文豪(ぶんごう)は、日本電気(NEC)が発売した、日本語ワードプロセッサ専用機(以下ワープロ)。後述は当時のカタログ・資料・NECが発行していた『文豪アプリケーション情報』などによる[注釈 1]。
文豪シリーズは東芝のRupo、富士通のOASYS、シャープの書院と並ぶワープロの主要機種。同社製のパーソナルコンピュータであるPC-9800シリーズやN5200シリーズなどともMS-DOSファイル変換機能やオプションの専用ソフトウェアにより互換性が保たれており、同製品のユーザーにとってセカンドマシンとしても扱いやすい配慮がなされていた。パーソナルユースの文豪ミニはPWP-100、ビジネスユースの文豪シリーズはNWP-20をそれぞれの前身としており、デスクトップタイプからラップトップ・ノートブック型のものまで、多種多様なモデルが販売された。シリーズ末期にはインターネット接続に対応したカラー液晶ディスプレイモデルも発売された。
日本電気ホームエレクトロニクスが製造を行っていたが、日本語ワープロの退潮と同社の清算に伴い2000年をもって出荷を終了[注釈 2]。1999年リリースの文豪JX-750/730/720が最後の機種となった。
開発には作家、すなわち文字通り「文豪」の安部公房が関わっていた。安部はその後も執筆に文豪シリーズを使い続けており、執筆中の遺作も同機の保存データから見つかった。
文豪シリーズはパーソナル製品とビジネス製品の2つに大きく分けられる。前者はその前身を、NEC初のパーソナルワープロであるPWP-100とし、文豪ミニ[注釈 3]・JXシリーズをラインナップとする。後者についてはその前身をNEC初の日本語ワープロであるNWP-20としている。文豪DPシリーズについては「ドキュメント・プロセッサ」という、従来のワープロとは一線を画す新カテゴリの製品群として位置していた。
文豪ミニシリーズのようなプリンタ、液晶ディスプレイ一体型のコンパクトな筐体を実現したビジネス向けモデル。プリンタ内蔵であるが、ページプリンタ等を外部接続可能。7IIHではハードディスクが搭載された。
DPは「ドキュメント・プロセッサ」を表し、「ワード・プロセッサ」とは一線を画す新カテゴリのシリーズとして登場。PC-9800シリーズをベースにWindows、専用ソフトウェア等を組み合わせたモデル。
NECが販売店向けに配布していた店頭用オートデモ。5Rシリーズでは本フロッピーディスクをセットし、「拡張1」+「拡張2」キーを押下しながら電源をオンにする(のちに「アプリケーションモード」と呼ばれる)。5Sシリーズからは、初期メニューの「オプション」を選択し、フロッピーディスクをセットすることで起動することが可能であった。
これらは、MS-DOSアプリケーションとなっており、もっとも、文豪のMS-DOSファイルコンバータからは見ることが不可能であるが、隠しファイル属性として、大量の.R1ベタファイル画像により構成されており、文豪ミニ上で、ユーザーから見ることができるのは「IPL.COM」「MAIN.COM」「CREDIT.DOC」だけであった。「CREDIT.DOC」には「デモンストレーションプログラム」の開発者一覧が記述されていた。
文豪ミニ・JXシリーズ向けにはゲームからユーティリティまで様々なアプリケーションソフトが発売[注釈 7] された。
上記のうち、「テトリス」「倉庫番」「直子の代筆」「今日子の日記」「クイズアベニュー」のほか、「イラストでこざーる(イラストレーション画像データ集)」などが、新製品購入特典として本体に付属された。
いずれも、製品版の4色カラー印刷のパッケージに比べ、2色刷りの簡易版の紙パッケージとなっていたが、ソフトウェア内容に製品版との差異はなく、ユーザー登録をすることが可能であった。
ミニ5無印から5HDまでの機種では、文書ディスクタイプ1と呼ばれる、CP/Mベースの文書ディスクにバイナリ形式で記録されていた。5R以降の機種からは、システムのほとんどがMS-DOS化されたため、ディスクタイプ2と呼ばれるMS-DOSベースの文書ディスクにバイナリ形式で記録されるのが標準となった。
文豪ミニ5シリーズはCP/M[注釈 8]、文豪ミニ7シリーズではMS-DOS互換の独自OS[6] 上にて動作しており、一部機種ではCP/MやMS-DOSを動作させることで“パソコンとして使用”することができた。ユーザーの間ではそのための“隠しコマンド”やパッチなどが研究され、ディスプレイやプリンター・通信機能などを内蔵した当時稀有なオールインワンのコンピュータとしても愛用された。当時、開発部門ではCP/Mパソコンとしての使用を推奨していたが、営業・販促部門がこの使用方法を公開することはなかった[7]。
文豪ミニ5シリーズでは、[拡張1]と[制御]キーを押しながら電源を入れることで、CP/M-80のコマンドプロンプトを起動することができた(後述)。5RX(1990年10月)以降の機種ではこの隠しコマンドは廃止され、かつCP/Mの起動可能な5R/5RD/5RGでは、本体添付の補助フロッピーにて一度本体の初期化を行わなければ、CP/Mが起動しない。
5G(V20 CPU)以降の本体ROM内にはMS-DOS Ver.2.11のIO.SYSの大部分がフロッピーディスクおよび文書ファイルの互換目的で格納されていたため、不足部分を補いメモリ上に再配置することでMS-DOSマシンにもなった。これらのOS上では本来のワープロ機能用のFEPや漢字ROMを利用することもでき、ワープロ機能と汎用OSとの間をウォームブートで自由に往来できるまでにハッキングされた。月刊誌『パソコンワールド(PCW)』誌上で様々な情報提供や活用記事を執筆していた北南昇(ペンネーム)の功績が大きい。
文豪ミニ7シリーズではMS-DOS Ver.2.11互換の独自OSが使用されていた。当然コマンドプロンプトなどはユーザーが直接操作できない形になっていたが、起動用システムディスクにあたる「編集フロッピー」の内容をPC-9800シリーズのMS-DOS上でCOMMAND.COMが起動するように書き換えることでMS-DOSマシンとして利用することができた。ただし、この方法ではANSIエスケープシーケンスの利用や日本語入力ができないなどの欠点があり、便利な環境とはいえなかった。
PC-9800シリーズ用MS-DOSのシステムディスクに愛媛県の学習塾である肱陽塾(こうようじゅく)[注釈 9] が販売していたパッチを当てることで、文豪ミニ7シリーズ用のMS-DOSシステムディスクを作成することができた。MS-DOS汎用のソフトウェアである、LHarc(LHAの前身)や PKZIPなどのユーティリティのほか、MS-C 5.10やTurbo Pascal Ver.3といった開発環境も、文豪ミニ7シリーズのMS-DOS上で動作した。
これらの環境によって、文豪ミニ7シリーズ上でもソフトウェアの開発が可能となり、ミニ7専用のソフトウェアも多数制作・公開された。このパッチでは、ANSIエスケープシーケンスが実装され、日本語入力に関してはワープロ機能用として内蔵されているFEPを呼び出すことができた。また、MS-DOS上から内蔵のプリンタを使用するためのプリンタドライバも付属していた。
ハードウェア面でも解析が進められ、SCSIインタフェースを製作して外部ハードディスクなどを増設することも可能であった。
他にも文豪ミニ5シリーズには、取扱説明書には記載されていない数々の隠しコマンドや機能が存在した[8] 。
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