千代田区立麹町小学校(ちよだくりつ こうじまちしょうがっこう)は、東京都千代田区麹町二丁目に位置する区立小学校。
概要
1993年に旧麹町小学校と永田町小学校(麹町区立日比谷国民学校を1944年(昭和19年)に併合[1])の新設統合により開校した[2]。千代田区南西部の住宅地や官庁街、千代田および皇居外苑などの皇室に関係するエリアを学区としている。校内には千代田区役所麹町出張所・区民館等公共施設が併設されている。
皇居を擁する麹町の地にあって、校章は菊と桐を配している[3]。
沿革
- 1993年(平成5年)4月1日 - 千代田区公共施設適正配置計画により、千代田区立の小学校2校(麹町・永田町)を統合し、「千代田区立千代田麹町小学校」となる。
- 両校併設の幼稚園も統合され「千代田区立千代田麹町幼稚園」となる。
- 1994年(平成6年)3月9日 - 「千代田区立麹町小学校」(現校名)に改称。
- 1995年(平成7年)
- 2月10日 - 校歌を制定。
- 3月9日 - 開校記念日を2月10日と定める。
- 1996年(平成8年)
- 2000年(平成12年)3月29日 - 新校舎建設のため、仮校舎(旧・永田町小学校校舎)に移転。
- 2003年(平成15年)
- 3月6日 - 麹町二丁目公共施設落成式挙行。
- 4月1日 - 新校舎での教育活動を開始する。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 学校ビオトープづくりに着手。
- 2015年(平成27年)
- 3月31日 - コンピュータ室を普通教室に改装する。
- 8月31日 - 図書閲覧室を普通教室に改装する。
- 2016年(平成28年)8月31日 - 事務室、職員更衣室、PTA室を普通教室に、ひかりの輪を図書スペースに、それぞれ改装する。
- 2018年(平成30年)4月1日 - 会議室を普通教室に改装する。
学区
- 千代田区
- 千代田
- 皇居外苑
- 霞が関一~三丁目
- 永田町一・二丁目
- 隼町
- 平河町一・二丁目
- 麹町一~四丁目
- 一番町
- 二番町(1・3・5・9・11番地)
- 小学校の児童数と教員数[4]
年度 |
児童総数 |
1年生 |
2年生 |
3年生 |
4年生 |
5年生 |
6年生 |
教員数 |
職員数
|
平成25年 |
382人 |
82人 |
51人 |
60人 |
59人 |
62人 |
68人 |
18人 |
2人
|
平成26年 |
406人 |
87人 |
79人 |
57人 |
59人 |
61人 |
63人 |
22人 |
2人
|
平成27年 |
436人 |
87人 |
89人 |
82人 |
56人 |
57人 |
65人 |
22人 |
2人
|
平成28年 |
453人 |
85人 |
84人 |
90人 |
82人 |
51人 |
61人 |
23人 |
2人
|
平成29年 |
479人 |
81人 |
87人 |
86人 |
95人 |
79人 |
51人 |
26人 |
2人
|
平成30年 |
505人 |
80人 |
81人 |
84人 |
87人 |
95人 |
78人 |
27人 |
2人
|
令和元年 |
528人 |
101人 |
80人 |
83人 |
81人 |
90人 |
93人 |
27人 |
3人
|
令和2年 |
550人 |
95人 |
101人 |
84人 |
88人 |
87人 |
95人 |
28人 |
3人
|
令和3年 |
573人 |
106人 |
98人 |
105人 |
85人 |
87人 |
92人 |
28人 |
3人
|
令和4年 |
573人 |
84人 |
107人 |
98人 |
108人 |
84人 |
92人 |
28人 |
3人
|
令和5年 |
569人 |
87人 |
85人 |
108人 |
96人 |
107人 |
86人 |
26人 |
3人
|
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
概説
旧・麹町小学校
平河町5丁目の旗本屋敷に開かれた「平河学校」や、元園町1丁目に開かれた「麴町女学校」、そして江戸時代の手習指南所として山元町に開かれた私立「中村学校」などを前身とする。
戦前において「旧制第一高等学校→帝国大学(現:東京大学)」という進学コースの一端を担った[3][5]。戦後は1960年代にかけ「麹町中学校 → 日比谷高等学校 → 東京大学」へ辿る進学ラインとして知られ[6][7]、誠之小学校、番町小学校と共に「御三家」と呼ばれた[5]。1950年代-1960年代の公立校全盛期において全校生徒の約半数が越境通学者で占められた[6]。
旧・永田町小学校
官庁街に立地した公立小学校であった。日比谷高等学校の近隣、自由民主党本部向かいにあり、多くの著名な卒業生を輩出した。二・二六事件においては反乱軍の占拠地域に入った唯一の小学校であった[8]。
閉校後には、新校舎移設の為に麴町中学校や神田女学園中学校・高等学校が仮移転するなど旧校舎が再利用されていた。
沿革
年表
- 旧・麹町小学校
- 旧・永田町小学校
- 1906年(明治39年)10月31日 - 校地が麹町区永田町1-19に決定[10]。
- 1907年(明治40年)12月 - 校章を制定。剣と鏡と玉を図案化したものを組み合わせたもの。
- 1908年(明治41年)
- 4月1日 - 「永田町尋常小学校」が開校。
- 4月23日 - 授業を開始。麹町・日比谷・番町の尋常小学校3校から児童が集合。私立中村学校を吸収。
- 1920年(大正9年)8月1日 - 関東地区で最初の林間学校を調布多摩川玉華園に開設。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 永田町幼稚園が併設される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「永田町国民学校」に改称。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 日比谷国民学校を統合。
- 1946年(昭和21年)12月24日 - ララ委員会給与物資(ララ物資)[11]による学校給食を開始。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「千代田区立永田町小学校」となる。
- 校区改定により、大手町と丸の内が千代田区立神竜小学校[12]の校区となる。
- 1949年(昭和24年)
- 1953年(昭和28年)6月10日 - 校歌(作詞:山内俊次、作曲:大津三郎)を制定。
- 1978年(昭和53年)11月20日 - 開校70周年を記念し、永田町子どもの歌(作詞:中田英義 作曲:村井邦彦)を制定。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため閉校。85年の歴史に幕を閉じる。
出身の著名人
政治
官僚
軍人
学術
教育
法曹
実業
文芸
芸術
伝統芸能
芸能
スポーツ
その他
学校周辺
参考文献
- 『学校給食の経営』永田町小学校編 目黒書店 (1951年(昭和36年))
- 『麹町小學校の百年』麹町小学校創立百年記念会(1974年(昭和49年))
- 『麹町小学校創立百年記念誌 記録編』麹町小学校創立百年記念会(1974年(昭和49年))
- 『麹町』麹町幼稚園創立百年・麹町小学校創立百十年記念事業協賛会編 (1985年(昭和60年))
脚注
関連項目
外部リンク