横須賀 ススム(よこすか すすむ、1978年2月18日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名・旧リングネームは、望月 享(もちづき すすむ)。神奈川県横須賀市出身。DRAGON GATE所属。血液型B型。2002年〜2011年までは横須賀 享(よこすか すすむ)として活動し、2017年10月~2022年5月まで横須賀ススムを名乗り、2022年5月から望月ススムとして活動。2024年4月から再び横須賀ススムとして活動する。
中学卒業後に新日本プロレスの入門テストを受けたが不合格になり、後に、みちのくプロレス[2]へ入門したが人間関係が原因でデビュー前に退団。
1997年、闘龍門の3期生としてメキシコへ渡り、1998年11月22日に本名の望月享としてプロレスデビューを果たした。デビュー戦直後に闘龍門の若手選手によって行われる大会「ヤングドラゴン杯」にエントリーされるも初戦敗退(この時の優勝者は堀口元気)。翌年の“ヤングドラゴン杯”にも参加したが、結果は準決勝敗退。しかし、この大会後をきっかけに前々から意気投合した神田裕之と共にルードに転向する。
2000年1月2日にメキシコで行われたIWRGインターコンチネンタル・タッグ初代王座決定トーナメントに、神田裕之と出場。見事にトーナメントを制覇し、初代IWRGタッグ王座を獲得。その後もタッグ戦での実力を存分に発揮して注目されるようになる。
2000年3月5日、IWRGタッグ王座戦に敗れ王座陥落するも、裁定に納得できずに神戸大会をボイコットし、直後にメキシコに渡る。1か月後に帰国し、突如福岡大会に現れる。その大会で無理矢理試合に参戦することを要求。その試合後にCRAZY-MAXに襲撃されてしまうが、当時闘龍門にフリーで参戦していた望月成晃に救出される。これがきっかけになり4月25日に望月成晃、神田裕之とM2Kを結成する。また、タッグ戦線だけに留まらず英連邦ジュニアヘビー級王座やNWAウェルター級王座などのシングル王座も積極的に挑戦し、NWAウェルター級王座の獲得は成功した。
2002年2月24日に不完全燃焼がユニットの銘だったM2Kに、突如リーダーの望月成晃が完全決着推進のスローガンを掲げ、意見の違いから2人の間に遺恨が生まれる。そして「闘龍門に望月は2人もいらない」という理由から、自分と同姓である望月成晃と、「モチヅキ・コントラ・モチヅキ」という互いの姓字を賭けたコントラ・マッチを行い、敗退。試合前の条件により、リングネームを出身地にちなんだ横須賀享に改めた[3]。
その後、神田裕之の引退と一緒にM2Kは封印され、Do FIXERに籍を置くこととなった。神田の次はK-ness.とタッグを組むようになり、2人のタッグをファンは「クネスカ」と呼ぶようになる。
2004年6月20日に悪冠一色を追放され、襲撃される望月成晃を突如助ける。そしてDo FIXERを卒業という形で離脱し、再び望月成晃とタッグを結成。同じくDo FIXERを卒業したK-ness.、無所属だった新井健一郎、セカンド土井(現:土井成樹)とFinal M2Kを結成する。
2004年8月28日、CIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲート王座の挑戦権を賭けた試合“キーハンティング4Way戦”に出場し勝利。ドリームゲートの挑戦権を獲得する。この時の対戦相手はエル・ヌメロ・ウノ優勝者のドラゴン・キッド、当時DRAGON GATE最重量の大鷲透、大本命のミラノ・コレクションA.T.で、享にとっては圧倒的に不利が予想されていたが、その予想を見事に覆した。9月17日にCIMAとオープン・ザ・ドリームゲート王座戦を行うが結果は敗退。
2005年12月のKING OF GATEに出場するも、決勝戦で斎藤了に敗れ準優勝。
2006年4月23日に斎藤了の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑み、勝利して第5代王者となった。その後B×Bハルク、ドラゴン・キッド、ペンタゴン・ブラックと3度の防衛に成功した[4][5]。8月11日に数々の功績が認められ望月成晃からFinal M2Kリーダーの座を譲り受けたが、11月大阪大会でドン・フジイに敗れてドリームゲート王座陥落。
2007年1月にはFinal M2Kも解散。3月30日、ROHに参戦し、ドラゴン・キッドと対戦。12月23日、肉体改造に成功しウェイトが軽くなったため、吉野正人の持つオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦するが30分近くの熱戦の末、敗退。
2008年5月5日、愛知県体育館で斎藤了と共に新井健一郎&岩佐拓(通称:新岩)の持つオープン・ザ・ツインゲート選手権試合に勝利し、王座を獲得。11月16日には大阪府立体育会館で鷹木信悟の保持するオープン・ザ・ドリームゲートに挑んだ。脇腹を痛めた状態で30分以上の試合を繰り広げたが敗北[4][5]。
Typhoonの解散後は連敗が続いたが、斎藤が再びリョウスカの結成を提案。横須賀もその提案を受け、2009年2月15日の博多スターレーン大会で、REAL HAZARDのYAMATO&サイバー・コングが保持するオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座に挑戦。しかし、試合中に斎藤の裏切りに遭い敗北、斎藤はREAL HAZARDに加入する。試合後もREAL HAZARDのメンバーから暴行を受けるが、そこにREAL HAZARDの前リーダーGammaが登場し、横須賀を救出し、新タッグの結成を表明。
3月1日の大阪府立体育会館第2競技場大会でGammaとの新タッグでオープン・ザ・ツインゲート王座に再び挑戦し、これに勝利。第6代王者となった。試合後、年末から消息を絶っていたCIMAが登場し、横須賀享・Gamma・CIMA、そしてこの日REAL HAZARDを脱退したKAGETORAの4人により、新ユニットWARRIORS-5の結成を電撃発表した。
4月26日の博多スターレーン大会にて、斎藤了とシングルマッチで対戦するが敗北。しかし、6月11日後楽園ホールでDr.マッスルに扮して斎藤を挑発し、7月10日に再戦し、勝利した。10月25日、博多スターレーン大会にて、土井成樹の持つオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦し、土井のマスキュラーボムに対する返し技を使用するなどで、土井を追い詰めるものの、敗北。試合後、土井に挑戦を表明したB×Bハルクの発言に反発するが、CIMAとGammaに制止され、2人に対して不信感を抱き、ユニット内で孤立する。11月に入り、不穏な動きが見られるようになり、同時期に登場したDr.マッスルの正体と噂されるようになる。12月3日の後楽園ホール大会でWARRIORS-5を離脱し、REAL HAZARDに加入した。しかしその後離脱、クネスカとしてK-ness.と活動する。
2010年5月13日、鷹木信悟・サイバー・コングの持つツインゲート王座に挑戦、奪取に成功する。以後、11月23日に土井成樹・Gammaに敗れるまで4度の防衛に成功する。
2011年12月、KAGETORAと組み、戸澤陽・B×Bハルクの持つオープン・ザ・ツインゲート王座に挑戦した。戸澤の提案で「負けたら"ジミー"が付く名前へ改名」という条件付きの試合だったが敗北し、ジミー・ススムに改名させられた。同時にKAGETORAも「ジミー・カゲトラ」となった。
しかし2012年3月にジミー神田、斎藤"ジミー"了、堀口元気H.A.Gee.Mee!!、7月にはMr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィンが相次いで加入し、「ジミーズ」が存在感を発揮してきた[1][4]。2013年末には斎藤・谷嵜とのタッグでオープン・ザ・トライアングルゲート王座を獲得した[6]。
2014年2月には斎藤の負傷で一旦返上したものの、谷嵜・神田とのタッグで再び獲得[6]。5月にはフラミータの保持するブレイブゲートに挑戦するも敗北。6月にKING OF GATE初優勝、さらに9月にはカゲトラと共にSummer Adventure Tag Leagueも制したが、優勝者として臨んだドリームゲート戦(YAMATO)、ツインゲート戦(T-hawk・Eita組)にはどちらも敗北し、ベルトを掴めなかった。
しかし10月には故障明けの斎藤が復帰祝いと称し、堀口・ススムとのタッグでトライアングルゲート戦を要求。CIMA・Gamma・フジイ組に勝利してトライアングルゲートを獲得した[6]。
2015年2月5日、ハルクの持つドリームゲートに挑戦したが敗北。
8月6日、マッドブランキーとミレニアルズと解散マッチを行いミレニアルズが負けたことでとりあえずジミーズは守られたが、8月16日にもう一度マッドブランキーと解散マッチを行う事になる。
そして8月16日、YAMATOによりかなり追い詰められるが、K-ness.がYAMATOに塩攻撃をくらわせ、須賀ドラニーなども決め、最後はジャンボの勝ち!でフォールを奪い、ジミーズを守った。
9月27日、クネスカとして初のタッグリーグ優勝の座に輝き、10月4日、クネスカで土井とYAMATOの持つツインゲートに挑戦するが、獲得はできなかった。
2016年2月14日、鷹木の持つドリームゲートに挑戦し、約10年ぶりにドリームゲートのベルトを獲得した。
しかし3月6日、前ドリームゲート王者の鷹木との初防衛戦でパンピングボンバーで敗北。防衛回数0でドリームゲートを奪い返され、更に3週間天下とバカにされてしまった。
6月19日、京都大会でジミー・カゲトラとのタッグでツインゲート王座を奪取。
10月5日、東京後楽園ホールで「さよならジミーズゲート・ザ・ファイナル」が開催されてジミーズが解散[7]。
ジミーズ解散の翌々日の2017年10月7日、多治見大会から「横須賀 ススム」に再々改称して活動する[8]。
2019年3月21日、ドラゴン・キッドの持つブレイブゲートに挑戦し、自身初のブレイブゲートのベルトを奪取し土井成樹、CIMA、吉野正人、リコシェ、PACに次ぐ史上6人目の四大タイトル全制覇を達成。その後、ブレイブゲート王座を4度防衛した。
2020年1月3日、全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座決定トーナメント決勝で佐藤光留をジャンボの勝ちで下し新王者となる。幼少期から全日本ジュニアのファンであったことを公言するススムにとって悲願の同タイトル獲得となった。
2022年5月5日、KAIの持つドリームゲート王座に挑戦するも敗れ、KAIのリスクである、NATURAL VIBES脱退と、リングネームの横須賀ススムから望月ススムに変わる。
2024年4月10日、再びリングネームを「望月 ススム」から「横須賀 ススム」に改名し活動する。[9]
基本はラリアットやボム系のパワー技を中心に試合を組み立てるのだが、DRAGON GATEでは平均的な体格のため、対戦相手、会場、試合内容によって教科書通りのプロレス技から意外な技までも見せるオールラウンダー型である。
1 土井成樹&吉野正人 / 2 新井健一郎&岩佐拓 / 3 横須賀享&斎藤了 / 4 土井成樹&吉野正人 / 5 YAMATO&サイバー・コング / 6 横須賀享&Gamma / 7 堀口元気&斎藤了 / 8 鷹木信悟&YAMATO / 9 CIMA&Gamma / 10 CIMA&Gamma
11 鷹木信悟&サイバー・コング / 12 横須賀享&K-ness. / 13 土井成樹&Gamma / 14 望月成晃&ドン・フジイ / 15 堀口元気&斎藤了 / 16 ドラゴン・キッド&PAC / 17 CIMA&リコシェ / 18 B×Bハルク&戸澤陽 / 19 ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ / 20 B×Bハルク&谷崎なおき
21 ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ / 22 鷹木信悟&YAMATO / 23 望月成晃&ドン・フジイ / 24 B×Bハルク&ウーハー・ネイション / 25 鷹木信悟&YAMATO / 26 B×Bハルク&戸澤陽 / 27 土井成樹&リコシェ / 28 ドラゴン・キッド&K-ness. / 29 T-Hawk&Eita / 30 土井成樹&YAMATO
31 鷹木信悟&戸澤陽 / 32 T-Hawk&Eita / 33 CIMA&Gamma / 34 T-Hawk&Eita / 35 YAMATO&サイバー・コング / 36 吉野正人&しゃちほこBOY / 37 土井成樹&YAMATO / 38 T-Hawk&ビッグR清水 / 39 ジミー・ススム&ジミー・カゲトラ / 40 CIMA&ドラゴン・キッド
41 T-Hawk&Eita / 42 ビッグR清水&Ben-K / 43 YAMATO&B×Bハルク / 44 ビッグR清水&Ben-K / 45 YAMATO&KAI / 46 Eita&ビッグR清水 / 47 YAMATO&B×Bハルク / 48 B×Bハルク&KAZMA SAKAMOTO / 49 箕浦康太&ジェイソン・リー / 50 B×Bハルク&KAI
51 望月成晃&吉田隆司 / 52 石田凱士&KAZMA SAKAMOTO / 53 横須賀ススム&KING清水 / 54 土井成樹&吉田隆司 / 55 H・Y・O&SB KENTo / 56 ドラゴン・ダイヤ&吉岡勇紀 / 57 シュン・スカイウォーカー&ディアマンテ / 58 ジェイソン・リー&JACKY"FUNKY"KAMEI / 59 ドラゴン・ダイヤ&菊田円 / 60 BxBハルク&KAI / 61 Kzy&BIGBOSS清水 / 62 拳王&近藤修司 / 63 望月ススム&神田ヤスシ / 64 ドラゴン・ダイヤ&吉岡勇紀 / 65 清宮海斗&アレハンドロ / 66 土井成樹&ドラゴン・キッド / 67 Kzy&フラミータ / 68 箕浦康太&ジェイソン・リー