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この項目では、岩崎宏美の楽曲について説明しています。クラシックの楽曲については「ロマンス (音楽)」を、その他の楽曲については「ロマンス#音楽」をご覧ください。 |
「ロマンス」は、岩崎宏美の楽曲。1975年7月25日にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)より2枚目のシングルとしてリリースされた。
シングルの累計売上は90万枚[1](100万枚突破[2]とも)。同年9月1日 - 9月15日のオリコンチャート1位を獲得する大ヒットを記録し、岩崎は同年の日本レコード大賞など数々の音楽賞で新人賞を獲得した。また同年末の第26回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、紅組のトップバッターを務めて本曲を歌唱した。
制作
デビューシングル『二重唱 (デュエット)』がトップ20入りするヒットとなったため、担当ディレクターの笹井一臣は、再び作詞・作曲を阿久悠と筒美京平に依頼した。先に筒美が曲を書き、そこに阿久が歌詞を付けるという形(曲先)で制作された[3]。
筒美は岩崎のファーストアルバム『あおぞら』の楽曲依頼も受けていたため、複数の楽曲を制作していたが、笹井はその中のバラード調の曲に注目し「これをテンポアップして、細かく刻むリズムに乗せたらどうか?」と提案[4]。笹井はさらに筒美との話し合いの中で、当時流行していたディスコサウンドを楽曲に取り入れることも提案した[3]。筒美はリズムの構造やクラビネット、ストリングスのフレーズなどでディスコサウンドを取り入れながら、全体としては歌謡曲的な側面を残す楽曲に作り直し、メロディーとアレンジを完成させた[4]。
前作と同様、2曲レコーディングした「ロマンス」と「私たち」のどちらをA面曲とするかぎりぎりまで決まらず、最後にはスタッフ間で採決をとり「ロマンス」をA面にすることとなった。岩崎本人も「ロマンス」を推したが、当時新人は朝のワイドショーなどで歌う機会が多く、朝から歌うには後半に声を張り上げがちになる「私たち」よりも「ロマンス」のほうが歌いやすいというのがその理由だったことが、ある番組のインタビューで語られている。[要出典]
前作のシングルB面曲「月見草」と同様、「私たち」もコンサート(特にアンコール)で頻繁に選曲された。
収録曲
- ロマンス(3分17秒)
- 私たち(3分32秒)
参加ミュージシャン
リズムセクション
ホーンセクション
ストリングス
女声コーラス
カバー
ロマンス
私たち
収録アルバム
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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アルバム |
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楽曲 |
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関連人物 | |
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関連項目 | |
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カテゴリ |
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1974年(上期・下期)は最優秀ホープ賞として発表。1991年からはショータイム形式に変更。 |
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