栗田 博憲(くりた ひろのり、1948年11月4日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。
1972年に中山競馬場白井分場の成宮明光厩舎で調教助手となる。1980年に調教師免許を取得し、厩舎を開業。初出走は同年10月25日東京競馬第10競走のタニノネバアーで14着、初勝利は翌1981年3月22日中山競馬第4競走のフジノタイヨーでのべ16頭目であった。1987年、日刊スポーツ賞金杯でトチノニシキが単勝14番人気の低評価を覆して優勝し、重賞初勝利を挙げた。同年のエリザベス女王杯ではタレンティドガールが、栗田の提案した正攻法[1]で桜花賞・優駿牝馬の牝馬二冠馬マックスビューティを抑えて優勝し、G1競走初勝利となった。
1999年5月16日に東京競馬場で施行された緑風ステークス(1600万下条件戦)においてシンコウシングラーを出走させたが、後検量において負担重量が1.7キログラム不足していたために失格となった。これは栗田が同馬に鞍を装着する際、鞍に付属するパッドを付けずに装着したことが原因で起こったと推定され、注意義務を怠ったとして日本中央競馬会から制裁(過怠金50万円)を科された(詳細はシンコウシングラー事件を参照)。
2019年2月28日付けで定年の為、調教師を引退した。
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