1994年の日本ハムファイターズ(1994ねんのにほんハムファイターズ)では、1994年の日本ハムファイターズにおける動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、3回目の大沢啓二監督体制の2年目のシーズンである。
概要
監督就任2年目の大沢は、「1994年のシーズンは1993年の勢いのままいこうと思ってた。故障していたエースの西崎幸広も戻ってくるし、準備も万全。はっきり言って、自信もあったよ」と述べていたが、大沢は自信があったシーズンだったが、いくつか誤算があった。柴田保光の心臓疾患、横浜を自由契約となった高木豊を獲得したが、大沢は「あいつはもっとやられると思っていた。けど、やっぱり力が衰えてたんだなあ。打線のブレーキになっちまった。[2]」と述べ、マット・ウインタースやリック・シューは契約で揉めてやる気を無くして大きな誤算になった[2]。開幕直後にロッテに連勝したものの、オリックスに3連敗を喫した。フロントが現場批判を新聞記者にしゃべり、その翌日のスポーツ紙に「日本ハム内紛、フロントが現場批判」という記事が載り、頭に来た大沢が当事者の球団関係者を怒鳴りつけた以降はチームの空気が悪くなり、大沢とフロントが対立、最下位に低迷し8月にオーナーの大社義規に今シーズン限りで退団することを報告した[2]。最後は1984年以来、10年ぶりの最下位に終わった。東京ドームでの最終戦となった9月28日のロッテ戦試合終了後に大沢が「今年、最下位になったのはすべて私の責任です。ファンの皆様には大変申し訳なく思っております。」と話し、グラウンドで土下座してファンに謝罪した[2]。シーズン終了後、戦力外を受けた大島康徳[3]、柴田、高木も同年限りで引退した。
チーム成績
レギュラーシーズン
オーダー変遷
|
開幕:4/9 |
5/1 |
6/1 |
7/2 |
8/2 |
9/3
|
1
|
二 |
白井一幸
|
遊 |
広瀬哲朗 |
二 |
白井一幸 |
遊 |
広瀬哲朗 |
遊 |
広瀬哲朗 |
遊 |
広瀬哲朗
|
2
|
遊 |
広瀬哲朗
|
二 |
白井一幸 |
三 |
片岡篤史 |
二 |
白井一幸 |
中 |
鈴木慶裕 |
二 |
白井一幸
|
3
|
左 |
高木豊
|
右 |
田中幸雄 |
右 |
田中幸雄 |
右 |
田中幸雄 |
右 |
田中幸雄 |
右 |
田中幸雄
|
4
|
指 |
ウインタース
|
指 |
ウインタース |
指 |
ウインタース |
指 |
ウインタース |
指 |
ウインタース |
指 |
ウインタース
|
5
|
一 |
シュー
|
左 |
高木豊 |
一 |
シュー |
左 |
五十嵐信一 |
左 |
中島輝士 |
三 |
片岡篤史
|
6
|
右 |
田中幸雄
|
一 |
シュー |
左 |
小川皓市 |
中 |
鈴木慶裕 |
三 |
片岡篤史 |
一 |
シュー
|
7
|
三 |
片岡篤史
|
三 |
森範行 |
捕 |
田村藤夫 |
一 |
シュー |
一 |
五十嵐信一 |
左 |
小川皓市
|
8
|
捕 |
田村藤夫
|
捕 |
田村藤夫 |
中 |
大貝恭史 |
捕 |
田村藤夫 |
捕 |
田村藤夫 |
捕 |
田村藤夫
|
9
|
中 |
大貝恭史
|
中 |
大貝恭史 |
遊 |
広瀬哲朗 |
三 |
片岡篤史 |
二 |
白井一幸 |
中 |
鈴木慶裕
|
|
投 |
西崎幸広 |
投 |
関根裕之 |
投 |
河野博文 |
投 |
河野博文 |
投 |
西崎幸広 |
投 |
白井康勝
|
[4]
1994年パシフィック・リーグ順位変動
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
|
最終成績
|
1位
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
2位
|
ダイエー
|
ダイエー |
0.5
|
ダイエー |
5.0
|
ダイエー |
1.0
|
オリックス |
1.0
|
オリックス |
7.5
|
3位
|
オリックス |
2.5
|
オリックス |
6.5
|
オリックス |
6.0
|
オリックス
|
近鉄 |
1.0
|
近鉄
|
4位
|
ロッテ |
3.5
|
ロッテ |
8.0
|
ロッテ |
11.0
|
近鉄 |
5.5
|
ダイエー |
4.0
|
ダイエー |
7.5
|
5位
|
日本ハム |
4.5
|
近鉄 |
10.0
|
近鉄 |
13.0
|
ロッテ |
15.5
|
ロッテ |
16.0
|
ロッテ |
21.0
|
6位
|
近鉄 |
4.5
|
日本ハム |
11.0
|
日本ハム |
16.0
|
日本ハム |
19.0
|
日本ハム |
20.0
|
日本ハム |
28.5
|
期間 成績
|
7勝11敗1分 勝率.389
|
10勝16敗 勝率.385
|
8勝13敗 勝率.381
|
5勝14敗2分 勝率.263
|
10勝12敗1分 勝率.455
|
7勝12敗1分 勝率.368
|
オールスターゲーム1994
できごと
選手・スタッフ
|
---|
監督 | |
---|
一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
---|
外野手 | |
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[4]
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
|
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |