アレックス・デボン ( Alex Debón Latorre, 1976年3月1日 - ) は、スペイン・バレンシア州カステリョン県ラ・ヴァイ・ドゥイショー出身のオートバイレーサー。2010年までロードレース世界選手権の中量級クラス(250cc、Moto2)で活躍した。
経歴
何度かのワイルドカード参戦を経験した後、2000年よりアプリリアを駆ってロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始した。6年間戦ったが成績は伸び悩み、2006年からはアプリリアのテスト兼リザーブライダーを務めることになった。何戦かにワイルドカード枠から出場し、2006年のカタルーニャGPや2007年のチェコGPでは暫定ポールを獲得[1][2]、2007年最終戦バレンシアGPでは自身初となる3位表彰台を獲得するなど力強い走りを見せ、2008年にはロータス・アプリリアチームからフル参戦復帰を果たした[3]。
2008年開幕戦カタールGPでは自身初のポールポジションを獲得し[4]、決勝でもトップを走行していたが、ファイナルラップのバトルに敗れて4位に終わった[5]。
第5戦フランスGPではウェットコンディションでのスタートとなり、周りのライダーがインターミディエイトタイヤ等を選択する中、デボンはドライタイヤでスタートした。この作戦が大当たりとなり、ライバルが急速に乾く路面に苦しむ中、デボンは大きなリードを築き、グランプリ参戦112戦目にして初優勝を果たした[6]。序盤のウェット路面をドライタイヤで走行できたのは、アプリリアがMotoGPクラス復帰に備えて開発を進めているトラクションコントロールシステムを搭載していたからでは、という推測がなされた[7]。
その後デボンは第12戦チェコGPで2勝目を挙げ、これまでで自己最高となるシリーズランキング4位に入った。
2009年はブルセンスチームに移籍し、250ccクラスフル参戦足掛け10年目のシーズンを迎えた。第9戦ドイツGPで2位に入ったのが唯一の表彰台となり、勝利を挙げることはできずシリーズランキングは10位に終わった。最終戦バレンシアGPでは予選でトップタイムを出した直後に転倒し負傷、ポールポジションを獲得しながらも決勝は欠場となってしまった。
2010年はアジョ・モータースポーツチームから参戦枠を譲り受け、デボン自らが結成した新しいチーム「アエロポルト・デ・カステロ・アジョ」から、FTRモトのシャシーで250ccクラス後継のMoto2クラスに参戦した[8]。開幕戦カタールGPでは2位表彰台に立つ幸先の良いスタートを切ったが、その後は転倒を繰り返して右鎖骨を3度も骨折するなど怪我に苦しむことになった。このシーズンの閉幕後、デボンは現役引退を発表した[9]。
引退後の活動
2011年シーズンよりデボンはチームの運営に集中することとなる。Moto2チームの代表として、自らの後継者にはイギリスのケビン・コフランを参戦させる[9]。
ロードレース世界選手権 戦績
脚注
外部リンク