、そしてダフ が使用される。タラバはロマのみならず非ロマ系のミュージシャンも多く、アルバニアでは人気のある音楽となっている。
セルビア
セルビア のロマは主に南セルビアに多く住み、オスマン帝国 の軍楽隊の音楽に由来する、ブラスバンド 形式の音楽で知られている。主な奏者としてボバン・マルコヴィッチ (英語版 ) が知られている。(
[1] [2] [3]
"Kecarac kolo" "Sunen romalen, sunen cavalen " )
ギリシャ
ギリシャ はオスマン帝国 支配下でトルコ と共通の文化圏に属しており、ギリシャのロマの音楽にはトルコからの影響の要素が強い。希土戦争 の影響でアナトリア半島 のイズミル からギリシャ本土に移ったギリシャ人によってもたらされたチフテテリ などが有名。
ブルガリア
多くのロマ人口を抱えるブルガリア では、ロマの音楽は大変盛んであり、パーティーや結婚式などでたびたび演奏される。ロマの演奏するキュチェク は、チャルガ の起源としても知られている。
ハンガリー
ロマの音楽の影響力は特にハンガリー において顕著であり、人口の上では多数派であるマジャル人 を差し置いて、ロマの音楽がハンガリーの代表的な音楽と見做されるに至っている。ヨーロッパでは“ハンガリーの音楽”という言葉がロマの音楽と混同して用いられる傾向さえある(リスト の「ハンガリー狂詩曲 」やブラームス の「ハンガリー舞曲 」などはそうした例である)。特にチャールダーシュ と呼ばれる舞曲がハンガリーのロマを代表する音楽として親しまれている。
しかし近年、音楽家の登録にクラシックの試験が課せられるようになってからロマ音楽家は減っており、ロマ音楽が必要なイベント(結婚式など)では隣国のルーマニア からミュージシャンを招いてまかなっているという側面がある。バイオリニストの ロビー・ラカトシュ 、ヤーノシュ・ビハリ (英語版 ) などの奏者が知られている。
ロシア
ロシア の音楽においてもロマは重要な役割を果たしてきた。ロマがロシアに移住するようになったのは15〜16世紀頃といわれている。エカチェリーナ2世 の時代に大きく発達し、彼らの楽団は町のレストランなどにも出演するようになった。19世紀 にはより洗練されたものに進化し、モスクワ やペテルブルク で持て囃されるアンサンブルも出現した。七弦ギターやフィドル の伴奏にのせて野太い声でソウルフルに歌うスタイルを特徴とする。ロシア革命 までは大きく栄えたが1930年代になるとソヴィエト 政府の方針によりロマの音楽は排斥されるようになった[ 3] 。
Jean Goulesco やピョートル・レスチェンコ (英語版 ) などの奏者が知られている。
スペイン
スペイン のロマ音楽は、その人気が一般化したフラメンコ 音楽によって広く世界的にしられている。フラメンコはスペイン南部のアンダルシア 地方で生まれ、ロマの文化と関連づけられてとても良く知られている。スペインのロマはヒタノ(Gitanos)と呼ばれ、多くの有名なフラメンコ・アーティストを生み出してきた。しかし、実際にはフラメンコは純粋なロマの音楽というよりは、アンダルシア地方の土着音楽に由来するところが大きい。もっとも、その発展には多くのロマのアーティストたちが関わってきてはいる。
クラシック音楽への影響
ロマの音楽はヨーロッパのクラシック音楽 にも大きな影響を与えてきた。特にロマン派 以降の作曲家にロマの音楽に触発された作品が多く見られる。代表的な作品として以下のようなものがある。
脚注
^ a b 「新音楽辞典 楽語」音楽之友社、1977年
^ Cartwright, Garth (2007年12月12日). “Dumitru 'Cacurica' Baicu(Taraf de Hidouks)” . The Guardian . https://www.theguardian.com/news/2007/dec/12/guardianobituaries.obituaries 2020年1月8日 閲覧。
^ 山之内重美 「黒い瞳から百万本のバラまで」東洋書店、2002年 ISBN 4-88595-393-6
参考文献
Broughton, Simon. "Kings and Queens of the Road". 2000. In Broughton, Simon and Ellingham, Mark with McConnachie, James and Duane, Orla (Ed.), World Music, Vol. 1: Africa, Europe and the Middle East , pp 146-158. Rough Guides Ltd, Penguin Books. ISBN 1-85828-636-0
関口義人著『ジプシー・ミュージックの真実 - ロマ・フィールド・レポート』(青土社 、2005年 )ISBN 4-7917-6210-X
「新音楽辞典 楽語」音楽之友社、1977年 ISBN 4-276-00013-0
関連項目