泉 優二(いずみ ゆうじ、1946年2月5日 - 2013年1月6日)は、東京都出身の文筆家、映像作家。本名・鈴木孝志
[1]。
経歴
映画監督を志し、山本薩夫のもとで働く[2]。その後、大映に入社する[3]。1971年にフリーとなり、テレビやラジオの脚本を書きながら、ラジオ番組『ハローヤマハ2&4』(TBSラジオ)「東芝マイマイカンパニー」(市川光興ディレクター)のパーソナリティーを担当した。この頃からサッカーの魅力に取り付かれる[3]。
1976年、東京都大田区初の少年サッカークラブを設立し、監督に就任する。のちにこの活動を記録した著作物『サッカー大好き!』(1994年)の文章が「中学2年道徳」の副読本に掲載された。この事例は文豪以外の文筆家の著作物が教科書等の教材に採用される切っ掛けとなった[3]。
1977年に活動拠点をヨーロッパ(オランダ)にも構え、ヨーロッパと日本を往き来しながら活動を続ける[3]。1978年に1977年ロードレース世界選手権(WGP)350ccクラス世界チャンピオン片山敬済を取材したドキュメンタリー番組を制作し、『木曜スペシャル』(日本テレビ)で放送される。泉はこの番組により日本のテレビで初めてWGPを紹介し、スポーツ新聞にWGPというオートバイレースの世界選手権があることを伝えた。当時の日本では一般の人でWGPを知る人が極少数に限られていたので、泉は広報活動に奔走した[4]。1980年に映画『汚れた英雄』のヨーロッパの場面の撮影および監督を担当し、マン島TTレースとWGPフランスGPを取材する[1]。1984年にはドキュメンタリー映画『蘇えるヒーロー、片山敬済』(日本ヘラルド)を監督[1]。また、映画『ウィンディー』(東宝東和)の原作を執筆し[5]、文筆家として活動を始める[1]。
1985年にヨーロッパの活動拠点をフランスのニースに移す[3]。1988年から1990年までの3シーズン、WGP125ccクラスにフル参戦した「チーム竹島」の監督としてチームをマネージメントした[1]。1992年にヨーロッパでの活動を終了、その後は日本のスポーツ新聞でコラムを担当し、サッカーの取材を開始する[3]。1993年から定期的にサッカー関連雑誌に寄稿[3]。
略歴
主な映像作品
テレビ
映画
著書
単著
共著
脚注
参考文献
ウェブサイト
- 泉優二 プロフィール, ぱすてる企画 スポーツ・出版事業部,, http://www.kitanet.ne.jp/~voice_ov/page044.html 2009年8月16日(日)閲覧。
- 映画『ウィンディー』(1984年公開), allcinemaデータベース, 株式会社スティングレイ,, https://www.allcinema.net/cinema/2294 2009年12月1日(火)閲覧。
- 映画『甦るヒーロー 片山敬済』(1984年公開), 映連データベース, 社団法人 日本映画製作者連盟,, http://db.eiren.org/contents/04990000098.html 2009年12月1日(火)閲覧。
出版物