NHK杯(エヌエイチケイはい)は、日本中央競馬会が東京競馬場で施行していた中央競馬の重賞競走(GII)である。東京優駿(日本ダービー)のトライアル競走として行われ、上位入着馬に東京優駿の優先出走権が与えられていた。
1953年のテレビ放送開始に伴い、日本放送協会 (NHK) では東京優駿(日本ダービー)の実況中継を計画した。その際、有力馬がNHKの冠名が付くレースで好成績を挙げたのを、放送や新聞等のメディアで取り上げられれば、NHKにとって好都合になると考え、それまで存在しなかったトライアルレースを設置して、その競走にNHKの冠名を付けてもらい、その代わりに優勝カップを提供することを農林省競馬部に提案した。競馬部としても、トライアルレースを設置することによって、東京優駿への出走馬への注目をさらに集めることができると考え、NHK杯競走の設置に同意した。[要出典]
第1回は、皐月賞の優勝馬のボストニアンや2着馬ハクリヨウ、フソウなどが出走し、ボストニアンが勝利を飾った。この年の東京優駿は結局テレビ中継できなかったものの、これらの馬がNHK杯競走で好成績を挙げたことをメディアで取り上げられたことでNHKの狙いは達成され、翌年以降は両競走ともにテレビ中継されるようになった。[要出典]
このため、1984年(当時はNCK→JRA独自の格付け)の重賞格付けが開始されてから、GII競走に指定されながらも、主要GI(八大競走のうちの、牡馬三冠、天皇賞、有馬記念他)を中継していた総合テレビ(NHK G、『NHK競馬中継』)でも、それらと同格の扱いでその模様が生中継された。
1995年(平成7年)の競馬番組改革で、NHK杯は翌1996年から新設されるGI『NHKマイルカップ』に、ダービートライアルとしての役割は青葉賞とプリンシパルステークスに引き継がれることになり、その年の第43回競走を最後に廃止された[注 1]。
出走条件は3歳(旧4歳)の国内産の牡馬・牝馬限定で外国産馬(1972年 - 1983年までは持込馬含む)および、騸馬は出走できなかった。
中山競馬場で施行された1967年を除き東京競馬場で開催。