1963年の東映フライヤーズでは、1963年の東映フライヤーズにおける動向をまとめる。
この年の東映フライヤーズは、水原茂監督の3年目のシーズンである。
概要
水原監督2年目の1962年に優勝&日本一を果たしたチームだが、この年は山本八郎が近鉄に移籍した以外は打撃陣の顔ぶれはほとんど変わらず、開幕を迎えた。しかし、張本勲や毒島章一、ジャック・ラドラなどの打線の頑張りもむなしく投手陣が打ち込まれる試合もあり勝ち星が前年から低下。それでも土橋正幸や久保田治、尾崎行雄などの投手陣が奮闘し最後は近鉄とのAクラス争いに勝ち、辛うじて3位を確保したが貯金は前年の26から大幅に減った。この年を最後に東映は2年間本拠地とした明治神宮野球場(神宮球場)を国鉄に譲り、1953年途中まで本拠地としていた後楽園球場に11年ぶりに復帰することになった(後身の日本ハムは後楽園最後の年である1987年まで使用した)。
チーム成績
レギュラーシーズン
1963年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
|
6月終了時
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7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
南海 |
--
|
西鉄 |
--
|
2位
|
東映 |
2.0
|
東映 |
4.5
|
東映 |
8.0
|
東映 |
7.5
|
西鉄 |
7.5
|
西鉄 |
3.5
|
南海 |
1.0
|
3位
|
阪急 |
4.5
|
近鉄 |
8.5
|
近鉄 |
11.5
|
近鉄 |
11.0
|
近鉄 |
9.0
|
東映 |
11.0
|
東映 |
10.5
|
4位
|
西鉄 |
5.0
|
大毎 |
9.0
|
西鉄 |
13.5
|
西鉄 |
13.0
|
東映 |
10.0
|
近鉄 |
12.0
|
近鉄 |
12.5
|
5位
|
大毎 |
5.5
|
西鉄 |
10.0
|
大毎 |
19.5
|
大毎 |
16.5
|
大毎 |
16.5
|
大毎 |
17.5
|
大毎 |
23.5
|
6位
|
近鉄 |
7.0
|
阪急 |
13.0
|
阪急 |
19.5
|
阪急 |
21.0
|
阪急 |
23.0
|
阪急 |
25.0
|
阪急 |
30.5
|
[1]
オールスターゲーム1963
できごと
選手・スタッフ
[2][3]
表彰選手
出典
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---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |