2000年代に流行ったオープンソースソフトウェアのウェブサービス構成 LAMP
2000代末のオープンソースOSを使った世界初のAndroid スマートフォン HTC G1
オープンソースソフトウェアの歴史 では、オープンソースソフトウェアの歴史 を、その背景・文化・運動・方法論・技術・影響などを踏まえつつ多面的に解説する。
オープンソースソフトウェア (OSS) とは、 そのソフトウェア のユーザーによって、人間が判読できるソースコード を使用、調査、再利用、修正、拡張、再配布することができるソフトウエアである[1] 。ソフトウェアのソースコード を利用者が共有し、修正、再頒布する文化は、1950年代のコンピュータ 上でソフトウェアが稼働するようになった頃から学術機関、研究機関の間で存在し、ソースコードとソフトウェアはパブリックドメイン で共有されていた。1970年代以降、ソフトウェア開発は徐々に商業となり、ソフトウェアの頒布に制約を付与するプロプライエタリソフトウェア 、ソースコードを非公開とするクローズドソース の文化ができあがった。1980年代以降、利用者がソフトウェアのソースコードを自由に利用できないことをストレスに感じた人たちは、フリーソフトウェア やオープンソース を定義して、ソースコードを利用者で共有することによるソフトウェアの発展を提唱した。2000年代前後のソースコードの共有文化が再度一般化した頃、オープンソースソフトウェアコミュニティ内での議論や、プロプライエタリソフトウェアを販売する企業から攻撃など、論争が活発となった。
コンピュータ以前の技術共有
技術情報の自由な共有という文化は、コンピュータのかなり以前から存在していた。例えば、初期の自動車開発では、1つの企業がジョージ・セルデン (英語版 ) の申請した2ストローク機関 のガソリンエンジン の特許を持っていた[2] 。この特許によってこの企業は業界を独占し、他のメーカーはその要求を飲むか、さもなければ訴訟のリスクを負わねばならなかった。1911年、独立系の自動車メーカーに勤務するヘンリー・フォード はジョージ・セルデン (英語版 ) の特許無効の申し立てに成功した[2] 。その結果、ジョージ・セルデンの特許は事実上価値がなくなり、後にMotor Vehicle Manufacturers Association (英語版 ) となる新しい協会が結成された。新しい協会は、すべての米国自動車メーカー間でクロスライセンス契約 を締結した。各社は技術を開発し特許を出願できるが、それらの技術は共有されており、第二次世界大戦に入った頃には、92件のフォード・モーター の特許と515件の他社の特許が費用も訴訟も伴わず共有されていた[2] 。
マシンバンドルのソフトウェア
1950年代 のコンピュータはハードウェア とソフトウェアがバンドルされた大型のマシンであり、マシンベンダーは同ハードウェアで動作するソフトウェアを開発し、マシンとソースコードを利用者に提供していた。利用者は提供されたソースコードを修正して独自のソフトウェアを開発し、パブリックドメインとして共有していた[3] 。1960年代 から1970年代 にかけて、ソフトウェアの開発コストは肥大化し、マシンベンダーとは独立したソフトウェアベンダーによるソフトウェア開発とプロプライエタリソフトウェアの文化ができていった[4] 。
研究機関内でのコード共有
1950年代から1960年代のコンピュータでは、ハードウェア上で動作するオペレーティングシステム (OS) とソフトウェアはソースコードと実行ファイル をマシンに同梱する形で利用者に提供されていた。ソフトウェアは大学や研究所の研究者により開発され、パブリックドメインとして扱われていた。コンピュータは大学や研究機関が主な利用者であり、ソフトウェアはソースコードは一般に学術分野で長く確立された公開性と協力の原則の下で配布され、それ自体は商品として見られなかった。そのような組織での活動は、オープンソースソフトウェア分野で肯定的な意味で使われるハッカー文化 と呼ばれる、開発の中心的な要素であった。この頃のソフトウェアは特定のハードウェアでしか動作させることはできなかったため、他者のハードウェアで実装されたものを自分のハードウェアで動かしたり、ソフトウェアのバグの修正や新しい機能の追加するために、人にとって可読性のあるソースコード はマシンで実行する機械語 と共に頒布されていた[5] [6] 。
A-0 System が動作するUNIVAC の商用コンピュータ
オープンソースソフトウェアの最初の事例は、1953年にレミントンランドのUNIVAC 部門で開発され、ソースコードと共に利用者にリリースされたA-0 System と考えられている[7] 。利用者は修正や改善をUNIVACへフィードバックするよう求められた[8] 。その後、大半のIBM のメインフレーム がソースコードと共に共有された。SHARE (英語版 ) と呼ばれたIBM 701 のユーザーグループ、DECUS (英語版 ) と呼ばれたDEC のユーザーグループは、ソフトウェアの共有体系を構築した。ゼネラルモーターズ がオリジナルを開発したGM-NAA I/O は、SHAREユーザーグループによってSHARE OS としてIBM 709 、IBM 7090 へ移植された。
幾つかの大学のコンピュータ関係の研究室はコンピュータにインストールする全てのプログラム のソースコードのファイル を公開しなければならないポリシーを定めていた[3] 。1969年、ARPANET が構築され、このネットワークはソースコードの交換を簡略化した。1970年代にソースコードの公開と共に開発されたTex [9] やSPICE [10] は2000年代まで長く使われ続けた。
マシンバンドルからの分離と商業化
1960年代より変化が訪れ、OSやプログラミング言語 のコンパイラ を始めとしたソフトウェアの開発コストはハードウェアに比べて劇的に増加した。ハードウェアにバンドルするソフトウェアのコストはハードウェアコストに含まれていたため、ソフトウェア業界の成長はハードウェアベンダーの製品と競合した。ハードウェアベンダーはソフトウェアの利益はないもののリースしたハードウェアにバンドルしたソフトウェアのサポートをするためソフトウェア製品のコストをハードウェア製品のコストに上乗せする必要があり、一方で自らのニーズに併せてソフトウェアを改善することができる顧客にとってはハードウェアベンダーのソフトウェア製品のコストをハードウェア製品のコストと一緒に束ねることは望んでいなかった[11] 。例えば、DECのPDP-11 は標準のOSはDEC製のDEC BATCH-11/DOS-11 (英語版 ) やRT-11 であったが、マシンの利用者は自身の利用用途に併せてソビエト連邦製ANDOS (英語版 ) 、AT&T 製UNIX など他社製OSを利用した。1969年1月17日に提出された米国政府とIBMの独占禁止法訴訟では、米国政府はバンドルされたソフトウェアが反競争的であると訴えた[12] 。
需要に併せてハードウェアにバンドルするソフトウェアは減り、一部のソフトウェアは引き続き無償でバンドル提供されていたが、制限付きライセンスでのみで提供、販売されるソフトウェアが増えていった。1970年代序盤、AT&TはUNIX の早期バージョンを開発し、行政機関と学術機関に無償で提供した[13] 。しかし、そのバージョンは再頒布や修正コードの頒布を認めておらず、オープンソースソフトウェアと呼ばれる条件を満たす物ではなかった。1979年、AT&Tは企業がUNIXシステムを利用してビジネスをする場合はUNIXの利用に有償ライセンスを課すことを決定し、システムパッチを有償ライセンスで販売するようになった。広い普及によりアーキテクチャを切り替えることは難しく、多くの学術機関の利用者はUNIX有償ライセンスを購入して利用を続けた。
1970年代以前のソフトウェアはパブリックドメインで共有されていたが、この頃よりクローズドソース 、プロプライエタリソフトウェア が登場した。1974年にCONTU (英語版 ) は「コンピュータプログラムは、著作者の制作を具体化する範囲で、著作権の適切な主題である」と言及した[14] [15] 。加えて、1983年にCONTUはオブジェクトファイル に関するApple-Franklin訴訟 (英語版 ) で「コンピュータプログラムは文学作品としての著作権を持ち、ソースコードを非公開とするクローズドソースのソフトウェアのビジネスモデルは有効である」と述べている[4] 。
1970年代末から1980年代初頭、コンピュータベンダーとソフトウェアベンダーはプログラム製品としてソフトウェアのビジネスモデルを構築し、ソフトウェアを商用製品として販売していった。ビル・ゲイツ は1976年にOpen Letter to Hobbyists というエッセイでマイクロソフト の製品であるAltair BAISC が愛好者の間でライセンス費を支払うこのとなく広く共有されていることを残念に思っていると述べた。IBMは1983年2月8日付の発表レターで、購入したソフトウェアのソースコードを配布しない、今で言うクローズドソース、という方針を打ち出した。コストの増加に伴い、一般傾向はプログラマ が可読なソースコードは頒布せず、ソースコードをコンパイルして作られる実行形式の機械語だけを頒布するプロプライエタリソフトウェアとなっていった。
日常的に続いたハッキング
1980年代から1990年代、ソフトウェアは商業化し、クローズドソースであることが多かったが、後に「ホビイスト(英 : hobbyist )」や「ハッカー(英 : hacker )」と呼ばれる、ソースコードを他のプログラマやユーザーと無料で共有しようとしていた人たちがいた[16] 。彼らは書籍や独自のネットワークを通してソフトウェアのソースコードを共有して、他者の書いたソースコードを入手し、学習、利用した。
書籍を通したコード共有
インターネット が一般的に使われるようになる以前、1980年代以降に出版されていたCreative Computing (英語版 ) 、SoftSide (英語版 ) 、Compute! (英語版 ) 、Byte などのコンピュータ雑誌[17] [18] [19] [20] 、ベストセラーのBASIC Computer Games に代表されるコンピュータプログラミング本はソフトウェアのソースコードを掲載し、共有利用されていた[21] 。しかしながら、それらは依然としてコピーライトであり、Atari 8ビット・コンピュータ のシステムソフトウェアの主要なコンポーネントは注釈付きのソースコードでマスマーケット本に掲載された。例えば、Atari BASIC (英語版 ) のソースコードの一部は『The Atari BASIC Source Book 』に[22] 、Atari DOS (英語版 ) のソースコードの一部は『Inside Atari DOS 』に掲載されていた[23] 。
オンラインの共有コミュニティ
1980年代、ソースコードを伴うソフトウェアはBBS ネットワークで共有されていた。これは時には必要なもので、BASIC やその他の一部のインタプリタ 言語はソースコードのみで頒布が可能であり、多くのものがフリーウェア だったからである。利用者がソースコードを収集し、その修正について議論の場を設けようとした場合、BBSはデファクトスタンダード なオープンシステムであった。
この分野で最も分かりやすく、最も多く利用されたBBSネットワークの一つにウェイン・ベル (英語版 ) がBASICで最初に開発したWWIV (英語版 ) がある[24] 。彼のソフトウェアをモディング (英語版 ) (英 : modding )し、モッド (英 : Mod )を頒布する文化は[25] 、そのソフトウェアを最初にPascal 、続いてC++ に移植し、そのソースコードは登録ユーザーに共有され、ユーザーはモッドを共有し独自バージョンのソフトウェアをコンパイルする際に使われ、WWIV (英語版 ) 自身を大きく成長させた[26] 。
時を同じくして、1980年代序盤のUsenet とUUCPNet (英語版 ) の出現はプログラミングコミュニティを繋ぎ、プログラマがソフトウェアを共有し、他者が書いたソフトウェアに貢献する更に単純な手法を提供した[27] 。
SHAREプログラムライブラリ
1955年に設立したSHARE (英語版 ) ユーザーグループは自由に利用できるソフトウェアを収集し、頒布していた[28] 。SHAREの最も古いドキュメント頒布物は1955年10月17日に遡り、『SHARE Program Library Agency 』で磁気テープの情報とソフトウェアがまとめられていた[29] 。IBMがメインフレームのOSのソースコードとしてリリースしたものを[30] [31] [32] 、SHAREユーザーグループは小さなローカルの機能追加、修正をし、他の利用者と共有した。SHAREプログラムライブラリとそれが育んだ分散開発のプロセスは、オープンソースソフトウェアの主要な起源の1つとなった[33] 。
DECUS tapes
1980年代初頭、「DECUS tapes」と呼ばれたDECUS (英語版 ) によるDEC製品利用者のために自由に利用できるソフトウェアを共有する世界的なシステムが存在した[34] 。DECUS tapesはソフトウェアの学習、修正を望む利用者が求めるソースコードを頒布した。DEC製のOSは一般にプロプライエタリソフトウェアだったが、TECO エディタ、runoff (英語版 ) テキストフォーマッタ、ファイルリストツールなどの利用者の利便性を上げるユーティリティツールはDECUS tapesで頒布されていた[35] 。それらのユーティリティパッケージはDECにも貢献しており、時には彼らの商用のOSの新しいリリースに投入された。DECUS tapesではコンパイラでさえ頒布され、例えばRatfor やRatfiv (英語版 ) は研究者たちがFortran コードをgoto文 を抑制する構造化プログラミング へ移行する手助けをした。1981年、DECUS tapesは、DECのVMS OSが動作する16ビット マシンのPDP-11 シリーズ、32ビット マシンのVAX シリーズに、ローレンス・バークレー国立研究所 のSoftware Tools Virtual Operating Systemを移植したことで革新的な存在となった。それはWindows上のCygwin に似ており、UNIXに互換性のある環境を提供した。
フリーソフトウェアの提唱
フリーソフトウェア を提唱したリチャード・ストールマン
プロプライエタリソフトウェアの文化に強いストレスを感じた一人にリチャード・ストールマン がいた。リチャード・ストールマンはこのままでは最初に他者が書いたプログラムを学習、修正することができなくなり、それは非道徳的であると考えた[36] 。この文化に対抗する形で、1980年代中程からリチャード・ストールマンは、利用者の自由とコミュニティに敬意を払い、ソフトウェア利用者にソフトウェアを実行、複製、頒布、学習、改善する自由を提供する「フリーソフトウェア 」(英 : free software 、日: 自由ソフトウェア)を提唱した[37] 。
コピーレフトの発明
リチャード・ストールマンは1980年代中頃にフリーソフトウェアを広く展開させるためコピーライト(著作権)の対象となる著作物の自由な状態を維持するための法的な仕組みとなる「コピーレフト 」の概念を発案した[38] 。コピーレフトは利用者に、追加費用なく利用する権利、プログラムの完全なソースコードを入手する権利、ソースコードを学習、修正する権利などの多くの権利を与え、同時に成果物に同一の条件および追加の制限を加えない義務を要求した[39] 。成果物は他のプログラムの混合で構成されるため、下流の利用者は自身の成果物を独自の制約を加えたソフトウェア(プロプライエタリソフトウェア )に変えることはできず、コピーレフトのコモンズ (ローカル・コモンズ )に貢献するよう呼びかけられた。
コピーレフト (copyleft) という単語はコピーライト (copyright) の対義語として1970年代後半には存在していた[40] [41] 。リチャード・ストールマンがコピーレフトという語を気に入ったのは、1984年にドン・ホプキンス がリチャード・ストールマンに宛てて送った「Copyleft — all rights reversed 」(コピーレフト―全ての権利は逆さにされている)というフレーズに由来する[38] 。この後、リチャード・ストールマンはコピーレフトという概念の発案と定義まで少々の時間をかけた。
GNUプロジェクトの開始
1982年にリチャード・ストールマンはフリーソフトウェアのみで構成された完全なOSを実装する「GNUプロジェクト 」を開始した[42] 。GNUプロジェクトはEmacs 、デバッガ 、Yacc 互換パーサー 、リンカー の実装から始まり[43] 、多くのUNIXユーティリティソフトウェアを実装した[44] 。GNUプロジェクトの始動させた動機に、利用者にソースコードの提供がなされなかっために問題を解決できなかった厄介なプリンター の存在があった[36] 。
1985年、GNUプロジェクトの目的の概要とフリーソフトウェアの重要性を説いた「GNU宣言 」を発表した[45] 。GNUプロジェクトの可能性とGNU宣言は、シンボリックス 社が更新したMITのソースコードをベースにしたLISPマシン をMITが利用するケースにおいて、リチャード・ストールマンとシンボリックス社は合意することはできなかった[46] 。
1986年2月、リチャード・ストールマンはフリーソフトウェアの在り方を定義した「フリーソフトウェアの定義 」を発表した[47] 。1986年 のフリーソフトウェアの定義 は2つの要点からなり、フリーソフトウェアのフリー(自由)の意義と優位性についてシンプルな言葉で表した。フリーソフトウェアの定義は時代にあわせて逐次更新され、1996年に3条項からなるフリー(自由)の定義とそれを補足する文章となり[48] 、1999年に第0条を追加した4条項となった[49] 。
GNUプロジェクトのライセンスは、1988年2月11日にコピーレフトの概念が初めてライセンスとして実装されたGNU Emacs のためのEmacs General Public License に始まり[50] 、プロジェクト初期はソフトウェア個々にライセンスがリリースされていた。その後、1989年2月にコピーレフトを含めGNU General Public License (GNU GPL) が汎用ライセンスとしてリリースされた[51] 。続いて、1991年にGNU General Public License バージョン2、GNU Library General Public License バージョン2がリリースされた[52] [53] 。同年、GNU Library General Public Licenseは位置付けを明確にするためGNU Lesser General Public License (GNU LGPL) に名称変更して微修正と共にバージョン2.1がリリースされた[54] 。
1989年、幾人かのGNUプロジェクトの開発者はシグナスソリューションズ に異動した[55] 。GNUプロジェクトは、カーネル の開発は引き続き遅れていたが、1991年にカーネルを除いたほぼ全てのコンポーネントが完成し、Linuxカーネル と結合することで、ほぼ全てのソフトウェアがフリーソフトウェアでできたOSが完成した。
フリーソフトウェア財団の設立
リチャード・ストールマンはフリーソフトウェアの更なる促進を図るため、1985年にフリーソフトウェア財団 を設立した[56] 。フリーソフトウェア財団はフリーソフトウェアの推進し、GNUプロジェクトを支援する非営利団体である。
1990年代中ほどまでのフリーソフトウェア財団はGNUプロジェクトの開発者の支援(雇用)が主な事業だった。1990年代中ほど以降はフリーソフトウェアの利用者の自由を啓蒙し、「フリー(自由)」であるソフトウェアやファイルフォーマット、在り方を広めるフリーソフトウェア運動 を実施していった[57] 。また、GPL違反是正(特にコピーレフト違反是正)をソフトウェア開発者やソフトウェアベンダーに強く指導し[58] [59] 、時にはライセンス違反の訴えを裁判で争った[60] 。
Unix系OSの成長
Unix系 OSの系統図
1980年代以降、AT&TのUNIXはクローズドソース、プロプライエタリソフトウェアとなったが、それまでに大学等で広く使われていたため、そのインタフェース をベースとしたOSがUnix系 OSとして派生、誕生、成長していった。また、OSに加えて、Unix系OS上で動作するGUI アプリケーション、コンパイラやプログラミング言語も自由に利用できるソフトウェアとして開発、公開された。UNIX 、DOS 、Macintosh などのプロプライエタリな環境を望まないユーザーにとって好ましいもので、ソフトウェアの利用者、開発者を拡大していった。
UNIX派生OS
1970年代末からカリフォルニア大学バークレー校 でAT&TのUNIXのソースコードをベースとしたBerkeley Software Distribution (BSD) が開発された。1977年からビル・ジョイ はVersion 6 Unix のアドオンの形でBSDの原形を開発し、1978年3月9日に1BSDをリリースした[61] 。この時の主なコンポーネントはPascal コンパイラとex (英語版 ) エディタであった。1979年5月にソフトウェアの更新版とvi エディタ、C Shell を含む2BSDをリリースした[62] 。1979年 にVAX の仮想記憶機能を利用し、UNIX/32V 由来のユーティリティをまとめた完全なOSとして3BSDをリリースした。
3BSDに注目した国防高等研究計画局 (DARPA) は、バークレーの Computer Systems Research Group (CSRG) に資金提供することを決め、1980年にCSRGは3BSDに様々な改良を加えた4BSDをリリースした[63] 。その後、1980年代の間に4.xBSDが様々な修正、改良を加えリリースされた[64] 。
1980年代末、それまでのBSDの全バージョンでAT&TのプロプライエタリなUNIXのソースコードが含まれており、AT&Tのソフトウェアライセンスを必要としていたため、1989年6月にAT&Tのライセンスが不要なコードのみで構成されたNetworking Release 1 (Net/1) がリリースされた。Net/1リリース後、BSD開発者キース・ボスティック (英語版 ) は、BSDのAT&Tとは無関係な部分をさらにNet/1と同じライセンスでリリースすることを提案し、1991年6月に自由に再配布可能なほぼ完全なOSであるNetworking Release 2(Net/2)をリリースした。Net/2はウィリアム・ジョリッツ らによるフリーな386BSD プロジェクト(後にNetBSD とFreeBSD へ再派生)とBerkeley Software Design, Inc. (英語版 ) (BSDi) のプロプライエタリなBSD/386 プロジェクト(後にBSD/OSに改称)に派生した。1992年からの2年間、BSDiはSystem Vの著作権とUNIXの商標を所有するAT&TのUNIX Systems Laboratories (USL) との間でUSL-BSDi訴訟 (英語版 ) に見舞われ、訴訟が解決するまでNet/2の配布は差し止められて開発は停滞することとなった。
1980年代中ほどから1990年代序盤にかけて、以前はソースコードが共有されていたUNIXをベースとしたプロプライエタリなOSであるSCOのUnixWare 、IBMのAIXなども開発されていた。UNIXの機能の権利の一部はSCOグループが保有し、後のSCO・Linux論争 の要因となった。
独立系Unix系OS
1980年代、UNIXがクローズドソースとなり自由に利用できるOS(カーネル)が存在しなくなったため、UNIXのソースコードを源流とせず、しかしながらUNIXのインタフェースと互換性のあるカーネルの開発が始まった。
アムステルダム自由大学 の教授アンドリュー・タネンバウム は1987年にソースコードが非公開となったAT&TのUNIXの代わりの教育用OS「MINIX 」を著書『Operating Systems: Design and Implementation 』の中で例として開発した[65] 。機能上の新しさはないが、マイクロカーネル 構造を採用するなど、モダンな洗練が行われていた。元々はIBM PC をターゲットとして開発されたが、その後アタリ 、Amiga 、Macintosh 、SPARC をはじめ、日本においてはNEC のPC-9800シリーズ にも移植された[66] 。
GNUプロジェクトは開発初期はMach をベースにマイクロカーネルを開発することを検討していたが、1987年にTRIX をベースにすることを検討し、最終的には1990年にBSD 4.4をベースにしたGNU Hurd の開発を決定した[67] 。しかし、開発は遅々として進まず[68] 、リチャード・ストールマン は2010年にGNU Hurdは完成していないが重要なプロジェクトではなくなったと発言している[69] 。
Linuxの誕生と派生
リーナス・トーバルズ による「Linux 」は1991年4月より開発が始まった。リーナス・トーバルズの当初の目的は、80386 プロセッサ を搭載した新しいパーソナルコンピュータ (PC) の機能を使いたいがための、自身が使用していたハードウェアとOSに依存しないプログラムの作成だった。リーナス・トーバルズは著書『Just for Fun 』で、MINIXやGNU製カーネルが十分な機能を備えて完成していればカーネルを開発することはなかったが、それが必要だったからLinuxカーネルを開発したと述べている[70] 。1991年8月25日にUsenetのニュースグループ「comp.os.minix」へAm386 、Am486 互換機で動作するフリーなOSを作成したと報告し、利用者からのフィードバックを求めた[71] 。
リーナス・トーバルズはこのシステムをfree・freak・x (Unix) の混成語「Freax」として呼んでいた。Linus・Unixの混成語「Linux」という名前も考えていたが、最初はそれをあまりにも異例のものとして却下していた[70] 。1991年に、開発者支援のためFUNET (英語版 ) のFTPサーバ にファイルをアップロードする際、当時のFTPサーバ管理ボランティアのアリ・レムク (英語版 ) はFreaxは適当な名称ではないと考え、リーナス・トーバルズに相談なくLinuxの名称でファイルをアップロードした[70] 。ただし、後からリーナス・トーバルズは承諾している。1992年にモノリシックカーネル を採用したLinux開発者のリーナス・トーバルズとマイクロカーネル を採用したMINIX開発者のアンドリュー・タネンバウムは、ニュースグループ「comp.os.minix」でカーネルの在り方やその他多岐に渡り議論 をした[72] [73] [74] [75] 。カーネルの在り方は一長一短であり良し悪しを明確に決着することなく、激論を交わしたものの両者は良好な関係でいる[76] 。
初期のLinuxは商用利用を禁じたプロプライエタリなライセンスであったが[77] 、1992年1月5日にリリースしたバージョン0.12のリリースノートでGPLへのライセンス変更の意向が宣言され[78] 、1992年12月にリリースしたバージョン0.99でGPLに変更された[79] 。
自由な利用が可能となったLinuxのソースコードは多くのLinuxディストリビューション として派生し、1993年にパトリック・ボルカディング (英語版 ) のSlackware 、イアン・マードック のDebian へ、1994年にレッドハット のRed Hat Linux 、Software and Systems Development Corporation のS.u.S.E へと派生していった。
GUIプラットフォームの開発
X11 上で動作しているGUIアプリケーション
コンピュータのGUIは1973年にビットマップ スクリーンとしてXerox PARC で初めて実装されていた[80] 。その後、1983年にApple のLisa 、1984年 にマイクロソフトのInterface Manager でプロプライエタリソフトウェアとして採用された[81] [82] 。1980年代からUnix系 OS上でもGUIプラットフォーム、アプリケーションが開発された。
1983年に、スタンフォード大学 のポール・アセントとブライアン・レイド (英語版 ) はV-System のウィンドウシステム として「W Window System 」を開発した。1984年5月に、マサチューセッツ工科大学 (MIT) のボブ・シャイフラー (英語版 ) はW Window Systemの同期機構を非同期機構に変更し、名称を「X Window System 」にしてリリースした。X Window Systemは速度性能の改善、カラー化、多機種ハードウェア対応を重ねた。1985年にX6がMIT license でリリースされ、世界で初めて完全に自由に利用できるソフトウェアのGUIプラットフォームとなった。1986年にリリースされたX10はDEC、IBM、サン・マイクロシステムズ などのプロプライエタリソフトウェアを扱うベンダーにも採用された。X10で大きな支持を得たX Window Systemは更なる非依存性が求められたが、MITにはその余力がなかったためDEC WSLが開発してX10と同条件でリリースすることが提案され、受け入れられた。次バージョンとなるソフトウェアのプロトコル仕様はUSENET で公開協議で決定され、1987年9月15日にその後のX Window Systemの代名詞となる「X11」がリリースされた。
X11はUnix系OSのGUIシステムのコアとして利用され、1987年にX11上で動作する軽量なウィンドウマネージャ 「twm 」がMIT License でリリースされた。twmのリリース直後の正式名称はTom's Window Managerだったが、1989年のX Consortium (英語版 ) でTab Window Managerに変更が発表された。1990年代にはtwmのソースコードを元にしたvtwm (英語版 ) 、tvtwm (英語版 ) 、CTWM 、FVWM などの多数のウィンドウマネージャが開発された。ウィンドウマネージャはGUIアプリケーションを開発する基盤として有用で、ウィンドウマネージャが存在することが前提で動作するXterm 、Xclock (英語版 ) 、Xbiff (英語版 ) 、man などのソフトウェア開発が続いた。
ウィンドウマネージャは比較的軽量だったがそれゆえに総合的な観点での機能性、優美性は低く、1993年にプロプライエタリソフトウェアとしてリリースされていたCDE に比べて見劣りしていた。1996年にエバーハルト・カール大学テュービンゲン の学生だったマティアス・エトリッヒ はデスクトップ環境 「KDE」とそれを構築するためのフレームワーク「Qt 」をリリースした[83] 。また、1997年からGNUプロジェクトは「GNOME 」の開発を始めた[84] 。
自由なプログラミング言語の誕生
1980年代後半から自由な利用ができる新しいプログラミング言語が幾つか誕生した。
1987年にPerl 、1991年にPython 、1995年にRuby がインタプリタのスクリプト言語 としてリリースされた[85] [86] [87] 。それらのスクリプト言語はホビイストやハッカーの手軽なツール、HTTPサーバ のCGI として多用された
サン・マイクロシステムズは1995年にJava仮想マシン 用にJava 言語を開発し[88] 、コンパイラと実行環境を無償で提供した[89] 。Java仮想マシンはWindows、Mac OS 、Linux 、そして当然サン・マイクロシステムズのSolaris で動作した。また、Java仮想マシンとウェブブラウザ を連携させてウェブブラウザ上でJavaソフトウェアを動かすJavaアプレット はソースコードの入手、学習、実行の容易さに加えて、プログラマからエンドユーザーへの頒布のハードルの高さを下げた。
Java仮想マシンはプロプライエタリソフトウェアであったが、その上で動作するソフトウェアがプロプライエタリでなければならない制約はなかったため、Javaソフトウェアのソースコードは開発者同士でインターネットを通して共有された。また1990年代後半にはウェブブラウザ上で動作するプログラミング言語、ソフトウェア環境としてJavaScript 、Macromedia Flash (ActionScript ) が登場した[90] 。
しかし、ソースコードから実行形式のソフトウェアを出力できるプログラミング言語およびコンパイラは依然として限られており、GNUプロジェクトのGCC が対応するC/C++ が主流のプログラミング言語だった。
オープンソースの誕生と発展
プロプライエタリソフトウェア からオープンソースソフトウェア になったMozilla Application Suite (Netscape Navigator)
1990年代末から2000年代にかけてオープンソース という用語が誕生、普及した。オープンソースはフリーソフトウェアのソースコードを利用者で共有するソフトウェアの開発手法を主観にフリーソフトウェアを再ブランド化したものであった。オープンソースの開発手法はホビイストやハッカーだけでなく団体や企業にも受け入れられた。
『伽藍とバザール』の出版
エリック・レイモンド は1997年に著書『伽藍とバザール 』を出版し、ソフトウェアのソースコードが公開された環境でのハッカーコミュニティとフリーソフトウェアの開発モデルについて言及した。『伽藍とバザール』ではFetchmail とLinuxカーネル の開発手法を参考に、伽藍の様にトップダウンで開発が進められるプロプライエタリソフトウェアとバザールの様にボトムアップで開発が進められるオープンソースソフトウェアにおける、トップダウン設計とボトムアップ設計 の比較がなされている。ソースコードが公開されたソフトウェア開発では末端の利用者が改善の意見やバグの改修などを実施し、ボトムアップでソフトウェア開発が進められていくことが一つのメリットであると言及している。
1998年初頭に同著書は大きな注目を集め、ネットスケープコミュニケーションズ がNetscape Suite をフリーソフトウェアとしてリリースする一つの要因となった。ネットスケープコミュニケーションズはマイクロソフトのInternet Explorer との競争でシェアが低下したNetscape Navigatorの建て直しのため、 バザール方式でソフトウェア開発が進められるフリーソフトウェアとしてソースコードと共にリリースした。このソースコードは後にリリースされるSeaMonkey 、Firefox 、Thunderbird の元となった。
「オープンソース」の始まり
OSI 公認のオープンソースロゴ
ネットスケープコミュニケーションズのプロプライエタリソフトウェアをフリーソフトウェアで公開するという行動はエリック・レイモンドたちにフリーソフトウェア財団のフリーソフトウェアの考え方と貢献をソフトウェア商業分野にどのように持ち込むかに目を向けさせた。フリーソフトウェア財団のフリーソフトウェアを推す社会運動(フリーソフトウェア運動)はネットスケープコミュニケーションズのような企業には魅力的ではないと結論し、ソースコード共有によるビジネス面での将来性を企業に強調するためにフリーソフトウェア運動を改革し、再ブランドする方法を模索させた[91] 。1998年2月3日、パロアルト で開かれたフリーソフトウェア運動の戦略会議でソフトウェアの機能と品質の向上のために、技術者の参加を募集する方法、誰でも開発および供給に参加できる理念について議論していた[92] 。そこでフリーソフトウェアの極端な思想がビジネスの世界からは拒否されていると考えた人々は、「フリーソフトウェア」に代わる用語と理念を検討した。そこで「オープンソース」という用語をクリスティン・ピーターソン (英語版 ) が提案し[93] [94] 、オープンソースでは敢えて自由という点を強調はせず、ソースコードを公開するとどういうメリットがあるかを関心の中心とした。
「オープンソース」はフリーソフトウェア運動をしているラリー・オーガスティン (英語版 ) 、ジョン・ホール 、サム・オックマン、マイケル・ティーマン 、エリック・レイモンド などの会議の参加者に受け入れられた。翌週、エリック・レイモンドたちは用語の展開を働きはじめた[92] 。リーナス・トーバルズ は翌日、全ての重要な承認を実施した。フィル・ヒューズは『Linux Journal 』への投稿を提案した。フリーソフトウェア運動の先駆者であるリチャード・ストールマン はこの用語を受け入れることを考えたが、後に考えを改めている。
1998年4月7日にティム・オライリー が開催した多くのフリーソフトウェアとオープンソースのプロジェクトリーダーが参加するフリーウェアサミット(後にオープンソースサミットに名称を変更)で大きく躍進を遂げた[95] 。会議には、リーナス・トーバルズ 、ラリー・ウォール 、ブライアン・ベエレンドルフ (英語版 ) 、エリック・オールマン 、グイド・ヴァンロッサム 、マイケル・ティーマン 、エリック・レイモンド 、ポール・ヴィクシー 、そしてネットスケープコミュニケーションズ のジェイミー・ザウィンスキー (英語版 ) が参加した。その会議では名称について混乱を引き起こし、マイケル・ティーマン は新しく「sourceware」を主張し、エリック・レイモンド は「open source」を主張した。集まった開発者たちは投票を行い、同日午後に勝者である「open source」が記者会見で公表された。5日後の4月12日、エリック・レイモンドはフリーソフトウェアコミュニティへ新しい用語の「open source」の受け入れの発表をした[96] 。その後すぐ、同月末に「オープンソース・イニシアティブ (OSI)」が設立された。
オープンソース・イニシアティブは1998年に「オープンソースの定義 」を発表した[97] 。オープンソースの定義では、オープンソースは利用者がそのソースコードを商用、非商用の目的を問わず利用、修正、頒布することを許し、それを利用する個人や団体の努力や利益を遮ることがないこととした[98] [99] 。「オープンソースの定義」では「フリーソフトウェアの定義」のコピーレフトのようなプロプライエタリに用いてはいけないこと、ローカル・コモンズへの貢献を呼び掛けることはしなかった。オープンソース・イニシアティブはオープンソースの定義に従ったソフトウェアライセンスをオープンソースライセンスとして公認して、オープンソースのソフトウェアのブランド化を図った[100] 。
Apache Jakartaプロジェクトの邁進
Apache HTTP Server を開発していたApacheソフトウェア財団 はソースコードの共有が一般になされているJava 言語に着目し、1999年にApache License でJavaソースコードとライブラリをリリースする「Jakarta Project 」を始動した[101] 。
Jakarta Projectは、汎用共通ライブラリCommons 、テキストテンプレートエンジンVelocity 、全文検索エンジンLucene 、MSオフィスファイル操作POI など[102] [103] [104] [105] 、多数のJavaユーティリティライブラリを開発、公開した。Jakarta Projectは1999年にSun J2EE のJava Servlet に互換性を持つ「Jakarta Tomcat 」をリリースした[106] 。
2000年6月19日にJakarta Tomcatを主用途としたJava向けビルドツール 「Jakarta Ant 」をリリースし[107] 、2002年3月30日に依存ライブラリ管理機能やマルチプロジェクト統合管理機能を持つ「Jakarta Maven 」をリリースした[108] 。Jakarta Mavenはビルドファイルに依存ライブラリのURIを記述することでビルド時に自動的に依存ライブラリをダウンロード、コンパイルするパッケージ管理とビルド(コンパイル)を一連の処理として扱った、Java のgradle 、Go言語 のgo、Rust言語 のcargoなどの先駆けとなるツールであった。
LAMPとウェブサービスの繁栄
1990年代以降、インターネットが個人利用でも広く使われるようになり、Apache HTTP Serverを用いたウェブサービスが増えていた。2000年代のウェブサービスプラットフォームは、プロプライエタリソフトウェアのような制約がないウェブサービスプラットフォームとして、Linux OS、Apach サーバ、MySQL データベース、それにプログラミング言語であるPerl 、Python 、PHP を組み合わせた「LAMP 」が広まった[109] 。また、Java言語のマルチプラットフォームの「Jakarta Tomcat」、Ruby言語のインタプリタエンジンで動作する「Ruby on Rails 」などもウェブサービスプラットフォームとして使われた[110] 。それぞれのソフトウェアはプロプライエタリな制約がなく、利用者はLAMP上で商用、非商用のウェブサービス構築した。
開発支援環境の普及
Eclipse のスクリーンショット
オープンソースのソフトウェア開発では、開発支援環境はソフトウェア製品の開発とその環境自身の開発をサポートするのに使われた。
1990年代までのソフトウェア開発はプログラミングをするエディタとコンパイルするターミナルのウィンドウを切り替えて開発をしていたが、それらを一つのウィンドウ(アプリケーション)にまとめて加えてデバッガ連動、入力補完、プログラム実行などの開発補助をする統合開発環境 (IDE)が登場した[111] 。IBMは2001年11月にJava言語を対象としたIDE「Eclipse 」をリリースした[112] 。Javaの隆盛と供に爆発的に利用者が増えたEclipseは管理、開発体制の見直しがなされ、2004年にIBMから独立した組織であるEclipse Foundation に譲渡され[113] 、Javaに限らずプラグインで任意のプログラミング言語を対象とするIDEとなった[114] 。開発効率を上げる統合開発環境はソースコードを読み書きする開発者に受け入れられた。
1990年11月19日にリリースされたConcurrent Versions System (CVS)や2000年10月20日にリリースされたSubversion (SVN) のようなバージョン管理システム はソフトウェアプロジェクトでソースコードなどのファイルと変更履歴の管理をサポートした。1999年11月に立ち上げられたSourceForge.net はCVSのホスティングサービスを提供し、多くのオープンソースソフトウェアのプロジェクトを支援した。Linuxカーネルの開発では2002年から2005年の間、分散管理システムのBitKeeper が使われていた。2005年にBitKeeperが利用できなくなってからは、git をソースコードの分散管理システムとして開発し、利用を開始した。開発者が不特定多数で自由に利用、修正するオープンソースではクライアントサーバモデル のバージョン管理システムよりP2Pモデル の分散型バージョン管理システムが好まれ、2005年4月19日リリースのmercurial 、2007年12月14日リリースのbazaar など幾つかの分散管理システムが登場した。また、ソースコードのホスティングサービスも2005年にGoogleのGoogle Developers 、2006年にマイクロソフトのCodePlex 、2008年にgithub 、bitbucket が登場した。
対立と論争
インターネットの普及と共にオープンソースソフトウェアの文化が普及した2000年前後には、フリーソフトウェア運動家の啓蒙活動やソフトウェアベンダーのソースコード共有文化への攻撃など対立と議論が活発となった。
GNU/Linux名称論争
1990年代 中程以降、GNUプロジェクトの創始者であるリチャード・ストールマン はLinux を「Linux」ではなく「GNU/Linux」と呼ぶことをDebian を含むLinux 関連ソフトウェアベンダーに依頼していた[115] 。他者の開発するソフトウェアの名称を指定する名称変更の依頼は賛成派と反対派に分かれるGNU/Linux名称論争 となり、LinuxディストリビューションやLinux向けソフトウェア を開発する利用者がどのような名称でLinux を扱うかの論争となった。
フリーソフトウェア財団はフリーソフトウェアおよびGNUプロジェクトの啓蒙のためのGNU/Linuxの名称を使用していることを明言し、その上でそれがフリーソフトウェア運動として意味のあることと主張している[116] 。リチャード・ストールマンは名称変更運動が自己中心主義または個人な感情から生じているという指摘に対し、個人の名声ではなくGNUプロジェクトへの名声のために名称変更を主張していると述べている[117] 。
Linuxの開発者であるリーナス・トーバルズ はGNU/Linuxという名称の存在は否定しないが、それはGNUプロジェクトのLinuxディストリビューションに与えられる名称であり、 Linux全般をGNU/Linuxと呼ぶことは適切ではない述べている[118] 。『Linux Journal 』はリチャード・ストールマンのは名称変更の啓蒙活動は、「リーナスが、ストールマンがしたかったことで称賛を得た」ことに対するフラストレーションに起因するのではないかと推測している[119] 。
フリーソフトウェアとオープンソース
オープンソースの概念は一定の成功を収め、オープンソースのソフトウェア開発の手法と意義の浸透をもたらしたが、自由を強調しないという点はフリーソフトウェア運動 の支持者からの攻撃の標的となることがある。
1999年2月17日、オープンソース・イニシアティブの設立メンバーの1人ブルース・ペレンス はオープンソースが既に成功を収めたこと、そしてオープンソースがフリーソフトウェアから離れすぎていることを挙げて「今こそフリーソフトウェアについて再び語るべきときだ」と述べた[120] 。
2007年、リチャード・ストールマンはオープンソースの概念はフリーソフトウェアが主観にしている利用者の重要な自由を守るに足りえないとして、オープンソースはフリーソフトウェアの的を外していると批判した[121] 。
2013年、リチャード・ストールマンはフリーソフトウェア運動が問題視している利用者の自由への不当性をオープンソースは問題視していないと述べ、フリーソフトウェアの理念を正しく伝えるため「OSS (Open Source Software) 」ではなく、フリーソフトウェアとオープンソースを複合した用語の「FLOSS (Free/Libre and Open Source Software) 」の利用を推奨した[122] 。また、文章として表現する場合でも「フリーソフトウェアとオープンソースソフトウェア」のようにフリーソフトウェアを明示している。
「FLOSS」や「フリーソフトウェアとオープンソースソフトウェア」の表現は、フリーソフトウェア財団とオープンソース・イニシアティブの対立に起因するが、ウィキペディアでは一般的に使用されている用語かは別として中立性のために、広義のオープンソースソフトウェア (OSS)を表す場合にPortal:FLOSS や{{FOSS }}のタイトルなどで使用している(FLOSSに関する各カテゴリの扱いについて 、ポータルの名称 、Template:FOSS )。
オープンソースソフトウェアの商標
オープンソース・イニシアティブは1999年にアメリカでの「Open Source」の商標登録を求めたが、Open Sourceは一般的な用語であり特定団体が権利を持つ商標にはならないと判断されている。これについて、オープンソース・イニシアティブはOpen Sourceが一般的な用語として周知されたことを歓迎する立場を取っている[123] 。日本では2002年3月にオープンソースグループ・ジャパン がオープンソース/Open Sourceを商標登録(第4553488号)している[124] 。日本での用語の利用に際しては特に許諾や制限は求められないが、オープンソースの定義 と同等の扱いで利用されることが望まれている。
2006年2月にDebian プロジェクトのバグトラッキングシステムへFirefox の商標の扱い、およびメンテナンス方法に関する指摘が挙げたれた[125] 。要点としては、Mozilla Foundationがオープンソースソフトウェアとして開発しているFirefoxがDebianの公式リポジトリで修正を伴って再頒布されているが、公式ロゴとアートワークの適切な利用がなされていない、メンテナンス手法がセキュリティ等の観点から不適切であるなどの問題があるため、Firefoxの商標を用いて再頒布をしてはならないというものであった。幾つかの問題の解決方法を模索した上で、DebianはFirefoxのソースコードを修正したソフトウェアをFirefoxではなくIceweasel の名称で頒布することに決定した。
2007年にオープンソース・イニシアティブは、SugarCRM が自社のことを「Commercial Open Source」と表現し、オープンソース・イニシアティブがオープンソースライセンスとして承認していないライセンスをソフトウェアに課していたことを非難した[126] [127] 。後に、SugarCRMはライセンスをオープンソースライセンスとして承認されているGPLv3 に切り替えている[128] 。
企業からの攻撃
1998年、マイクロソフト の社内文書であるハロウィーン文書 の一部がエリック・レイモンド によりリークされた[129] 。ハロウィーン文書にはLinuxやオープンソースソフトウェアに関する潜在的な戦略についての検討情報が記載されていた。それらの文書では、オープンソースソフトウェアがマイクロソフトの自社製品と競合する製品であると認め、それらとどのように戦うかの戦略が検討されていた[130] 。
2003年3月7日、UNIXおよびLinuxのソフトウェアを開発していたSCO グループは、同社が権利を持つUNIXのソースコードに基づく機能をIBMが同社の開発するLinux関連製品に不正に組み込んだとして、IBMを提訴した[131] 。IBMはこれに対してSCOグループを反訴した。同様にSCOグループはIBM以外のNovell やRed Hat のLinuxディストリビューションベンダーも訴えた[132] [133]
。オープンソースソフトウェアのソースコードの著作権、開発機能の権利の在り処を争点として、SCOグループと各社は論争 をした。
オープンソースソフトウェア
2000年代後半から、1960年代にソフトウェア開発コストの増加により企業のプロプライエタリソフトウェア になっていたOSとプログラミング言語のコンパイラ が企業のオープンソースソフトウェア として提供されるようになった。
オープンソースOS
Ubuntu は2004年にユーザビリティの高いLinuxディストリビューションとなることを目標としてDebian から派生して開発された[134] 。従来Linuxはコンピュータにある程度詳しいホビイスト、ハッカーが利用するOSだったが、Ubuntuはコンピュータにさほど詳しくない利用者でも利用できるようインストール方法にLiveCD を採用し、GUIもWindows相当に利便化した環境を提供した。2010代初頭には、ユーザーエージェント から判断する限りでは、インターネットトラフィックの0.5%から0.65%の割合を占めていた[135] [136] 。また、2014年にUbuntu Touch をタッチパネルデバイス用に開発した。
Google は2005年にAndroid Inc.を買収し[137] 、OSとしてLinux、アプリケーション実行環境としてJava仮想マシンDalvik仮想マシン を採用したAndroid の開発を始め、2008年にHTC製タッチパネルスマートフォンHTC Dream を発売した[138] [139] 。また、Googleは2009年にウェブブラウザChrome の技術をベースにクラウドにアプリケーションとユーザーデータを保存するChrome OS の開発を発表した[140] 。
Nokia は2010年にSymbian がクローズドソースで開発、販売していたSymbian OS をオープンソースソフトウェアで公開した[141] 。LiMo Foundation は2010年にLinuxベースのモバイル向けOSであるMeeGo をリリースした[142] 。Symbian、MeeGoは日本ではMOAP(S) 、MOAP(L) として2000年代のフィーチャーフォン で採用されていた。
企業スポンサーの高級言語
2010年代前半から企業をスポンサーとした高級プログラミング言語 が発表、開発された。開発されたプログラミング言語はインタプリタエンジンが処理するスクリプト言語、仮想マシン で動作するVM言語、機械語にコンパイルするコンパイル言語 と多様である。
それぞれの言語に企業スポンサーがついているが、コンパイラ等はオープンソースライセンスで公開されており、コミュニティベースで仕様策定、実装、評価が行われ、プログラミング言語の利用者がプログラミング言語の開発者でもあるオープンソースソフトウェアである。Go 、Rust 、Swift はソースコードから実行形式のソフトウェアを出力が可能であり、長年続いたC/C++ とGCC の組み合わせに代わりうるコンパイル言語である[143] [144] [145] 。
アドビ は2007年4月26日にActionScriptのコンパイラのソースコードを「Adobe Flex SDK 」としてMozilla Public License で公開した[146] 。その後、Adobe FlexはAdobeのFlash事業縮小に前後して2011年 にApacheソフトウェア財団に寄贈され[147] 、Apache FlexとしてApache License で公開された[148] 。Google は2011年10月10日にJavaScriptやActionScript (Adobe Flash) に代わりウェブブラウザ上で高速動作するスクリプト言語「Dart 」の開発を発表した[149] 。Dartエンジンは同社製Chromeウェブブラウザで試験実装され、他社製ウェブブラウザへ展開することが計画されていたが、正式採用されることはなく開発は2017年に収束報告がなされた[150] 。マイクロソフト は2012年 10月1日 にJavaScriptの型安全性を補完し、実行速度を最適化するスクリプト言語「TypeScript 」を発表した[151] [152] 。TypeScriptはトランスパイル することでJavaScriptに変換することができ、既存のウェブブラウザで動作するJavaScriptエンジン互換のスクリプト言語であった[153] 。
サン・マイクロシステムズ は2007年にJava Development Kitのオープンソースソフトウェア版「OpenJDK 」をリリースした[154] 。マイクロソフト は2014年11月12日 に.NET Frameworkのコンパイラ、ライブラリ、ランタイム (.NET VM) を「.NET Core 5」としてリリースした[155] 。
Google は2012年3月にマルチコアのマシンでプログラマが意識することなくマルチスレッドを最適化して実行する「Go 」を発表した[156] 。Mozilla Foundation は2012年1月に速度、安全性、平行性を言語仕様特徴として謳うシステムプログラミング向けの「Rust 」を発表した[157] 。アップルは2014年6月にiOS /macOS 用プログラミング言語のObjective-Cの文法をモダンにリフォーマットした「Swift 」を発表した[158] [159] 。
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関連項目