レイモン・ロッシュ(Raymond Roche, 1957年2月21日 - )は、フランス・オリユール出身の元オートバイレーサーである。
略歴
ロードレース世界選手権(WGP)を始めとして様々なカテゴリーで活躍したライダーで、1981年にはカワサキ・フランスの1000ccモンスターマシンを駆りジャン・ラフォンとのコンビで世界耐久選手権チャンピオンを獲得。
WGPでのベストシーズンは1984年。前年の市販マシンRS500に代えてワークスマシンNSを与えられたこの年は、開幕戦で初めての表彰台である2位を得ると、そのままシーズンを通して好調を維持。第8戦オランダGPでは最終ラップの最終コーナーまでランディ・マモラと激しい首位バトルを見せ、第10戦イギリスGPと第12戦サンマリノGPではポールポジション獲得など活躍。シーズン8回の表彰台に登壇し、エディ・ローソン、マモラに続くランキング3位を獲得した[1][2]。1985年にヤマハのトップチームであるマールボロ・ヤマハ・アゴスチーニへ移籍、ローソンのチームメイトとしてヤマハ・YZR500に1年間乗り、地元フランスGPでは2位表彰台を獲得しランキング7位となる。
1986年、前年に引退した片山敬済から誘いを受け、レーシングチーム・カタヤマ(RTK)へ移籍。ロスマンズカラーのホンダ・NS500だけでなく、スペンサーの欠場により乗り手を失っていたV4エンジン搭載車・NSR500で参戦する機会もあったが、同年の最高位は5位にとどまりランキングは8位であった。1987年にイタリアのカジバへ移籍、緒戦の日本GPで雨の中10位入賞を果たし、カジバにとって貴重なポイント獲得を果たす。カジバには1989年まで在籍したがWGPへの参戦は徐々にスポット参戦となっていき、当時同じグループ傘下にあったドゥカティからファクトリーチームの一員としてスーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦カテゴリーを移した。SBKではドゥカティ・851および888で表彰台の常連となり、1990年にはシーズン8勝を挙げワールドスーパーバイクチャンピオンを獲得した[3]。
引退後はビジネスの世界に身を移し、オリジナルヘルメットのブランドを立ち上げて成功を収めている[4]。
人物
1983年当時は、テニス好きとして知られていた[5]。
1985年はグランプリ以外にもイモラ200に出場したが、パドックで片山敬済のメカニック担当・杉原真一に「南アフリカGPのレース、テレビで見たよ」と声をかけられると、「俺の転倒シーンを見たか? 俺も見たぜ!」(ロッシュ)と冗談を飛ばしたりする陽気な人物であった[6]。
レース戦績
鈴鹿8時間耐久オートバイレース
年
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チーム
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ペアライダー
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車番
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マシン
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タイヤ
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予選順位
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予選タイム
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決勝順位
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周回数
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1981
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カワサキ・フランス KVAS
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ジャン・ラフォン
|
5
|
カワサキ・1000J
|
D
|
9
|
2'19”76
|
3位
|
196
|
1983
|
ホンダ・フランス
|
ガイ・ベルタン
|
4
|
ホンダ・RS850R
|
M
|
6
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2'25”72
|
Ret
|
24
|
1984
|
Team HRC
|
ワイン・ガードナー
|
6
|
ホンダ・RS750R
|
M
|
PP
|
2'21”97
|
Ret
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114
|
1991
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佐川急便ドゥカティ・レーシング
|
ジャンカルロ・ファラッパ(英語版)
|
6
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ドゥカティ・888
|
M
|
34
|
2'19”196
|
Ret
|
154
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参考文献
脚注
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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