富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日 - 1967年(昭和42年)10月16日)は、日本の小説家。柔道五段。東京府生まれ。明治大学商学部卒。初め心座文芸部に入って新劇運動に参加したのち、『姿三四郎』が大変な人気を呼んで流行作家となる。戦後『面』『刺青』で直木賞受賞。映画化、ドラマ化された作品も多く、大衆文学の大家として人気を博した。
柔道家富田常次郎の子として東京府に生まれる。永田町小学校(現千代田区立麹町小学校)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、明治大学商学部[1]。在学中、詩誌『感情革命』を創刊する。1928年、河原崎長十郎らの心座文芸部に参加する。他のメンバーに舟橋聖一、村山知義らがいた。
『姿三四郎』(1942年)で流行作家となる。戦後、『刺青』『面』(1949年)で第21回直木三十五賞受賞。大衆小説の大家として知られ、生前は長者番付の作家部門では常連として名を連ね続ける程の人気を誇った。
数多くの作品が映画化・テレビドラマ化されている。『姿三四郎』は1943年、黒澤明監督、藤田進主演で初映画化され、戦後もたびたび映画化・ドラマ化された。1965年(昭和40年)度の日本レコード大賞受賞曲である美空ひばりの『柔』は富田原作の同名ドラマ[2] の主題歌であった。1986年には「弁慶」を原作としてNHKで連続ドラマ『武蔵坊弁慶』が放送されている。
1950年代以降は馬主として競走馬を走らせており、所有馬には姿三四郎に因んで「スガタ」という冠名を付けていた。主な所有馬にはダイヤモンドステークス優勝など通算10勝を挙げたミネノスガタなど。
1967年10月16日、食道腫瘍の為に死去[3]。63歳没。
作品の著作権は2018年元日に終了し、パブリックドメインになっている。