ゲイリー・クーパー(Gary Cooper、[gɛəri kúːpə][1][2]、本名: フランク・ジェームズ・クーパー、1901年5月7日 - 1961年5月13日)は、アメリカ合衆国モンタナ州ヘレナ出身の俳優。愛称はクープ。
経歴
両親ともにイングランド系。父親はイングランドのベッドフォードシャー州、母親は同イングランドのケント州出身。父親は著名な弁護士で、米国モンタナ州最高裁裁判官、かつ牧場主だった。ゲイリーはアイオワ州のグリネル大学で学ぶが卒業はせず[3]、両親の持つ牧場で働きながら商業デザイナーを目指して新聞に漫画を書くようになる。1924年秋、父親が裁判官を辞め親戚の財産後見人としてロサンゼルスに移ることになったため、母親らと共に移動することになった[4] 。
ロサンゼルスでセールスマン等の仕事に就くが長続きしなかった[4]。しかし、友人のツテでその191cmの長身を生かして1924年以降から西部劇映画のエキストラ出演を始め、俳優を志すようになる。1925年、名前をゲイリー・クーパーと変え[5]、1926年、『夢想の楽園』で本格的に映画デビューした。クーパーが小さな役で出演しているこの映画を見たパラマウント映画の製作本部長は「この男は、うしろ向きに立っているだけで女性ファンの心をつかむ」と見込んで契約した。1927年、『アリゾナの天地』で主役を演じてからは、しばらくは主にB級西部劇で活躍した。
1929年、『バージニアン』で西部劇スターとしての地位を確立する。そして翌年、マレーネ・ディートリヒと共演した『モロッコ』で世界的な大スターの仲間入りを果たす。また、1936年、『オペラハット』でアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、順調にキャリアを重ねていった。また、映画館主が選出するドル箱スターベスト・テンにおいて1937年から1957年の21年もの間に、19回もランキングされていた[注 1]。
その一方、1939年に大ヒットした『風と共に去りぬ』のレット・バトラー役をオファーされていたが、辞退している[6]。また、アルフレッド・ヒッチコックは1940年の『海外特派員』と1942年の『逃走迷路』にクーパーを希望したが、当時サスペンスは低俗なものとみなされていたためこれも断っている。しかし、前者の公開された『海外特派員』を見たクーパーは、オファーに応じて出演しておけばよかったと後悔したという。
大根役者と言われた時期もあったが、1941年に伝記映画『ヨーク軍曹』でアカデミー主演男優賞を獲得する。翌年、『打撃王』で再びアカデミー主演男優賞にノミネートされる。
1944年には自らのプロダクションを設立するが、『無宿者』を発表しただけで解散した。1949年には、駆け出しの女優だったパトリシア・ニールと不倫スキャンダルが発覚した。
1952年には『真昼の決闘』で二度目のアカデミー主演男優賞を獲得する。この際クーパー本人はアカデミー賞授賞式に出席せず、代理人としてジョン・ウェインがオスカー像を受け取った。
亡くなる直前、1960年にアカデミー名誉賞が贈られるなど、幸せな映画人生を送った。カンヌ国際映画祭は彼の死後、ゲイリー・クーパー賞を設立した。
私生活
1933年に美術監督のセドリック・ギボンズの姪で、元女優でソーシャライトのヴェロニカ・ヴァルフと結婚し、一人娘マリア・クーパー=ジャニス(画家。ピアニストのバイロン・ジャニスの夫人)をもうけた。1949年には『摩天楼』で共演した女優のパトリシア・ニールとの交際が発覚し、一時妻と別居していた。クーパーとパトリシアは3年間不倫関係にあった。彼女は妊娠したが、クーパーの妻はカトリック教徒であるため離婚に応じず、子供を中絶せざるをえなかった。それが明るみに出て大スキャンダルになった。その後二人は別れた。
1961年5月13日、前立腺癌で死去。60歳。一流監督に愛され、良き時代のアメリカを代表するスターでもあった。
出演作品
受賞とノミネート
余談
千葉真一はクーパーを尊敬する俳優として挙げており[13]、少年時代に『真昼の決闘』を何度も見ていたと語っている[14]。
ブルース・ウィリスは演技の手本としている俳優の一人にクーパーの名前を挙げている[15]。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ゲイリー・クーパーに関連する
メディアおよび
カテゴリがあります。
|
---|
1928–1940 | |
---|
1941–1960 | |
---|
1961–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001-2020 | |
---|
2021-現在 | |
---|
|
---|
1928–1950 | |
---|
1951–1975 | |
---|
1976–2000 | |
---|
2001–現在 | |
---|
|
---|
1943–1960 | |
---|
1961–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|
2021–現在 | |
---|
|
---|
1935–1940 | |
---|
1941–1960 | |
---|
1961–1980 | |
---|
1981–2000 | |
---|
2001–2020 | |
---|
2021–現在 | |
---|