ラファエル・ナダル・パレラ (Rafael Nadal Parera カタルーニャ語: [rəfəˈɛɫ nəˈðaɫ pəˈɾeɾə] スペイン語: [rafaˈel naˈðal paˈɾeɾa] , 1986年 6月3日 - )は、スペイン ・バレアレス諸島州 マナコル 出身の男子プロテニス 選手。ATPランキング自己最高位はシングルス1位、ダブルス26位。これまでにATPツアー でシングルス92勝、ダブルス11勝を挙げている。身長185cm、体重85kg。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
グランドスラム 優勝回数歴代2位(22回)[1]
[2] 、史上7人目となるキャリア・グランドスラム達成者であり、史上4人目のダブルキャリア・グランドスラム 達成者。全仏オープン 最多連勝記録・最多5連覇含む14回優勝、オープン化以降最多のグランドスラム同一大会14回優勝、史上2人目となるキャリア・ゴールデン・スラム を史上最年少の24歳3か月で達成、2010年にはオープン化では5人目となる4大大会3冠達成、マスターズ1000 では歴代2位となる36回の優勝記録を保持するテニス史上屈指の選手。BIG4 の1人である。
また、トップ10連続在位の歴代最長記録を保持しており(2022年5月4日時点で866週)、トップ選手としての活躍期間も史上屈指である[3] 。
特にクレーコート に非常に強いことで知られ、「クレー・キング 」と称される。クレーコート最高勝率、クレーコート81連勝、クレーコート50セット連続奪取、クレーコート大会である全仏オープン 、モンテカルロ・マスターズ 、マドリード・オープン 、ローマ・マスターズ 、バルセロナ・オープン の最多優勝記録・最長連覇記録などの数々の記録を更新している。
北京オリンピック 男子シングルス ・リオデジャネイロオリンピック 男子ダブルス 金メダリストで、デビスカップ スペイン代表 5度の優勝に貢献している。
選手経歴
ジュニア時代
マヨルカ島 にあるバレアレス諸島州 マナコル に生まれた。彼の叔父はサッカー元スペイン代表 ディフェンダーのミゲル・アンヘル・ナダル であり、ラファエルも12歳まではサッカーで有望選手だったという。もう一人の叔父であるトニー・ナダル (英語版 ) が子供のころから2017年までコーチを務めた。8歳の時にスペインの12歳以下の大会で優勝。
2001年 プロ転向
2001年に15歳でプロ入りした。
2003年 トップ50位入り
2003年4月21日、16歳10か月で世界ランキング100位入り。2003年8月4日、17歳2か月で世界ランキング50位入り。
2004年 ツアー初優勝 デビス杯初優勝
2004年8月のオレンジ・ワルシャワ・オープン でシングルス初優勝を飾り、アテネ五輪 にカルロス・モヤ との男子ダブルスで出場している。全米オープン 男子ダブルスで、同じスペインのトミー・ロブレド と組んで準決勝に進出したことがある。12月のアメリカ とのデビスカップ 決勝にも起用され、アンディ・ロディック を6-7(6), 6-2, 7-6(6), 6-2で破りスペイン の優勝に貢献した[4] 。
2005年 全仏初優勝
ナダルは2005年シーズンに急成長を始めた。シーズン序盤、中南米のクレーコートの大会でいくつかの勝利を収め、全仏オープン の前哨戦となるATPマスターズシリーズ のモンテカルロ・マスターズ で18歳10か月で優勝。世界ランキング10位入りを果たす。続くBNLイタリア国際 でも優勝。年頭には50位だったATPランキング も、全仏オープン開始前の5月9日には5位まで上昇した。
第4シードで出場した全仏オープン では、ラース・ブルクスミュラー 、グザビエ・マリス 、第30シードリシャール・ガスケ 、第23シードセバスチャン・グロジャン 、第20シードダビド・フェレール を破り準決勝進出。準決勝で世界1位のロジャー・フェデラー を破り、決勝ではアルゼンチン の伏兵マリアノ・プエルタ に競り勝って、「19歳2日」の若さでグランドスラム 初優勝を達成。全仏オープンでの初出場・初優勝は1982年 のマッツ・ビランデル 以来となり、大会でも4番目の年少記録だった。10代の男子テニス選手がグランドスラム で優勝したことも、1990年全米オープン に「19歳28日」で優勝したピート・サンプラス 以来15年ぶりの快挙であった。
その後のグランドスラム では、ウィンブルドン は2回戦でジル・ミュラー に、全米オープン は3回戦でジェームズ・ブレーク に敗れるが、7月25日には19歳1か月でロジャー・フェデラー に次ぐ世界ランキング2位の座につく。2005年度はATP ツアーで年間11勝を挙げ、そのうちATPマスターズシリーズ では、モンテカルロ・マスターズ 、BNLイタリア国際 、ロジャーズ・カップ 、マドリード・マスターズ の4大会で優勝した。
2006年 全仏2連覇 ウィンブルドン準優勝
2006年全仏オープン 優勝
2006年のシーズンでも、ナダルはATP ツアー大会の決勝戦でフェデラー に4連勝を記録した。同年5月、第7回「ローレウス・スポーツ賞 」の「最優秀新人賞」を受賞。2006年にはクレーコートで、ギリェルモ・ビラス が持っていた「53連勝」の記録を更新する。
第2シードで出場した全仏オープン ではロビン・セーデリング 、ケビン・キム 、ポール=アンリ・マチュー 、レイトン・ヒューイット 、ノバク・ジョコビッチ 、イワン・リュビチッチ に勝利し決勝進出。決勝戦ではフェデラー に1-6, 6-1, 6-4, 7-6で勝ち、大会2連覇を達成。クレーコートでの連勝記録を「60連勝」に伸ばし、それまでグランドスラム シングルス決勝戦で負けたことがなかったフェデラー に、初めての黒星をつけた。
同年のウィンブルドン でも初めて決勝に勝ち上がったが、全仏に続く2大会連続の決勝対決となったフェデラー に0-6, 6-7, 7-6, 3-6で敗れた(大会4連覇を達成したフェデラー は、試合終了後「芝では負けられなかった」と話した)。全米オープン では振るわず、準々決勝でミハイル・ユージニー に3-6, 7-5, 6-7, 1-6で敗れた。
2007年 全仏3連覇 ウィンブルドン2年連続準優勝
2007年全仏オープン 決勝でフェデラーを破り3連覇
全豪オープン では、準々決勝でフェルナンド・ゴンサレス に完敗した。5月20日、ATPマスターズシリーズ のハンブルク・マスターズ 決勝でフェデラー に6-2, 2-6, 0-6で敗れ、2005年4月から続いていたクレーコートの連勝記録が「81連勝」でストップした(これはフェデラー にとって、対ナダル戦のクレーコート初勝利であった)。この記録は、ジョン・マッケンロー が室内カーペットコートでマークした単一コートでの連勝記録「75連勝」を更新するものであった。
直後の全仏オープン ではフアン・マルティン・デル・ポトロ 、フラビオ・チポッラ 、アルベルト・モンタニェス 、レイトン・ヒューイット 、カルロス・モヤ 、ジョコビッチ に勝利し決勝進出。決勝でフェデラー を6-3, 4-6, 6-3, 6-4で下し、大会3連覇を達成する。ウィンブルドン では3回戦で相次ぐ降雨順延・中断に悩まされるなど、ハードなスケジュールの中で決勝に勝ち進む。フェデラー との2年連続の決勝対決では6-7, 6-4, 6-7, 6-2, 2-6でまたも敗れたが、芝においても王者に肉薄しつつあることを十分に示す激闘だった。
2008年 全仏4連覇 ウィンブルドン初優勝 北京五輪金メダル 世界1位
2008年ロジャーズ・カップ優勝
全豪オープン では、初進出の準決勝で世界ランキング38位のジョー=ウィルフリード・ツォンガ に2-6, 3-6, 2-6のストレートで敗れた。全仏オープン では、決勝でフェデラー を6-1, 6-3, 6-0のストレートで下し、全仏ではビョルン・ボルグ 選手以来2人目の4連覇を達成、全仏初出場から28連勝とした。ボルグは1978年 -1981年 にかけて全仏4連覇を達成したため、ナダルは27年ぶりの偉業を射止めたことになる。
全仏オープン終了後、6月のアルトワ選手権 において芝生コートでの初優勝を果たす。その勢いに乗り、ウィンブルドン で、5連覇中のフェデラー との「4時間48分」に及ぶウィンブルドン決勝史上最長の試合を6-4, 6-4, 6-7, 6-7, 9-7で制し、初制覇を成し遂げた。スペイン勢のウィンブルドン制覇は1966年 のマニュエル・サンタナ 以来2人目で、同一年での全仏オープンとウィンブルドン選手権連続制覇は1980年のビョルン・ボルグ 以来28年ぶりである。優勝を決めた自身のサービスゲームでは、フェデラー のバックを狙ったサービスや、それまで1度も使わなかったサーブ&ボレーなどの奇襲を駆使し、優勝を手にした。
ウィンブルドン優勝の後、北京五輪 では決勝でフェルナンド・ゴンサレス を6-3, 7-6, 6-3のストレートで圧倒し、男子シングルス の金メダルを獲得した。これまでオリンピックのテニス競技 でスペイン人選手の金メダル獲得はなく、ナダルは最初のスペイン人金メダリストとなった。8月18日には初めて世界ランキング1位の座につき[5] 、フェデラー が保持してきた世界ランキング1位連続保持の世界最長記録を「237週」で止めた。左利きの選手としては、ジミー・コナーズ 、ジョン・マッケンロー 、トーマス・ムスター 、マルセロ・リオス に続く歴代5人目の世界ランキング1位である。スペイン男子選手としてはカルロス・モヤ 、フアン・カルロス・フェレーロ に続いて史上3人目となる。全米オープン では初めて第1シードに選ばれたが、準決勝でアンディ・マリー に2-6, 6-7, 6-4, 4-6で敗れ、初の決勝進出を逃した。
2009年 全豪初優勝 デビス杯V3
2009年全豪オープン にて
全豪オープン では、準決勝でフェルナンド・ベルダスコ 、決勝のフェデラー 戦と2試合連続で長い5セット・マッチを乗り切り、ハードコート・グランドスラムで初優勝を飾った。スペイン 人選手による全豪オープン優勝は史上初である。ところが、全仏オープン では4回戦でロビン・セーデリング に2-6, 7-6, 4-6, 6-7で敗れ、2005年 に初出場してからの連勝記録が31で途切れた。この後、彼が両膝を痛めていたことが明らかになる。6月19日、大会前年度優勝者として出場する予定だったウィンブルドン の出場断念を表明した。このため、7月6日付けのランキングではこの大会に優勝したフェデラー に1位を明け渡すことになった[5] 。
その後のロジャーズ・カップ にて第2シードで復帰を果たしたものの、第6シードのデルポトロ にストレートで敗れた。これにより、2009年8月17日付けのランキングではマリー が2位となり、2005年7月18日以来、およそ4年1か月ぶりに3位に後退することとなった[5] 。翌週に開催されたシンシナティ・マスターズ でも準決勝でジョコビッチ に圧倒され敗退。
全米オープン では、準決勝で再びデルポトロ に2-6, 2-6, 2-6のストレートで敗れた。
2010年 キャリアゴールデンスラム達成
2010年ジャパン・オープン優勝
前年優勝者として挑んだ全豪オープン では、準々決勝でマリー を相手にサードセット途中棄権という結果に終り、その後慢性化している膝の怪我で二か月の休養を余儀なくされた。怪我明けのBNPパリバ・オープン とソニー・エリクソン・オープン では準決勝で敗退したが、クレーコートシーズンに入ると、ATPワールドツアー・マスターズ1000 のモンテカルロ・マスターズ 、BNLイタリア国際 、マドリード・マスターズ とクレーコートマスターズの3大会連続優勝を果たし、特にマドリードの決勝戦ではフェデラー を6-4, 7-6で下し、膝の怪我から復活しつつあることを印象付けた。クレーコートマスターズの3大会を同年に全て制覇したのはナダルが史上初である。
また、全仏オープン において、全試合ストレート勝ちでの優勝を達成した。これは全仏男子テニス史上5度目(ボルグ2度・ナスターゼ 1度・ナダル2度)の快挙である。この翌日の6月7日付けのランキングにおいて1位に復帰した[5] 。
さらにウィンブルドン でも決勝に進出し、準々決勝でフェデラー 、準決勝でジョコビッチ を破ったトマーシュ・ベルディハ を6-3, 7-5, 6-4で破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。また全仏とウィンブルドンの同一年制覇も自身2度目である。
全米オープン では、決勝でジョコビッチ を6-4, 5-7, 6-4, 6-2で破り、悲願の全米初タイトルを手に入れた。これによりフェデラー に続き、4大大会年間3冠の偉業をなしとげている。
加えて男子7人目のキャリア・グランドスラムおよび男子2人目の「キャリア・ゴールデンスラム」 を達成。これは、グランドスラムのオープン化以降3人目で24歳3か月での達成は史上最年少 の記録である。
2010年10月の楽天ジャパン・オープン で初来日し、準決勝でビクトル・トロイツキ にマッチポイントを握られながらも、7-6, 4-6, 7-6で制した。決勝ではガエル・モンフィス に6-1, 7-5で快勝して初来日を優勝で飾った。
最終戦のATPワールドツアー・ファイナルズ で初めて決勝に進出したが、フェデラー に3-6, 6-3, 1-6で敗れた。
2011年 全仏V6 デビス杯V4
2011年全豪オープン にて
4大大会4連続優勝を目指した1月の全豪オープン では準々決勝でダビド・フェレール に4-6, 2-6, 3-6で敗れた。3月のインディアンウェルズ・マスターズ とマイアミ・マスターズ では決勝でジョコビッチ に敗れ準優勝となった。4月のモンテカルロ・マスターズ ではフェレール を6–4, 7–5で破り、オープン化以降では史上初となる同一大会7連覇を達成した。5月のマドリード・マスターズ 、ローマ・マスターズ でも決勝に進み、史上初めてATPワールドツアー・マスターズ1000 で5大会連続決勝進出という記録を達成したが、またしてもジョコビッチ に敗れた。
全仏オープン では、決勝でフェデラー を7-5, 7-6(3), 5-7, 6-1で破り、全仏ではビョルン・ボルグ に並ぶ6回目の優勝を飾った。
ウィンブルドン では、決勝でジョコビッチ に4–6, 1–6, 6–1, 3–6で敗れ、大会2連覇は成らなかった。全米オープン でも決勝でジョコビッチ に2–6, 4–6, 7–6(3), 1–6で敗れ、2011年のジョコビッチ 戦に6戦全敗となってしまった。 楽天ジャパン・オープン で2年連続で来日したが、決勝でマリー に6–3, 2–6, 0–6で敗れ連覇を逃した。
2012年 全仏V7 怪我で休養
全豪オープン 決勝では、昨年のウィンブルドン決勝から3大会連続でジョコビッチ と対戦となり、7-5, 4-6, 2-6, 7-6(5), 5-7で敗れ、3大会連続で4大大会優勝を逃した。この試合は、グランドスラムの決勝史上最長となる5時間53分に及んだ。
4月のモンテカルロ・マスターズ では決勝でジョコビッチ を6-3, 6-1で破りジョコビッチ 戦の連敗を7で止め大会8連覇を果たした。全仏オープン 決勝では、再びジョコビッチ との対戦となり、6-4, 6–3, 2–6, 7–5で破り3年連続7度目の優勝を果たし、オープン化以降ではビョルン・ボルグ を抜き、全仏オープン最多優勝記録を更新した。
しかし、続くウィンブルドン では当時ランク100位のルカシュ・ロソル にフルセットの末敗れ、2005年以来7年ぶりの2回戦敗退となった。大会後、膝の怪我によりロンドンオリンピック 出場を断念し、開会式のスペイン選手団の旗手も辞退した。その後も怪我が回復せず、全米オープン、上海マスターズ、パリマスターズ、年間最終戦も欠場し年後半戦の主要大会全てを欠場することとなってしまった。
2013年 GS2冠・世界1位に復活
全豪オープン は胃の感染症を理由に欠場。2月、復帰初戦のVTRオープン では単複ともに決勝まで進出するも、シングルスでは世界ランク73位のオラシオ・セバジョス に7-6, 6-7, 4-6で敗れるなど、どちらも準優勝に終わった。翌週のブラジル・オープン で復帰後初優勝を飾ると、アビエルト・メキシコ・テルセル 、BNPパリバ・オープン で優勝。ヨーロッパクレーシーズンは、モンテカルロ・マスターズ 決勝でジョコビッチ に2-6, 6-7で敗れ大会9連覇とはならなかった。しかしその後のバルセロナ・オープン・バンコ・サバデル 、マドリード・マスターズ 、BNLイタリア国際 の3大会で優勝。復帰してから全仏オープンまでで出場した8大会全てにおいて決勝進出し、そのうち6大会で優勝するなど完全復活を果たす。
全仏オープン では、準決勝で第1シードのジョコビッチ に6-4, 3-6, 6-1, 6(3)-7, 9-7、4時間37分に及ぶフルセットで勝利し、決勝ではフェレール をストレートで下して大会2度目の4連覇と8度目の優勝を達成。グランドスラム1大会における8回の優勝は史上初であり、また、ギリェルモ・ビラス が保持していた全仏オープンでの最多マッチ勝利数を更新する59勝目を挙げた。
ウィンブルドン では、1回戦で当時世界ランク135位のスティーブ・ダルシス に6-7, 6-7, 4-6で敗退してしまう。ナダルが4大大会初戦で敗退するのはプロ転向後初めてのことだった。しかし、その後の北米ハードコートシーズンでは好調さを取り戻し、ロジャーズ・カップ では決勝で地元勢のミロシュ・ラオニッチ を、翌週のシンシナティ・マスターズ でも決勝で地元勢のジョン・イズナー を下し、ハードコートのマスターズ大会で2週連続優勝を果たした。
全米オープン でも決勝に進出。ジョコビッチ に6-2, 3-6, 6-4, 6-1のセットカウント3-1で勝利し優勝。歴代単独3位となる4大大会13勝目を挙げた。その後のチャイナ・オープン では決勝でジョコビッチ に敗退。上海マスターズ 、パリ・マスターズ では、デルポトロ とフェレール にいずれも準決勝で敗れた。
ATPワールドツアー・ファイナルズ ではラウンドロビン全勝で3年ぶりに決勝まで勝ち進むも、ジョコビッチ に敗れ準優勝に終わった。それでも2013年は10大会で優勝し、3年ぶりにシーズンランキング1位に輝き[5] 、自身初の年間勝率90%超えを果たした。また1シーズンにおける獲得賞金が1456万915ドルにのぼり、前年度のジョコビッチ の記録を上回る歴代最多記録を更新した。
2014年 全仏5連覇V9 怪我で再故障
年初にカタール・エクソンモービル・オープン で優勝し通算61勝目を挙げた。続く全豪オープン では、失セット数1と安定したプレーで決勝に進出。決勝では4大大会初の決勝進出を果たした第8シードのスタン・ワウリンカ と対戦。過去12戦全勝と相性の良い相手ではあったが、試合中に負った怪我の影響や、ワウリンカ の攻撃的なプレーに屈し3-6, 2–6, 6-3, 3-6で敗退し準優勝に終わった。2月開催のリオ・オープン では、決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフ を破り優勝。3月、BNPパリバ・オープン では3回戦でドルゴポロフ に、マイアミ・マスターズ では、決勝でジョコビッチ に敗退した。クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ とバルセロナ・オープン の2大会では、過去9年間決勝進出を逃したことはなかったが、両大会とも準々決勝で敗退した。マドリード・マスターズ では決勝まで勝ち進み、錦織圭 の途中棄権により4度目優勝を果たした。ローマ・マスターズ では決勝でジョコビッチ に敗退。
全仏オープン では決勝まで進み、キャリアグランドスラムを狙うジョコビッチ を3-6, 7-5, 6-2, 6-4で破り、全仏5連覇と9度目の優勝及びピート・サンプラス に並ぶグランドスラム14勝目を挙げた。芝シーズンでは振るわず、前哨戦のゲリー・ウェバー・オープン で初戦敗退、ウィンブルドン では4回戦でニック・キリオス に敗退した。その後の北米マスターズ2大会と全米オープンは手首の怪我により欠場することとなった。10月チャイナ・オープン で復帰を果たすが、上海マスターズ 、スイス・インドア を含め3大会で準決勝までに敗退した。ATPワールドツアー・ファイナルズ は虫垂炎 の手術により欠場を表明した。
2015年 長期的な不調 世界5位
2015年
1月はカタール・エクソンモービル・オープン ダブルスで優勝。第3シードで出場した全豪オープン では準々決勝でそれまで17連勝していたトマーシュ・ベルディハ に敗北。2月のリオ・オープン では準決勝でファビオ・フォニーニ に逆転負けを喫した。3月はアルゼンチン・オープン で優勝。BNPパリバオープン ではミロシュ・ラオニッチ に敗れベスト8。マイアミ・マスターズ 直前の練習で足首を捻挫するも大会に出場。同じスペイン人選手のフェルナンド・ベルダスコ に敗れる。第3シードで出場したモンテカルロ・マスターズ は準決勝でジョコビッチ に敗れた。バルセロナ・オープン では3回戦でまたもファビオ・フォニーニ に敗れた。2連覇中のマドリード・オープン では決勝に進出するもマリー に敗れた。5月11日に発表された世界ランキングで7位に転落し2005年5月2日以来10年ぶりのトップ5落ちとなった[6] 。6大会連続決勝進出中のBNLイタリア国際 では準々決勝でワウリンカ に敗れた。これにより全仏オープン 自身初となる第5シード以下での出場が確定。またモンテカルロ ・マドリード ・ローマ のクレーコートマスターズ1000 大会でいずれも優勝できないまま全仏オープン に出場するのも自身初となる[7] 。
迎えた全仏オープン では第6シードで出場。準々決勝で第1シードジョコビッチ と対戦。2人がグランドスラム のベスト8以下で対戦するのは公式戦初対決の2006年全仏 以来9年ぶり。結果はナダルが5-7, 3-6, 1-6のストレートで敗れ、全仏では2009年 のロビン・セーデリング 戦以来6年ぶりの敗北。全仏通算2敗目となり、連続優勝記録は5連覇でストップした。6月8日のランキングでは10位に下降。世界ランク10位以下になるのは2005年4月18日以来約10年2か月ぶり。
6月のメルセデス・カップ では決勝でビクトル・トロイツキ に勝利し、5年ぶりに芝でのタイトルを獲得する。しかし、エイゴン選手権 では初戦でドルゴポロフ に敗れ、迎えたウィンブルドン選手権 では2回戦でダスティン・ブラウン に敗れ、ウィンブルドン選手権で4年連続で世界ランキング100位以下の選手に敗れることとなった。
7月のドイツ国際オープン では決勝でシーズン2度敗れたフォニーニ に勝利し、シーズン初のヨーロッパでのクレーコートでのタイトルを獲得した。10位だったランキングも8位まで戻し、またレースランキングでも6位につけるなど、復調の兆しも見せる。しかし、ロジャーズ・カップ では準々決勝で錦織圭 に2-6, 4-6で完敗、シンシナティ・マスターズ では3回戦でフェリシアーノ・ロペス に敗れた。
全米オープン では3回戦でフォニーニ に6-3, 6-4, 4-6, 3-6, 4-6で敗れた。フォニーニに敗れたのは今季3度目、ハードコートでは初敗北となった。チャイナ・オープン では準決勝で再びフォニーニ と対戦し、7-5, 6-3で勝利、決勝でジョコビッチ に2-6, 2-6で敗れた。上海マスターズ では準々決勝でワウリンカ に6-2, 6-1で勝利し、ハードコートのマスターズ では約1年7か月ぶりに準決勝進出。準決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガ に4-6, 6-0, 5-7で敗れた。
スイス・インドア では、決勝でフェデラー に3-6, 7-5, 3-6で敗れた。フェデラー との対戦は2014年全豪以来約2年ぶり、決勝では2013年5月から約2年半ぶり、敗北したのは2012年インディアンウェルズ・マスターズ 以来のことである。BNPパリバ・マスターズ では準々決勝でワウリンカ に6-7(8), 6-7(6)で敗れた。ATPワールドツアー・ファイナルズ では初戦でワウリンカ を6–3, 6–2で破ると、第2戦でマリー を6-4, 6-1で圧倒し、復活を印象付けた。準決勝ではジョコビッチ に3-6, 3-6で敗れた。年間最終ランキングは5位。
2016年 リオ五輪ダブルス金メダル
リオ五輪 にて
年初のカタール・エクソンモービル・オープン では、決勝で1-6, 2-6という一方的なスコアでジョコビッチに敗れ準優勝。全豪オープン では初戦でベルダスコ に6-7(6), 6-4, 6-3, 6-7(4), 2-6で敗れた。初戦敗退は全豪では初、グランドスラム全体でも2013年ウィンブルドン以来2回目。2月のアルゼンチン・オープン では準決勝でドミニク・ティーム に、リオ・オープン では準決勝でパブロ・クエバス に敗れた。
3月のBNPパリバ・オープン では準々決勝で錦織圭 を6-4, 6-3で破り、当大会3年ぶりに準決勝進出。準決勝でジョコビッチ に敗れた。マイアミ・オープン では初戦のダミル・ジュムール 戦を途中棄権した。4月のモンテカルロ・マスターズ ではティーム 、ワウリンカ 、マリー を破り、3年ぶりの決勝進出。決勝でガエル・モンフィス と対戦し7-5, 5-7, 6-0で勝利し、マスターズで2年ぶり、同大会4年ぶり9回目の優勝を果たした。翌週のバルセロナ・オープン では3年ぶりに決勝進出を果たし、決勝で錦織圭 に6-4, 7-5で勝利し、3年ぶり9度目の優勝を果たす。5月のマドリード・オープン では準決勝でマリーに敗れた。翌週のBNLイタリア国際 では準々決勝でジョコビッチ に敗れた。全仏オープン では2回戦でファクンド・バグニス に勝利し、グランドスラム200勝目を挙げる[8] 。しかし、3回戦を左手首の怪我のため棄権した[9] 。ナダルが全仏で2年連続で優勝できなかったのは自身初であった。全仏後の世界ランキングで2015年5月10日以来1年1か月ぶりに4位となった。しかし、左手首の怪我のためにウィンブルドン を含む芝シーズンの大会を欠場した[10] 。
リオ五輪 で復帰を果たす。スペイン選手団の旗手を務め、ダブルス ではマルク・ロペス と組んで決勝に進出。決勝でルーマニア のメルジャ /テカウ 組に6-2, 3-6, 6-4で勝利し、金メダルを獲得した。シングルス では準決勝でデルポトロ に7-5, 4-6, 6-7(5)で敗れた。3位決定戦では錦織圭 と対戦。第2セットでは2-5の劣勢から2度ブレークしセットを取るも、2-6, 7-6(1), 3-6で敗れた。
五輪翌週のシンシナティ・マスターズ では3回戦でボルナ・チョリッチ に敗れた。全米オープン では4回戦でリュカ・プイユ と4時間を超える激戦の末、1-6, 6-2, 4-6, 6-3, 6-7(6)で敗れた。チャイナ・オープン では準々決勝でグリゴール・ディミトロフ に、上海マスターズ では初戦でビクトル・トロイツキ に敗れた。上海マスターズ での初戦敗退後、左手首の怪我のリハビリのため、残りシーズンの欠場を表明した[11] 。
2017年 全仏V10 全米V3 世界1位復活
2017年全仏オープンでのラファエル・ナダル
復帰戦となる年初のブリスベン国際 では準々決勝でミロシュ・ラオニッチ に敗れた。全豪オープン では準々決勝でラオニッチに、準決勝でグリゴール・ディミトロフ に6-3, 5-7, 7-6(5), 6-7(4), 6-4で勝利し、グランドスラムでは2014年全仏オープン 以来の決勝進出を果たす。決勝ではロジャー・フェデラー とグランドスラムでは2014年全豪オープン 以来、グランドスラム決勝では2011年全仏オープン 以来となる対戦。4-6, 6-3, 1-6, 6-3, 3-6で敗れ、準優勝となった。
2月のメキシコ・オープン ではサム・クエリー に屈し準優勝。3月のBNPパリバ・オープン では4回戦で再びフェデラーと対戦し、2-6, 3-6で敗れた。続くマイアミ・オープン でも決勝でフェデラーと対戦し、3-6, 4-6で敗れて準優勝となった。
4月のモンテカルロ・マスターズ では決勝で同じスペインのアルベルト・ラモス=ビノラス に6-1, 6-3で勝利し、2017年シーズン初優勝となるモンテカルロ通算10回目の優勝を果たし、同時に通算70勝、さらにギリェルモ・ビラス を抜いて単独1位となるクレー通算50勝 を達成した。 その後バルセロナ・オープン とマドリード・マスターズ では、ともに決勝でドミニク・ティーム を破り優勝。しかし続くBNLイタリア国際 では第8シードのティームにリベンジを食らって準々決勝敗退となった。そして迎えた全仏オープン ではティーム、スタン・ワウリンカ などに勝利し、全試合ストレート勝利、失ゲーム数35という脅威の試合運びでグランドスラム史上初の同大会ラ・デシマ(スペイン語でV10)を達成[12] 。
2017年ウィンブルドン選手権でのラファエル・ナダル
ウィンブルドン では第4シードから順当に4回戦まで勝ち上がり、第16シードのジレ・ミュラー と対戦。2セットダウンから追いつく粘りを見せるも、最終セットで接戦の末13-15と敗れ、準優勝した2011年以来のベスト8進出を逃した。
ロジャーズ・カップ では世界ランク2位ながらアンディ・マリー の欠場により第1シードで参戦。3回戦で地元カナダの新星デニス・シャポバロフ 相手に敗退。しかしマリーに加え世界ランキング3位のフェデラーが次のウエスタン・アンド・サザン・オープン 欠場を表明したため、3年ぶりの世界1位復帰 が確定した。その大会では準々決勝でニック・キリオス に敗れた。そして全米オープン は、2014年全仏オープン以来となるグランドスラム第1シードとして出場。準々決勝で若手アンドレイ・ルブレフ を6-1, 6-2, 6-2で一蹴すると準決勝では、2009年の同大会覇者であり準々決勝でフェデラーを破ったフアン・マルティン・デル・ポトロ と対決し、これを4-6, 6-0, 6-3, 6-2で撃破。決勝ではケビン・アンダーソン を6-3, 6-3, 6-4のストレートで倒し、今シーズン2度目となる16度目の四大大会制覇を果たした。ハードコート大会での優勝は2014年開幕戦のカタール・エクソンモービル・オープン 以来約3年8か月ぶりのことであった。
全米優勝後初の大会はこの年初開催となったエキシビションマッチであるレーバーカップ 。長年のライバルのフェデラーとダブルスを組んでファンを沸かせ、またシングルスでも1勝を記録して欧州選抜チームの優勝に貢献した。アジアシリーズではまずチャイナ・オープン に参戦。準決勝では昨年の同大会で敗れたディミトロフに勝利すると、決勝でキリオスに6-2, 6-1で圧勝し12年ぶりに優勝した。続く上海マスターズ では準々決勝で再びディミトロフを、準決勝でマリン・チリッチ を破って2週連続の決勝進出。しかし決勝ではシーズン4度目の対戦となったフェデラーにまたしても敗れた。
スイス・インドア は上海から続く膝の状態悪化により欠場。しかし続くBNPパリバ・マスターズ で復帰すると2回戦で鄭現 を下し、30代選手としては初となる年間最終ランク1位 を確定させる。その後3回戦にも勝利したものの準々決勝を前に棄権した。
2年ぶりの出場となったATPファイナルズ では、ティーム、ディミトロフ、ダビド・ゴファン と同じグループに入った。初戦でゴファン相手にマッチポイント4本を凌ぐも、6-7(5), 7-6(4), 4-6のフルセットで敗れ、その後膝の負傷を理由に同大会からの棄権を表明した。年間最終ランキングは1位。
2018年 全仏2連覇V11
2017年シーズンに負傷した足の状態が心配される中の出場であったが、全豪オープン では順当に勝ち上がり、4回戦でディエゴ・シュワルツマン を破り準々決勝に進出。しかしマリン・チリッチ との試合ではセットカウント2-1とリードした第4セットで足を故障し、必死のプレーを見せるが第5セットを0-2とリードされた時点で棄権しベスト8となった。またその負傷が長引いたことにより、出場を予定していたメキシコ・オープン 、BNPパリバ・オープン 、マイアミ・オープン の3大会を辞退し、春の北米ハードシーズンはスキップすることとなった。その間にロジャー・フェデラー に一時的に世界ランキング1位を奪還されたものの、フェデラーのポイント失効によりマイアミ終了後に5度目のランキング1位となる。
デビスカップ 準々決勝のドイツ戦で復帰し、フィリップ・コールシュライバー とアレクサンダー・ズベレフ を破って順調な滑り出しを見せる。
モンテカルロ・マスターズ では錦織圭 を6-3, 6-2のストレートで破りマスターズ1000シリーズ単独1位となる31勝目を飾った。続くバルセロナ・オープン では決勝でステファノス・チチパス を6-2, 6-1のスコアで圧倒しモンテカルロに続くウンデシマ(スペイン語でV11)を達成。マドリード・オープン では、3回戦でシュワルツマンに勝利し、クレーコートでの連続セット取得を50として、1984年にジョン・マッケンロー がカーペットコートで打ち立てた同一サーフェスの連続セット取得記録を34年振りに更新した。しかし続く準々決勝のドミニク・ティーム 戦で第1セットを奪われ、奇しくも昨年ローマ で同選手に敗れて以来続いていた記録がストップすると、そのまま第2セットも落としてストレートで敗北。再びフェデラーに世界ランク1位の座を譲ることとなった。1週間後のローマ・マスターズでは、準々決勝で地元イタリアのファビオ・フォニーニ と対戦。2015年には1年間で3度の敗戦(うち2つはクレーコート)を喫したこともあるフォニーニに苦戦を強いられたものの、逆転で撃破してベスト4進出を果たす。準決勝で長年のライバルであるノバク・ジョコビッチ に対して通算25回目となる勝利を収め決勝進出。決勝では連覇を狙うA. ズベレフを6-1, 1-6, 6-3のフルセットで下し5年ぶり8度目の優勝、ランキングも1週で1位に返り咲いた。
そして迎えた全仏オープン では4回戦まで順当に勝ち上がり、続く準々決勝ではシュワルツマンに第1セットの奪われ今大会初めてセットを失うも、雨天で翌日に順延となってからは3セットを連取しベスト4に進出。準決勝ではフアン・マルティン・デル・ポトロ を6-4, 6-1, 6-2で圧倒した。決勝は過去2年のクレーで唯一敗北を喫しているティームとの対戦であったが、6-4, 6-3, 6-2のストレートで勝利を収め、全仏11度目の優勝を飾る。
第2シードで迎えたウィンブルドン選手権 では4回戦までストレートで勝ち進み、準々決勝で第5シードのデル・ポトロに7-5, 6-7(7), 4-6, 6-4, 6-4のフルセットで勝利して自身7年ぶりのベスト4へ進出。しかし4度目の優勝を狙う第12シードのジョコビッチとの2日間にわたる激闘の末4-6, 6-3, 6-7(9), 6-3, 8-10で敗北。自身6度目の決勝進出とはならなかった。
北米シーズンのロジャーズ・カップ では準々決勝でチリッチを2-6, 6-4, 6-4の逆転勝利で準決勝に駒を進めると、ロシア期待の若手カレン・ハチャノフ も下し決勝進出を決める。決勝では今大会TOP10を4人撃破し波に乗る新星ステファノス・シチパス と対戦、
6-2, 7-6(4)で勝利し、5年ぶり4度目の優勝を果たした。ハードコートでのマスターズ制覇は2013年のシンシナティ・マスターズ 以来のことである。そして、この大会の優勝の後、身体の休養を理由にシンシナティの辞退を発表した。
2018年全米オープンでのラファエル・ナダル
迎えた全米オープン には第1シードで参戦。3回戦のハチャノフ戦でメディカルタイムアウトを取るなど膝の状態が不安視されたが順当に勝ち上がり、4回戦のニコロズ・バシラシビリ 戦も勝利してベスト8に進出する。準々決勝ではクレーコートのライバルであるティームとハードで初対戦。第1セットを0-6で一方的に落としたもののそこから驚異の立ち直りを見せ、0-6, 6-4, 7-5, 6-7(4), 7-6(5)で4時間48分に及ぶ戦いを制した。続く準決勝ではデル・ポトロとグランドスラムで3大会連続相まみえることとなったが、2セットを先行されたところで膝が限界を迎えて棄権、自身初の全米連覇は叶わなかった。
その後アジアシーズンは前述の負傷により全休。パリ・マスターズ もエントリーこそしたものの大会前に棄権、ATPファイナルズ も辞退を表明しシーズンを終了した。この間にジョコビッチが世界ランキング1位に返り咲いたため、年間最終ランクは2位。
2019年 全仏3連覇V12 全米V4 デビス杯V5
出場予定だったブリスベン国際 をスキップし万全を期して挑んだ全豪オープン では、3回戦でアレックス・デミノー 、準々決勝でフランシス・ティアフォー 、準決勝でステファノス・チチパス と期待の若手を次々と倒して全試合ストレート勝利で決勝進出。しかし決勝では第1シードのノバク・ジョコビッチ に3-6, 2-6, 3-6と完敗、2年ぶり4度目の準優勝に終わった。BNPパリバ・オープン の準決勝を右膝の負傷で棄権すると、マイアミ・オープン は欠場。
復帰戦のモンテカルロ・マスターズ では準決勝でファビオ・フォニーニ に4-6, 2-6で敗れ、大会4連覇を逃した。試合後、「クレーでは過去14年で最悪の試合の一つだった」と語った[13] 。続くバルセロナ・オープン ではドミニク・ティーム に、マドリード・マスターズ では対戦成績無敗のステファノス・チチパス に敗れクレーの大会でまさかの3大会連続準決勝敗退となった。全仏オープンの前哨戦であるローマ・マスターズ では不調から脱し、全試合ストレート勝ちで決勝に進出、決勝では世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ を6-0, 4-6, 6-1で下し今シーズン初の優勝を果たした。迎えた全仏オープンでは、準々決勝で錦織圭 を6-1, 6-1, 6-3のストレートで破ると、準決勝では最大のライバルでもあるロジャー・フェデラー を6-3, 6-4, 6-2で破り決勝進出。決勝では2年連続同一カードとなったドミニク・ティーム に6-3, 5-7, 6-1, 6-1で勝利し、3連覇・12回目の優勝を果たした。
ウィンブルドン選手権 は2月のメキシコ・オープン で敗れたニック・キリオス を2回戦で下すと、準々決勝ではサム・クエリー を破り2年連続でベスト4進出。準決勝では、ウィンブルドンでは2008年以来、11年ぶりの対戦となったフェデラーに6-7(3), 6-1, 3-6, 4-6で敗れ、全仏のリベンジを果たされた。ロジャース・カップ では、決勝でダニール・メドベージェフ を6-3, 6-0と圧倒し、自身初となるハードコート大会での連覇を達成した。メドベージェフとは続く全米オープン の決勝でも対戦し、7-5,6-3,5-7,4-6,6-4の、全米決勝で最長となる4時間50分に及ぶ死闘を制し、4度目の優勝を成し遂げている。
アジアシーズンを全休し迎えたBNPパリバ・マスターズ では準決勝まで順当に勝ち上がっものの準決勝のデニス・シャポバロフ 戦の直前に腹筋の炎症により棄権、最終戦のATPファイナルズ の出場に不安を残す形となった。迎えた最終戦は2勝1敗ながらラウンドロビン敗退に終わったが、フェデラー、ジョコビッチと並ぶ通算5度目の年間1位が確定した[14] 。
デビスカップでは8試合に出場して全勝する大車輪の活躍で優勝に大きく貢献した[15] 。
2020年 全仏4連覇V13 全仏通算100勝 GS20勝 通算1000勝
ATPカップ は8試合に出場する貢献ぶりを見せたが、セルビアとの決勝ではジョコビッチに敗れ、チームも準優勝だった。全豪オープン では4年連続ベスト8入りしたが、準々決勝でティエムに敗れた。2月下旬のメキシコ・オープン で優勝。その直後より新型コロナウイルス感染症流行の影響でツアーが中断に。中断期間にはフェデラーらとのライブチャットを配信した[16] 。再開後も感染への懸念から全米オープン を含むアメリカでの大会を欠場[17] 。その後異例の時期に行われたクレーシーズンで復帰したが、初戦の9度制しているBNLイタリア国際 では準々決勝でディエゴ・シュワルツマン に敗北した。
この年の全仏オープンは普段と季節の異なる9月に開催されたため、「寒さ」という新たな敵が出現した。さらには、今大会からボールがバボラ社製からウィルソン社製に変更され、ボールが重くなってスピンがかけにくくなり、スピンボールを多用するナダルにとって不利な条件下での戦いを強いられた。それでも、全仏オープン では準々決勝まで全試合ストレートで勝ち上がると、準決勝では前哨戦で破れたディエゴ・シュワルツマン に6-3, 6-3, 7-6(7-0)で快勝。その後のジョコビッチとの決勝戦では、6-0, 6-2, 7-5のスコアでジョコビッチを圧倒し、前人未到の全仏オープン13度目の優勝。2017年全仏オープン以来の失セット数0での優勝となった。この勝利で、ツアーマッチ通算999勝目、クレー通算タイトル60勝目、全仏オープンマッチ通算100勝目、自身3度目の全仏4連覇を達成した。また、グランドスラム通算20勝目となりロジャー・フェデラーと並んで歴代1位に浮上した。
パリ・マスターズ では、2回戦でフェリシアーノ・ロペス に4-6, 7-6(7-5), 6-4で逆転勝利し、史上4人目のシングルス通算1000勝を達成した[18] 。ATPファイナルズはベスト4。年末順位は2位。
2021年 全仏3度目の敗退
全豪オープン は8強入りしたが、準々決勝でステファノス・チチパス に2セットアップからの逆転負けを喫した。以降は背中の負傷で欠場し、4月のモンテカルロ・マスターズ で復帰。続くバルセロナ・オープン・バンコ・サバデル で、好調ステファノス・チチパス をマッチポイントを握られる接戦の末下し12度目の優勝[19] 。BNLイタリア国際 でも、ズベレフら若手を倒して決勝に進み、決勝ではジョコビッチを制し、同大会10勝目を果たした[20] 。全仏オープン は順当に勝ち上ってベスト4入りしたが、準決勝でジョコビッチに6-3, 3-6, 6-7(4), 2-6で敗れ、5連覇・14勝目を逃してしまった[21] 。全仏で敗れるのは6年ぶりにして自身3度目のことであり、前回も対ジョコビッチだった。大会後、自身の体のことを考え、ウィンブルドン選手権と東京オリンピック を欠場することを発表した[22] 。8月20日に足のケガで今季終了することを報告した[23] 。
2022年 13年ぶり全豪優勝 ダブルグランドスラム達成 全仏V14・GS22勝目
1月、メルボルン・サマー・セット (英語版 ) で始動し、決勝でマキシム・クレッシー を7-6(6), 6-3のストレートで優勝[24] 。迎えた全豪オープン では準々決勝での第14シードのデニス・シャポバロフ 戦で、2セットアップから追いつかれたものの、ここを3-6, 4-6, 4-6, 6-3, 6-3のフルセットで勝ち切ると、準決勝で第7シードのマッテオ・ベレッティーニ を6-3, 6-2, 3-6, 6-3で下して、決勝の第2シードのダニール・メドベージェフ 戦では2-6, 6-7(5), 6-4, 6-4, 7-5と2セットダウンからの逆転勝ちを収め、同大会2度目の優勝を果たした。また、グランドスラム 大会の優勝回数を単独最多の21回に更新、ダブル・グランドスラムも記録した[25] 。
2月のメキシコ・オープン はすべてストレート勝ちで制覇[26] 。
3月、BNPパリバ・オープン でも、準決勝でカルロス・アルカラス を下して、開幕20連勝とした[27] 。しかし、決勝ではテイラー・フリッツ に3-6, 6-7(5)のストレートで敗れ、連勝は止まった[28] 。大会後、試合中に訴えていた胸の痛みの原因は胸部の疲労骨折 だったことが判明し、最大で6週間離脱すると発表した[29] 。
5月、ムチュア・マドリード・オープン で復帰。準々決勝で同胞のアルカラスに2-6, 6-1, 3-6で敗れた[30] 。続くBNLイタリア国際 では3回戦でシャポバロフに6-1, 5-7, 2-6で逆転負けをし、足の状態が悪いことが露呈した[31] 。
全仏オープン では、4回戦でフェリックス・オジェ=アリアシム を3-6, 6-3, 6-2, 3-6, 6-3のフルセットで下すと[32] 、準々決勝では前年王者のノバク・ジョコビッチ を6-2, 4-6, 6-2, 7-6(4)で破り、準決勝進出[33] 。準決勝では7-6(8), 6-6とリードした所でアレクサンダー・ズベレフ が右足首の負傷によって途中棄権を申し入れ、ナダルの決勝進出が決まった[34] 。決勝では初のグランドスラム決勝進出を決め、ナダルのアカデミーで練習してきたキャスパー・ルード との初対戦[35] 。ルードを6-3, 6-3, 6-0で下し、大会最多14度目の優勝及びグランドスラム大会の男子最多記録となる22度目の優勝となった[36] 。36歳での優勝は同大会男子シングルスの最年長記録[36] 。
年間グランドスラムへの資格を得て挑んだウィンブルドン選手権 でも勝ち上がっていたが[37] 、準々決勝のテイラー・フリッツ 戦で腹部を負傷。試合は続行し、3-6, 7-5, 3-6, 7-5, 7-6(4)と最終セットタイブレークを制してベスト4入りしたが[38] 、翌日、ニック・キリオス との準決勝の棄権を発表した[39] 。
8月、ウエスタン・アンド・サザン・オープン で復帰するも、2回戦でボルナ・コリッチ に6-7(9), 6-4, 3-6で敗れた。全米オープン では4回戦でフランシス・ティアフォー に4-6, 6-4, 4-6, 3-6で敗退。ATPファイナルズは1勝2敗でラウンドロビン敗退。年末順位は2位だった。
2023年 20年ぶりトップ100圏外
1月、連覇をかけた全豪オープン では2回戦でマッケンジー・マクドナルド に4–6, 4–6, 5–7のストレートで敗退し、自身初めて同大会2回戦で姿を消した。大会後の検査で、股関節の負傷により長期離脱することになった[40] 。
3月、3月20日付けの世界ランキングで13位となり、約18年ぶりにトップ10から外れた[41] 。
5月、5月19日、キャリア初の全仏オープン 欠場の発表と、来季限りでの引退を示唆した[42] 。
6月、6月12日には世界ランク136位に下がり、20年ぶりのトップ100圏外となった[43] 。以降も試合に出場することなく、年内全休となる。年間最終ランキングは670位。
2024年 引退示唆
12月31日から始まったブリスベン国際 で復帰[44] しベスト8まで進出。しかし準々決勝のジョーダン・トンプソン 戦第3セット途中に左足を負傷し逆転負け。その影響を受けて全豪オープンを欠場した。クレーシーズンからツアーに復帰。最後の可能性が高い全仏オープンの1回戦では第4シードのアレクサンダー・ズベレフ に3-6, 6-7(5), 3-6のストレートで破れ全仏初の初戦敗退で全仏通算4敗目を喫した。
プレースタイル
守備範囲の広さと攻撃の多様さで知られる史上屈指の選手の1人[45] 。
強烈で重いトップスピン のグランドストローク、速く持続力のあるフットワーク 、そして粘り強い守備を武器にしたアグレッシブ・カウンターパンチャー。高い予測能力で一見届かないと思われたボールも打つことができる守備力を持つ。また、重いトップスピンで相手を後方に追いやった後のドロップショットも武器。[46]
非常にスイングスピードが速く、通常のラリーの中から一発でウィナーを取れるだけのパワーを持っている。低い打点からボールを引きつけ完璧な構えから打つことで全身のパワーを乗せることができ、効率の良い身体の使い方と天性のバネにより、抜群のスイング・スピードを生み出している。[47]
ストロークにおいてとりわけ異彩を放っているのは、スピンとスピードが他の誰よりも高次元で両立していることである。ナダルは高低差の激しいボールを打つがそのショットはスピードにあふれ、かつバウンドは極端に高く弾む。テイクバックは小さめでコンパクトなスイングでハードヒットしているため、クレーコートの遅くイレギュラーが多く良く弾むコートを非常に得意としておりリターンにも強い。[48]
エピソード
記録
全期間
大会
開始年
記録
他記録者
全大会
1877
一つの大会で8連覇(モンテカルロ・マスターズ)
単独記録
グランドスラム
1877
ダブルキャリアグランドスラム(2005仏 - 2022豪)
男子シングルス優勝回数歴代2位 「22回」(2005仏 - 2022仏)
ノバク・ジョコビッチ
男子シングルス決勝進出回数歴代2位 「30回」
-
一つの男子グランドスラム大会で14回優勝(全仏オープン)
単独記録
10年連続でグランドスラム大会のいずれかに優勝(2005 - 2014)
単独記録
失セット数0で優勝 「4回」
単独記録
同じ年に3つの異なるサーフェスのグランドスラムで優勝した男子選手(2010)
1897
男子シングルス最多優勝「11回」
単独記録
1925
男子シングルス最多優勝「14回」
単独記録
1930
男子シングルス最多優勝「10回」
単独記録
1953
男子シングルス最多優勝「12回」
単独記録
1990
男子シングルス最多優勝「5回」
単独記録
1970
10年連続でマスターズのいずれかに優勝(2005 - 2014)
単独記録
21大会連続で準々決勝に進出(2008 - 2010)
単独記録
ローマ・マスターズに17年中10回優勝(2005 - 2021)
単独記録
オープン化以降
期間
グランドスラム記録
他記録者
2005 全仏 — 2010 全米
キャリアゴールデンスラム
アンドレ・アガシ
[62]
2005 全仏 — 2010 全米
キャリアグランドスラム
ロッド・レーバー アンドレ・アガシロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ
[63]
2005 全仏 — 2010 全米
最年少キャリアグランドスラム(24歳)
単独記録
[63] [64]
2005 全仏 — 2010 全米
ハード、クレー、芝の大会それぞれで2回以上優勝
マッツ・ビランデルbr ノバク・ジョコビッチ
[63]
2005 全仏 — 2022 全仏
1つの大会で14回優勝
単独記録
2005–2014
10年連続でいずれかの大会で優勝
単独記録
[65]
2010 全仏 — 2010 全米
同じ年にハード、クレー、芝の大会で優勝
単独記録
[66]
2007 全仏 — 2020 全仏
1セットも落とさずに決勝進出「7回」[注釈 1]
単独記録
[69] [70]
2008 全仏 — 2009 全豪
クレー、芝、ハードコートのタイトルを同時保持
ロジャー・フェデラー
[71]
2008 全仏— 2009 全豪
クレー、芝、ハードコート、オリンピックのタイトルを同時保持
単独記録
[72]
2008 全英— 2008 オリンピック
オリンピック金メダルとウィンブルドンタイトル同時保持
アンディ・マリー
グランドスラム
期間
グランドスラム記録
他記録者
全仏
2005–2022
最多優勝「14回」
単独記録
[73]
全仏
2010–2014
5連覇
単独記録
[73]
全仏
2005–2022
最多決勝進出「14回」
単独記録
[74]
全仏
2010–2014
5年連続決勝進出
単独記録
[75]
全仏
2005–2022
最多準決勝進出「15回」
単独記録
[73]
全仏
2017–2022
6年連続準決勝進出
ノバク・ジョコビッチ
全仏
2005–2022
最多勝利 「112勝」
単独記録
[76]
全仏
2010–2014
35連勝
単独記録
[73]
全仏
2005–2020
最高勝率「98.0%」(100–2)
単独記録
[77]
全仏
2008, 2010, 2017, 2020
1セットも落とさずに優勝「4回」
単独記録
[73]
全仏
2005
初出場で優勝
マッツ・ビランデル
[78]
期間
記録
他記録者
マスターズ1000記録
2005–2019
マスターズ優勝 「35回」
単独記録
[79]
2013
マスターズ1000で4大会連続優勝
ノバク・ジョコビッチ
2013
1シーズンで8回準決勝進出
ノバク・ジョコビッチ
2005–2013
全てのマスターズ1000の決勝に進出経験
ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ
2010
クレースラム[80]
単独記録
[81]
2005–2018
モンテカルロ・マスターズ優勝「11回」
単独記録
2005–2019
ローマ・マスターズ優勝 「9回」
単独記録
2005–2017
マドリード・オープン優勝 「5回」
単独記録
2005–2019
マスターズ異なる3大会で優勝「5回以上」(モンテカルロ、ローマ、カナダ)
ノバク・ジョコビッチ
他記録
2005–2007
クレーコート 「81連勝」
単独記録
[82] [83]
2004–2013
世界ランキング1位の選手に19勝
ボリス・ベッカー
2002–2014
クレーコート勝率 「92.98%」(318–24)
単独記録
[84]
2002–2014
屋外コート勝率「85.83%」(639–106)
単独記録
[85]
2005–2013
4つの異なる大会で7回以上優勝
単独記録
[69] [86]
2005–2012
1つの大会で8連覇(モンテカルロ)
単独記録
[87]
2004–2006
ティーンエージャーで16回優勝
ビヨン・ボルグ
[88]
2005–2021
バルセロナ・オープン優勝「12回」
単独記録
連勝記録
4大大会優勝
全豪オープン :2勝(2009・22年)〔準優勝4度:2012年・14年・17年・19年〕
全仏オープン :14勝(2005年 - 08年、10年 - 14年、17年 - 20年、22年) ※2010年 - 14年 大会5連覇
ウィンブルドン :2勝(2008年・10年)〔準優勝3度:2006年・07年・11年〕
全米オープン :4勝(2010年・13年・17年・19年)〔準優勝1度:2011年〕
年
大会
対戦相手
試合結果
2005年
全仏オープン
マリアノ・プエルタ
6-7, 6-3, 6-1, 7-5
2006年
全仏オープン
ロジャー・フェデラー
1-6, 6-1, 6-4, 7-6
2007年
全仏オープン
ロジャー・フェデラー
6-3, 4-6, 6-3, 6-4
2008年
全仏オープン
ロジャー・フェデラー
6-1, 6-3, 6-0
2008年
ウィンブルドン
ロジャー・フェデラー
6-4, 6-4, 6-7, 6-7, 9-7
2009年
全豪オープン
ロジャー・フェデラー
7-5, 3-6, 7-6, 3-6, 6-2
2010年
全仏オープン
ロビン・セーデリング
6-4, 6-2, 6-4
2010年
ウィンブルドン
トマーシュ・ベルディハ
6-3, 7-5, 6-4
2010年
全米オープン
ノバク・ジョコビッチ
6-4, 5-7, 6-4, 6-2
2011年
全仏オープン
ロジャー・フェデラー
7-5, 7-6, 5-7, 6-1
2012年
全仏オープン
ノバク・ジョコビッチ
6-4, 6-3, 2-6, 7-5
2013年
全仏オープン
ダビド・フェレール
6-3, 6-2, 6-3
2013年
全米オープン
ノバク・ジョコビッチ
6-2, 3-6, 6-4, 6-1
2014年
全仏オープン
ノバク・ジョコビッチ
3-6, 7-5, 6-2, 6-4
2017年
全仏オープン
スタン・ワウリンカ
6-2, 6-3, 6-1
2017年
全米オープン
ケビン・アンダーソン
6-3, 6-3, 6-4
2018年
全仏オープン
ドミニク・ティーム
6-4, 6-3, 6-2
2019年
全仏オープン
ドミニク・ティーム
6-3, 5-7, 6-1, 6-1
2019年
全米オープン
ダニール・メドベージェフ
7-5, 6-3, 5-7, 4-6, 6-4
2020年
全仏オープン
ノバク・ジョコビッチ
6-0, 6-2, 7-5
2022年
全豪オープン
ダニール・メドベージェフ
2-6, 6-7, 6-4, 6-4, 7-5
2022年
全仏オープン
キャスパー・ルード
6-3, 6-3, 6-0
成績
略語の説明
W
F
SF
QF
#R
RR
Q#
LQ
A
Z#
PO
G
S
B
NMS
P
NH
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
グランドスラム大会
※2016年全仏オープン3回戦、2022年ウィンブルドン準決勝の不戦敗、2019年全米オープン2回戦の不戦勝は通算成績に含まない。
大会最高成績
大会
成績
年
ATPファイナルズ
F
2010, 2013
インディアンウェルズ
W
2007, 2009, 2013
マイアミ
F
2005, 2008, 2011, 2014, 2017
モンテカルロ
W
2005–2012, 2016–2018
マドリード
W
2005, 2010, 2013, 2014, 2017
ローマ
W
2005–2007, 2009, 2010, 2012, 2013, 2018, 2019, 2021
カナダ
W
2005, 2008, 2013, 2018, 2019
シンシナティ
W
2013
上海
F
2009, 2017
パリ
F
2007
ハンブルク
W
2008
オリンピック
G
2008
デビスカップ
W
2004, 2008 , 2009 , 2011 , 2019
ATPカップ
F
2020
受賞歴
ITFワールドチャンピオン(2008、2010)
ATP最優秀選手賞(2008、2010、2013)
ゴールデンベーグル賞(2005、2008-2009)
ローレウス世界スポーツ賞 (2011)
アストゥリアス公 スポーツ賞(2008)
ATPステファン・エドベリ スポーツマンシップ賞(2010、2018-2019)
BBC海外スポーツパーソナリティ賞(2010)
スペイン スポーツマン賞(2006、2008、2013)
レキップ チャンピオンオブ・チャンピオン賞(2010、2013)
ESPY最優秀選手賞(2011、2014)
アーサー・アッシュ ヒューマニタリアン賞(2011)
ATPカムバック賞(2013)
ATP最優秀新人賞(2003)
ATP Most Improved Player(2005)
ローレウスカムバック賞(2014)
関連項目
脚注
注釈
^ The finals Nadal reached without losing a set were the 2007全仏,[67] 2008, 2010 & 2012 全仏 、 2010 全米[68]
出典
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外部リンク
タイトル
先代 ロジャー・フェデラー ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ アンディ・マリー ロジャー・フェデラー ロジャー・フェデラー ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ
世界ランキング1位 2008年8月18日 – 2009年7月5日 2010年6月7日 – 2011年7月3日 2013年10月7日 – 2014年7月6日 2017年8月21日 – 2018年2月18日 2018年4月2日 – 2018年5月13日 2018年5月21日 – 2018年6月17日 2018年6月25日 – 2018年11月4日 2019年11月4日 – 現在
次代 ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ ノバク・ジョコビッチ ロジャー・フェデラー ロジャー・フェデラー ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ -
テニス男子シングルス世界ランキング1位
1973年8月23日のATPランキング 導入以降の記録
(最初に在位した年-最後に在位した年 - 在位総週)
2022年9月12日付、その1位は強調●表示,
ラファエル・ナダル 獲得タイトル
ウィンブルドン(オープン化以後)男子シングルス優勝者
ATPランキング スペイン男子シングルス(2023年6月26日付)
ATPランキング ヨーロッパ男子シングルス(2023年5月8日付)
2000年代 2010年代 2020年代
* 受賞後にドーピングが発覚したため受賞剥奪。
2000年代 2010年代 2020年代
※2006年までは年間最優秀新人選手
2000年代 2010年代 2020年代
* 受賞後にドーピングが発覚 したため受賞剥奪。