アジョ・モータースポーツ

アジョ・モータースポーツ
マルク・マルケス (2010年)
2024年
チーム名
レッドブル・アジョ・モータースポーツ (Moto2、Moto3)
本拠地 フィンランドの旗 フィンランド
代表 アキ・アジョ
ライダー Moto2
13 チェレスティーノ・ヴィエッティ
53 デニス・オンジュ
Moto3
85 ハビ・スルトゥサ
99 ホセ・アントニオ・ルエダ
マシン Moto2
カレックス・Moto2
Moto3
KTM・RC250GP
タイヤ Moto2-3:ダンロップ
ライダーズ
チャンピオン
Moto2 - 4
2015年2016年 ヨハン・ザルコ
2021年 レミー・ガードナー
2023年 ペドロ・アコスタ
Moto3 - 3
2012年 サンドロ・コルテセ
2016年 ブラッド・ビンダー
2021年 ペドロ・アコスタ
125cc - 2
2008年 マイク・ディ・メッリオ
2010年 マルク・マルケス

アジョ・モータースポーツ ( Ajo Motorsport ) は、フィンランドオートバイレーシングチーム。現在ロードレース世界選手権Moto3クラスに参戦している。チーム代表は元レーサーのアキ・アジョ。

チームの歴史

2001年

チームのロードレース世界選手権デビューは、ミカ・カリオをライダーにワイルドカード枠で125ccクラスに参戦した2001年の第9戦ドイツGPだった。その後第12戦バレンシアGPにも出場した。チームが使用したマシンはエントリー上はホンダとなっていたが、エンジンはチーム自身が作成したものだった。

2002年

2002年、チームはカリオをライダーにロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦を果たした。カリオは第3戦スペインGPで5位に入ったのがベストリザルトとなり、シリーズランキング11位を記録。アンドレア・ドヴィツィオーゾホルヘ・ロレンソらライバルを破ってルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

2003年

2003年シーズンは体制を拡大し、カリオのチームメイトに日本の東雅雄が加入した。カリオは8月にKTMのワークスチームに引き抜かれ、後釜にはアンドレア・バレリーニが就いた。第15戦オーストラリアGPではバレリーニ1位、東2位で1-2フィニッシュを成し遂げた。アジョ・チームは濡れた路面に強いブリヂストンタイヤを武器に、ウェットレースを中心に好成績を残した。

2004年

2004年はライダーが一新され、チェコルーカス・ペセックデンマークロビン・ハームスのペアとなった。しかしこの年ペセックはクラッシュを繰り返し、ハームスも何度か負傷を負い、期待はずれのシーズンに終わった。ペセックは翌シーズンデルビに移籍する。

2005年

2005年は日本の小山知良フランスアレックス・マスボーの2人がライダーになった。小山はオーストラリアGPで2位、トルコGPで3位、シリーズランキングでは8位に入り、チームにとっては2度目となるルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

2006年

2006年シーズンはライダーに変更はなかったが、マシンをこれまでのホンダからマラグーティに変更した。両ライダーとも怪我に苦しむシーズンとなってしまい、マスボーは僅か8戦しか出場できずノーポイント、小山もポルトガルGPで6位に入ったのがベストとなりシリーズ15位と成績を落とした。

2007年

2007年はマシンを再び変更しデルビで戦うことになった。ライダーラインナップも一新されオーストリアミハエル・ランセデールルーマニアロベルト・ムレサンのペアとなった。ランセデールは13レースで入賞しシリーズ12位に入ったが、ムレサンはノーポイントに沈んだ。

2008年

2008年シーズンはマシンは引き続きデルビ、ライダーにはフランスのマイク・ディ・メッリオスイスドミニク・エガーターが就いた。ディ・メッリオはシーズン4勝を挙げ、チームに初のワールドタイトルをもたらした。エガーターは3度8位に入ったのがベストリザルトでシリーズ16位だった。

2009年

2009年、250ccクラスにステップアップしていったディ・メッリオに代わり、ドイツサンドロ・コルテセがエガーターのチームメイトになった。コルテセは第14戦ポルトガルGPでの2位をはじめ3度表彰台に立ちシリーズ6位に入った。エガーターはフランスGPでの6位がベストでシリーズ13位だった。

2010年

2010年シーズンは、コルテセのチームメイトにスペインのマルク・マルケスが加入した。コルテセはフィンランドの作業用車両メーカーのアヴァン三菱自動車が、マルケスはレッドブルレプソルがメインスポンサーとなり、エントリー上は別々のチーム名となった。マルケスは10勝を挙げる圧倒的な強さを見せてシーズンを席巻、チームに2度目のライダーズタイトルをもたらした。コルテセは2度の表彰台でランキング7位に留まった。

またこのシーズン、新しく始まったMoto2クラスにはアレックス・デボンが、125ccクラスにはアドリアン・マルティンが「アエロポルト・デ・カステロ・アジョ」として参戦したが、これはアキ・アジョが持っていた参戦枠をデボンに譲ったものであり、実際にチームを運営したのはデボン自身が立ち上げた「モータースポーツ69」チームであった[1]

2011年

2011年シーズンはライダーラインナップを一新し、エフレン・バスケスヨハン・ザルコの2名を迎える[2]。また新たにジュニアチームを立ち上げることとなり、「レッドブル・アジョ・モータースポーツ」の名前でジョナス・フォルガーダニー・ケントの2人が参戦する。さらにはマレーシアのズルファミ・カイルディンも別スポンサーのマシンで参戦し、チーム全体としてはライダー5人の大所帯となった[3]

2021年

Moto2

2021年シーズンは、活動休止を発表した長島哲太[4]やMotoGPクラスへ参戦することになったホルヘ・マルティンに変わって、ワイン・ガードナーの息子で、マレーシアのチームに在籍していたレミーとMoto3クラスで同チームから参戦したラウル・フェルナンデスを迎えることになった。マシンは前年に続きカレックスで戦う。ラウル・フェルナンデスとレミー・ガードナーの最終戦までの激闘の末ガードナーがタイトルを獲得した。

Moto3

2021年シーズンはライダーラインナップを一新し、Moto2へステップアップしたラウル・フェルナンデスとフランスのチームに移籍した鳥羽海渡に代わって、ジャウマ・マシアペドロ・アコスタの2名を迎える。序盤4戦が2者共に優勝を飾り、早くも初のチームタイトル獲得に近づけていく。年間を通してポールポジションとファステストラップの獲得数は他のチームに比べて少ないが、アコスタがデビューイヤーにチャンピオンを獲得してシーズンを終えた。

MotoE

ニキ・トゥーリスーパースポーツ世界選手権に復帰するため大久保光が日本人初のMotoEデビュー。ライダーズランキング11位でシーズンを終えた。

2022年

Moto2

2022年シーズンは、Moto3チャンピオンを獲得したアコスタとマルクVDSレーシングチームに所属していたアウグスト・フェルナンデスが加入。

Moto3

2022年シーズンは、マシアのチームメイトにレッドブル・KTM・テック3に代役参戦したダニエル・オルガドが加入。

MotoE

引き続き大久保が参戦[5]

2025年

代表のアジョがレッドブル・KTM・ファクトリーレーシングのチームマネージャーに就任される[6]

脚注

外部リンク

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!