TAKAみちのく(タカみちのく、1973年10月26日 - )は、日本の男性プロレスラー。千葉県四街道市出身。JUST TAP OUT代表取締役社長兼レスラー。血液型B型。新日本プロレスのユニットJust 4 Guysのリーダー格。
父が雪印に勤めていたため、千葉県四街道市、石川県金沢市、岩手県盛岡市と転勤を繰り返していた。
岩手県立盛岡工業高等学校卒業後、ユニバーサル・プロレスリングに入門。
9月4日、ユニバーサル・プロレスリング後楽園ホール大会の対スペル・ティグリート戦でデビュー。リングネームはユニバーサル・プロレスリングの先輩であり、同郷でもあるザ・グレート・サスケの若手時代のリングネーム「MASAみちのく」を引き継いだものである。また、三度笠の旅烏スタイルでファイトをしていた。9月、ユニバーサルのシリーズ終了後にサスケから、みちのくプロレスの旗揚げ構想を聞かされると同時にサスケに誘われて、みちのくプロレスに入団。以降はサスケと共に、みちのくプロレスの設立準備を続けていた。
4月16日、新日本プロレス主催で開催された「SUPER J-CUP」に出場。
6月、新日本プロレスで開催された「BEST OF THE SUPER Jr.」に出場。同年、ルード軍「デルフィン軍団」に加入したことで軍団結成時からのメンバーである愚乱・浪花と対立。9月29日、浪花とのデルフィン軍団遺恨清算マッチ後に浪花と和解。その年のタッグリーグ戦「みちのくふたり旅」に2人で出場した。
12月13日、船木勝一とタッグチーム「夢狩人」を結成。
6月14日、船木と共にルード軍「海援隊☆DX」に加入。
5月、メキシコ遠征に行く。
7月、WWFでサスケのトライアウトの対戦相手に指名されてカナダで2連戦が行われ、逆にTAKAがトライアウトに合格。理由はサスケの体調がよくないことと黒装束がアメリカでは悪役にしか見られなかったことが影響している。このことで、サスケは横取りされたと激怒して2人の仲に亀裂が生じた(実際の理由はサスケ自身がみちのくのトップであり、最大のスターであるサスケが不在にする間のみちのくプロレスへの補償問題と言われている)。
10月にWWFと契約を結んで、10月10日に行われたみちのくプロレスの両国国技館大会に参戦。サスケとのシングルマッチが行われたが、敗北を喫した。試合終了後、TAKAは「サスケ、みちのく潰すなよ!」とヒールとしては異例のマイクを残し、サスケと握手を交わした。
12月7日、王座決定トーナメントで優勝して初代WWFライトヘビー級王者(復活版)になった。
3月29日、WWFで年間最大の祭典であるレッスルマニアXIVに日本人レスラーとして初出場。アギラとのWWFライトヘビー級選手権試合に勝利して初防衛に成功。また、フナキとのタッグチーム「カイエンタイ」では、英語でマイクアピールが出来ないという欠点を逆手に取り、映画の吹き替えのように「口と声が合っていない」マイクアピールを行い、不思議な人気を獲得。この頃、カイエンタイのTシャツが売り上げNo.1になったこともある。
3月13日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館大会に参戦。
WWEに参戦した当時は「メジャーリーガー」とその立場を野球に例えられたが、TAKAはメキシコ遠征の延長でそこにつながっただけと思っている。しかし、24歳から28歳の1番体が動く時期にプロレス界最大手の表も裏も見えたのはTAKA本人にとって良い経験であり、毎週身長2m級の大男にやられたことで耐久力もついたと振り返っている[1]。
10月、プエルトリコに日本人プロレスラー養成道場「KAIENTAI DOJO」を設立。
怪我で欠場を余儀なくされる。
3月1日、横浜アリーナで開催されたWWFの日本公演でフナキの試合にセコンドとして登場したのを最後にWWFを退団。
3月、KAIENTAI DOJOがプエルトリコから撤退してTAKAの地元千葉県に拠点を移した。
4月20日、ディファ有明でKAIENTAI DOJOの旗揚げ戦「CLUB-K SUPER ev.」を開催。
全日本プロレスが武藤敬司体制になって以降、請われて全日本に参戦するようになり、外国人レスラー軍「RO&D」を団体内の一大勢力として纏め上げた。また、巧みな話術を生かし、興行スタート時の前説(RO&Dタイム)も務めていた。
10月24日、プロレスリング・ノアに参戦し金丸義信のGHCジュニアヘビー級王座に挑戦。
1月5日、全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座を、1月10日、KAIENTAI DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-K王座を獲得する。全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座、KAIENTAI DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-K王座、みちのくプロレスの東北ジュニアヘビー級王座の三冠王となった。
7月3日、DRAGON GATEに参戦、望月成晃のオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦。
12月9日に開催されたインディーサミットに出場。
RO&Dとしての活動がVOODOO-MURDERSとの解散マッチに敗れたため、終了となった。
6月4日、TOMOみちのくとのタッグでWEWハードコアタッグ王座を獲得する。
12月31日に開催されたインディーサミットの選手兼マッチメイカーとして出場。
2月、カズ・ハヤシらとメキシコに遠征するはずだったが、車上荒らしによりパスポートを紛失したため日本に残った。
全日本プロレスの3月シリーズより、贋メキシカン・トリオ「メキシコ・アミーゴス」のリーダー、ペペみちのくとして登場(他のメンバーは、カズが扮するミゲル・ハヤシJrとNOSAWA論外が扮するエル・ノサワ・メンドーサ)。偽物感溢れるメキシカンテイストで人気を博した。
プロレスリング・ノアの4月シリーズにおいて、一度袂を別ったバリー・ブキャナン、ディーロ・ブラウンと再度組んでRO&Dを復活させた。
5月2日、新日本プロレス後楽園ホール大会でディック東郷とのタッグで外道、邪道からIWGPジュニアタッグ王座を奪取した。
8月12日、KAIENTAI DOJO後楽園ホール大会でSTRONGEST-Kトーナメントで初優勝を果たす。
12月、ブログで結婚したことを発表。
1月30日、TAKAは新日本プロレスの後楽園ホール大会にNOSAWAと共に突如姿を現し、そこでIWGPジュニアヘビー級王座とIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦表明をした。TAKAは小島聡、MVP、タイチ、NOSAWAらと共に小島軍(仮)を結成する。
2月20日、仙台サンプラザホールにて、プリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。TAKAもラ・ケブラーダなどを放ちデヴィットを追い込んだが、最後はデヴィットのブラディサンデーによって敗れた。
5月3日の福岡国際センターでの小島対真壁刀義戦の試合後、TAKAは真壁に敗れた小島をタイチと共に襲撃し小島軍(仮)が解体された。この後、突如現れた鈴木みのると結託して鈴木軍を結成、TAKAはこの試合を機にタッグを結成した小島、真壁と抗争を展開する。
11月12日、同年2度目のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。だが、デヴィットのブラディサンデーで敗れた。
5月11日、南条隼人に勝利してインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を奪取。TEPPEIに敗れるまで16度の防衛を果たしている。
6月9日、後楽園ホールの『BEST OF THE SUPER Jr.』準決勝に、負傷欠場した田口隆祐のリザーバーとして出場もアレックス・シェリーに敗れる。
7月20日、秋田市立体育館でタイチと組みフォーエバー・フーリガンズ(ロッキー・ロメロ&アレックス・コズロフ)のIWGPジュニアタッグ王座に挑むも敗北。
10月14日、両国国技館でタイチと組みフォーエバー・フーリガンズからIWGPジュニアタッグ王座を奪取。
11月1日、新宿FACEでTAKA&タイチ興行を初開催。邪道&外道組を3本勝負で破り、IWGPジュニアタッグを防衛。
11月9日、大阪府立体育会館でヤングバックス(マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン)に敗れIWGPジュニアタッグから陥落。
KAIENTAI DOJOの経営危機であり、Blue Fieldの家賃も支払えなかったという。しかし十枝利樹(現在の会長)に出会い、会社の立て直しをしてもらった[1]。
3月15日、プロレスリング・ノアの有明コロシアム大会で、拳王&大原はじめ組、平柳玄藩&原田大輔組との3WAYマッチを制し、GHCジュニアタッグ王座を獲得。
10月4日、ノアの名古屋国際会議場大会で原田&小峠篤司組に敗れ、GHCジュニアタッグ王座陥落。
2月5日、北海道立総合体育センターでタイチと組み、ROPPONGI VICEのIWGPジュニアタッグに挑むも敗北。
8月、全日本プロレス45周年記念両国大会〜新たなる決意〜でブラックタイガーVIIと組みアジアタッグ王座に挑戦[2]。
9月4日の「TAKAみちのく25周年記念大会~SIMPLE IS BEST~」では、飯伏幸太とタッグを組むことが明かされた。TAKAは当初、吉田綾斗をオカダ・カズチカと対戦させたかったが、吉田が怪我をしてしまったため、ならばここは自分のやりたいことをやろうと思って飯伏とのタッグを組んだ。メイン以外では、KAIENTAI DOJOの若手にチャンスを与えている。グレート・サスケ、スペル・デルフィン、ディック東郷の3人タッグなどのこれまでにないカードも見られている。この興業を計画した背景には、バンビやERINAという所属している2人の女子レスラーがどこまで他団体のメジャーどころに通じるかという狙いもある[1]。
KAIENTAI DOJOイズム継承マッチを行っていて本田アユム、洞口義浩、吉野コータローなどの若手選手やヒロ・トウナイやバンビと対戦を行う。TAKA曰く、無駄な技を減らし、頭から落とすような危険な技をせずロープワークや無駄なフォール、打撃すらも極力削り取った一点集中で試合を構築し、自らの必殺技一発で勝利する試合がKAIENTAI DOJOイズムであるという[3]。
11月6日、光文社のFLASHでTAKAの不倫が報道された。
1月19日、TAKAは記者会見を行って1月30日付でKAIENTAI DOJOの取締役解任及び退団することを発表した。退団に関しては、TAKA本人の責任を取りたいという希望による[4]。退団に際して『週刊プロレス』は「後輩の手本となるべき存在であるにもかかわらず、実際は反面教師になってしまった」、「S-K王座を持っていたのは10年も前になり、ここ数年は前線に立ってなかったので、いなくなってもリングに大きな変化はない」と不倫報道の責任を仄めかし、KAIENTAI DOJOでの重要性が低くなっていたことも指摘している[5]。
4月11日、プロフェッショナルレスリングJUST TAP OUTを設立することを発表[6]。
7月8日、後楽園ホールでプロフェッショナルレスリングJUST TAP OUTの旗揚げ戦を開催。
11月、新日本プロレスのWORLD TAG LEAGUE2021にて鈴木みのるのパートナーとして2年半ぶりに新日マットに参戦。
10月14日、後楽園ホールでのデビュー20周年記念大会で外道と激突も敗れる[7]。
12月19日、代々木競技場第2体育館大会にて『タカタイチ2人合わせて50周年記念 サヨナラタカタイチ興行』を開催。高橋ヒロムと「名も無きヒロムロール、またはみちのくドライバーIIを返したら100万円懸賞金マッチ」を行なうも敗北。
1月5日、大田区総合体育館でタイチ、金丸義信、DOUKIと共にJust 4 Guys結成[8]。
3月1日、『ジュニア夢の祭典 〜ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023〜』にて、がんばれ!大谷晋二郎10人タッグマッチに出場[9]。
12月14日、新宿FACE大会にてTAKAみちのく、タイチ組がSANADA、外道から3本勝負で勝利[10]。
5月7日、後楽園ホール大会にて棚橋弘至とのスペシャルシングルマッチで敗れる[11]。