バーバラ・スタンウィック (英語 : Barbara Stanwyck 、1907年 7月16日 - 1990年 1月20日 )はアメリカ合衆国 ニューヨーク 市出身の女優 。
本名はRuby Catherine Stevens 。愛称はミッシー 。
生涯
1930年代に撮影
1950年頃に撮影
1967年に撮影
5人兄弟の末っ子として生まれる。父親はアメリカ人、母親はカナダ人[ 1] [ 2] 。4歳の時に車の事故で母親を亡くし[ 3] 、その葬儀の2週間後、レンガ職人の父親はパナマ海峡掘削の仕事に付き、そのまま帰ってこなかった[ 4] 。4歳で孤児となって里子に出されるが、里親のもとを転々としたあと、10歳の時にコーラス・ダンサーの姉ミルドレッドに引き取られる。姉の恋人からダンスを教わる。13歳の時に学校を中退。電話会社などで働いていたが、15歳の時にジークフェルド・フォーリーズ のコーラス・ダンサーになったのを足がかりにして、ついに26歳でブロードウェイ で主役を張るまでになる。1927年 にミュージカル『Broadway Night』のダンサー役で映画デビュー。しばらくは舞台に重点を置いていたが、1928年 にボードビリアン のフランク・フェイ と結婚し、フェイと共にハリウッド に移った[ 5] ことがきっかけとなり、何作かの映画に出演したのち、1930年 、フランク・キャプラ 監督の『希望の星』が成功により実力派女優として力を付けてゆく。その後、『奇蹟の処女』と『たそがれの女』と意気投合したキャプラ監督の作品に出演している。
ワーナー・ブラザース と専属契約を交わし、『夜の看護婦』や『紅唇罪あり』などに出演し、キャプラ映画やエドナ・ファーバー原作の『母』などで見せたそれまでの役柄とは違った一面を披露して一層の人気を博す。1933年 には中国を舞台に繰り広げる壮大なメロドラマ『風雲の支那』でキャプラと4度目のコンビを組み、1935年 にはフェイと離婚。原因は彼が映画界で成功できずに酒に溺れ、いさかいの絶えなかったからだという。この時ワーナーとの契約からも解放されてフリーとなり、実在の女性ガンマンであるアニー・オークレイ を演じたジョージ・スティーブンス 監督の『愛の弾丸』に出演、『愛怨二重奏』では共演した二枚目俳優のロバート・テイラー と親密な関係となる。1925年 のサイレント映画のリメイク『ステラ・ダラス 』では、娘の幸せのために親権を放棄する母親を演じ、アカデミー主演女優賞 に初ノミネートされる。
1937年 の『This Is My Affair』ではテイラーとの再共演をへて、1939年 にテイラーと2度目の結婚をした。公私共に充実し、セシル・B・デミル 監督のウェスタン『大平原』やウィリアム・ホールデン の映画デビュー作である『ゴールデン・ボーイ』などに出演。1940年 のプレストン・スタージェス の脚本による『Remember the Night』ではコメディにも出演。そして1941年 にはスクリューボール・コメディ の大傑作といわれるスタージェス監督、脚本の『レディ・イヴ 』に出演。ヘンリー・フォンダ 相手に一歩も引けをとらず、映画はその年のニューヨーク・タイムズ のベストテンの1位を飾り、またスタンウィックもイーディス・ヘッド が衣装を担当した華麗なドレスなどを着こなしてトレンド・セッターとしての地位を確立する。1941年 にはキャプラと5度目でかつ最後のコンビ作となった『群衆』でゲイリー・クーパー 扮するホームレスを架空の自殺志願者に仕立て上げる女性記者を演じる。同年にはハワード・ホークス 監督の『教授と美女』でクーパーを誘惑するダンサーを演じて2度目のオスカーにノミネート。
1944年 にビリー・ワイルダー 監督によるフィルム・ノワール の傑作『深夜の告白』に出演。フレッド・マクマレイ 扮する保険セールスマンをそそのかして夫殺しを手伝わせる人妻というそれまでの彼女のイメージからは想像も出来ないようなファム・ファタール を演じて、3度目のオスカーにノミネートを果たしただけでなく、1944年度のアメリカの女優の最高所得者となる。
また人柄の良さでも知られ、うるさ型の女優が多いこの業界において男優からもスタンウィックとの共演を望む声が多く、名脚本家のハーマン・マンキウィッツ にして「彼女と結婚して、バラを植え込んだ丘の上の小さな家に住む。疲れきって仕事が終わると、焼き上がったアップルパイを手に迎えてくれる、それが男の夢だね[要出典 ] 」と彼女の人柄の良さをこう評した。
その後も幅広い役柄をこなせる女優として活躍を続け、1948年 の『私は殺される』では殺人計画を知った病弱な女性を演じて、これまた4度目にして最後のノミネートを受ける。1950年代 に入っても安定した人気を保ち、『タイタニックの最後』のようなメロドラマから、『四十丁の拳銃』などの西部劇まで様々なジャンルの映画に出演。1954年 の『重役室』ではジューン・アリソン をはじめとする豪華出演陣によるアンサンブル演技が評されて、共演者のフレドリック・マーチ と共にヴェネツィア国際映画祭 の審査員特別賞を受賞する。1951年 にはテイラーと離婚し、『タイタニックの最後』で共演したロバート・ワグナー とその後、恋に落ちるが、かなりの年齢差がある2人のロマンスは長くは続くことはなかった。
1960年代 に入ると『青春カーニバル』でエルヴィス・プレスリー と共演し、『The Night Walker』では元夫のテイラーとの再共演を果たすが、この頃から映画出演は減り始める。それを心配した友人でコラムニストのヘッダ・ホッパー からヨーロッパ映画の出演を勧められるも、「いいの、わたしはここ(ハリウッド)が好きなの[要出典 ] 」と答え、首を横に振ったという。そのかわりに今度は主にテレビを中心に活躍。1960年 から1961年 まではテレビ番組『バーバラ・スタンウィック・ショー』のホストと主演を務め、1965年 からはじまり、日本でも人気を博した『バークレー牧場 』では出演だけでなくプロデュースも務めて、新しい世代のファンを獲得しただけでなく、両作品でエミー賞 を獲得する。
1978年 のアカデミー賞授賞式ではデビューして以来の仲であるウィリアム・ホールデンと2人そろってプレゼンターをつとめ、1981年 にスタンウィックがフィルム・ソサエティの特別賞を受賞した際は、ホールデンが会場にエスコートした。1982年 にアカデミー名誉賞を授与され、1983年 のテレビのミニ・シリーズ『The Thorn Birds』ではゴールデン・グローブ賞と3度目のエミー賞を獲得。1987年 にはアメリカン・フィルム・インスティチュート から生涯功労賞が授与された。
1990年 にカリフォルニア州 サンタモニカ で心不全 によりこの世を去った。
主な出演作品
公開年
邦題 原題
役名
備考
1929
壁の中の声The Locked Door
アン・カーター
1930
希望の星Ladies of Leisure
ケイ・アーノルド
1931
十仙ダンスTen Cents a Dance
バーバラ・オニール
夜の看護婦Night Nurse
ローラ・ハート
奇蹟の処女The Miracle Woman
フローレンス・ファロン
1932
たそがれの女Forbidden
ルル
母So Big!
セリーナ・ピーク
1933
風雲の支那The Bitter Tea of General Yen
メーガン・デイヴィス
女囚の意気地 Ladies They Talk About
ナン・テーラー
紅唇罪ありBaby Face
リリー
1935
愛の弾丸Annie Oakley
アニー・オークリー
1936
ガルシアの伝令A Message to Garcia
Raphaelita Maderos
愛怨二重奏His Brother's Wife
リタ・ウィルソン・クレイボーン
膝にバンジョー Banjo on My Knee
パール・エリオット・ホリー
鍬と星The Plough and the Stars
ノラ
1937
紐育の顔役Internes Can't Take Money
ジャネット
ステラ・ダラス Stella Dallas
ステラ・ダラス
1938
美人は人殺しがお好きThe Mad Miss Manton
メルサ・マントン
1939
大平原 Union Pacific
モリー・モナハン
ゴールデン・ボーイGolden Boy
ローナ・ムーン
1941
レディ・イヴ The Lady Eve
ジェーン
群衆 Meet John Doe
アン・ミッチェル
新妻はお医者さま You Belong to Me
ヘレン・ハント
教授と美女 Ball of Fire
シュガーパス・オーシェイ
1942
三人姉妹The Gay Sisters
フィオナ
1943
肉体と幻想 Flesh and Fantasy
ジョーン・スタンリー
1944
深夜の告白 Double Indemnity
フィリス・ディートリクスン
1945
クリスマス・イン・コネチカットChristmas in Connecticut
エリザベス・レイン
1946
呪いの血/マーサの奇妙な愛情The Strange Love of Martha Ivers
Martha Ivers
1947
カリフォルニア California
リリー・ビショップ
第二の妻The Two Mrs. Carrolls
サリー・モートン・キャロル
いのち短かしThe Other Love
カレン・ダンカン
恐怖の叫びCry Wolf
サンドラ・マーシャル
1948
私は殺される Sorry, Wrong Number
レオナ
1950
血ぬられた情事The File on Thelma Jordon
セルマ
復讐の荒野 The Furies
ヴァンス・ジェフォーズ
スピード王To Please a Lady
レジーナ・フォーブス
1952
熱い夜の疼きClash by Night
メエ・ドイル・ダマト
1953
人妻の危機Jeopardy
ヘレン・スティルウィン
タイタニックの最期 Titanic
ジュリア・スタージェス
わたしの願い All I Desire
ナオミ・マードック
吹き荒ぶ風 Blowing Wild
マリナ・コンウェイ
1954
重役室Executive Suite
ジュリア
ヴェネチア国際映画祭 審査員特別賞 受賞
殺人目撃者Witness to Murder
シェリル
バファロウ平原Cattle Queen of Montana
シエラネヴァダ・ジョーンズ
1955
欲望の谷The Violent Men
マーサ・ウィルキンソン
辺境の追跡Escape to Burma
グエン・ムーア
1956
烙印なき男 The Maverick Queen
キット
1957
荒野の追跡 Trooper Hook
コーラ
四十挺の拳銃 Forty Guns
ジェシカ
1962
荒野を歩け Walk on the Wild Side
ジョー・コートニー
1964
青春カーニバル Roustabout
マギー・モーガン
ナイト・ウォーカー 夜歩く者The Night Walker
イレーネ・トレント
1965-1969
バークレー牧場The Big Valley
ヴィクトリア・バークレー
テレビシリーズ、112話に出演
1970
戦慄の悪魔払いThe House That Would Not Die
ルース・ベネット
テレビ映画
1980
チャーリーズ・エンジェル Charlie's Angels
トニー
テレビシリーズ、"Toni's Boys"に出演
1983
The Thorn Birds
メアリー・カーソン
テレビ・ミニシリーズ ゴールデングローブ賞 助演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)受賞プライムタイム・エミー賞 助演女優賞 受賞
1985
ダイナスティ Dynasty
コンスタンス・コルビー・パターソン
テレビシリーズ、3話に出演
1985-1986
The Colbys
コンスタンス・コルビー・パターソン
テレビシリーズ、24話に出演
受賞歴
受賞
1986年 セシル・B・デミル賞
参照
参考文献
Callahan, Dan. Barbara Stanwyck: The Miracle Woman. Jackson, Mississippi: University Press of Mississippi, 2012. ISBN 978-1-61703-183-0 .
Madsen, Axel. Stanwyck: A Biography . New York: HarperCollins, 1994. ISBN 0-06-017997-X .
外部リンク
1928–1950 1951–1975 1976–2000 2001–現在
1973-1980 1981-2000 2001-2020 2021-2040
1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代