カデナ(欧字名:Cadenas、2014年3月30日 - )は、日本の競走馬・種牡馬[1]。主な勝ち鞍は2016年の京都2歳ステークス、2017年の弥生賞、2020年の小倉大賞典。
馬名の意味は、フランス語で「南京錠」[3]。
2014年3月30日、北海道新ひだか町のグランド牧場で誕生。同年のセレクトセール当歳馬市場においてノースヒルズによって3500万円(税抜)で落札される[4]。牧場時代のカデナについて、グランド牧場の伊藤社長は「物覚えの良い馬で、小ぶりでしたが馬体が柔らかかったので大きく成長させて行けば良い馬になると思っていました。父がディープインパクトということで期待も大きかったです」と回想している[5]。
栗東・中竹和也厩舎に入厩。9月10日の新馬戦で武豊を背にデビューし、上がり3F33秒1の末脚を繰り出すも2着となる。2戦目の未勝利戦で勝ち上がると、福永祐一が初騎乗した百日草特別(500万下)では上がり3F33秒4の末脚でアドマイヤミヤビの2着に入った。続く京都2歳ステークスでは直線で大外を一気に突き抜け、2着ヴァナヘイムに1馬身1/4差をつけて重賞初制覇を果たした[6]。
始動戦となった弥生賞では「調教の動きからはもう少しかな」と福永が述べるほどの状態ではあったが1番人気に推され、逃げるマイスタイルをゴール前で交わして重賞連勝を果たす[7]。クラシック初戦の皐月賞では牝馬のファンディーナ、共同通信杯勝ち馬スワーヴリチャードに次ぐ3番人気に推されたが、直線で伸びずに9着に沈んだ。福永は敗因として輸送による馬体減と荒れていながら乾いて硬い特殊な馬場状態を挙げた[8]。続く東京優駿(日本ダービー)では後方のまま見せ場なく11着と大敗を喫した[9]。
秋は神戸新聞杯9着、天皇賞(秋)16着と精彩を欠いた[10]。
弥生賞と同舞台で行われる中山金杯から始動したが、10着に敗れる。その後はマイル戦に活路を求めるなど試行錯誤がなされるもスランプからの脱却は叶わず、大敗が続いた[10]。
休養明けの大阪城ステークスは14着に沈み、続く福島民報杯でも11番人気の評価に留まっていたが、1000m通過57秒4のハイペースで先行勢が総崩れとなる中、後方から追い込んで久々の馬券内となる3着に入った。続く巴賞でも後方から追い込んで2戦続けての3着に好走。5走ぶりの重賞出走となった小倉記念では直線序盤で進路が無くなる場面がありながらラストは鋭く追い込み、勝ち馬メールドグラースにクビ差の2着に食い込んで復調を示した[11]。次戦の新潟記念でも最後方追走から上がり3F最速タイの33秒6の末脚で追い込み、4戦連続馬券内となる3着に入った[12]。次走の天皇賞(秋)は13着に大敗し、この年を終える。
前年の福島民報杯以来のコンビとなる鮫島克駿を鞍上に迎えて中山金杯から始動。ここは11着に敗れたものの、続く小倉大賞典では後方待機から直線で外に持ち出し後続に0.3秒差を付ける快勝を飾り、弥生賞以来約3年振りの勝利となった。また、鞍上の鮫島にとっては44回目の騎乗で初のJRA重賞制覇となった[13][14]。続く大阪杯は12頭立て11番人気での出走となったが、メンバー中最速の上がりで最内から伸びて4着に入る走りを見せた[15]。次走の宝塚記念は12着と惨敗。続く新潟記念はトップハンデ58kgで出走し、後方から追い込むが6着。秋は毎日王冠で4着に入るが、天皇賞(秋)は8着と凡退に終わる。
7歳になり、年明けは中山金杯から始動し11着に敗れる。連覇を狙った小倉大賞典は6着に敗れ、連覇とはならず。続く大阪杯は6着に敗れる。最低人気での出走となった安田記念は最後方から上がり3位の脚で追い込むが6着に終わった。続く宝塚記念は騎乗予定だった松山弘平が当日負傷したため、急遽浜中俊に騎乗変更となった。レースは道中最後方から上がり2位の脚を使うも7着に終わった。秋初戦となった毎日王冠は10着と惨敗に終わる。
8歳初戦として、初のダート戦となる東海ステークスに出走。12番人気の低評価であったが、5着に入賞した。この後、芝に戻り2月の小倉大賞典では3着と好走する。しかし、その後は凡走が続き、同年10月30日の第166回天皇賞での12着が現役最後のレースとなった。同年11月2日付でJRAの競走馬登録を抹消され、引退後は北海道新ひだか町のアロースタッドで種牡馬となる予定である[2][16]。
以下の内容は、netkeiba.comの情報[10]に基づく。