1950 FIFAワールドカップ 地区予選は、開催国と前回優勝国を含めて、34のナショナルチームがエントリーした。
概要
本大会に出場できるのは16チームで、開催国のブラジルと前回優勝国のイタリアは予選を免除された。
連合王国を構成するイギリスの各サッカー協会がFIFAワールドカップに初めて参加することになり、特例として1949年から1950年にかけて行われたブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップの1位と2位のチームが予選通過することとなった。
ドイツと日本は参加を拒否された。
出場枠
予選の方式
大陸別にグループを組んで、限られた上位のチームが本大会へ出場できる。それぞれグループの予選方法は以下の通りである。
- ヨーロッパ
- グループ1 - 4チームで行われる。上位2チームが出場。
- グループ2 - 3チームでトーナメント方式で行う(1次ラウンド・決勝)。決勝戦の勝者が出場。
- グループ3 - 3チームでトーナメント方式で行う(1次ラウンド・決勝)。決勝戦の勝者が出場。
- グループ4 - 3チームでトーナメント方式で行う(1次ラウンド・決勝)。決勝戦の勝者が出場。
- グループ5 - 3チームで行われる。1位チームが出場。
- グループ6 - 2チームで行われる。合計の得点で多かったチームが出場。
- 南米
- グループ7 - 3チームで行われる。上位2チームが出場。
- グループ8 - 4チームで行われる。上位2チームが出場。
- 北中米
- グループ9 - 3チームで行われる。上位2チームが出場。
- アジア
- グループ10 - 4チームで行われる。1位チームが出場。
各グループ予選
グループ1
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
イングランド
|
6 |
3 |
3 |
0 |
0 |
14 |
3 |
+11
|
スコットランド
|
4 |
3 |
2 |
0 |
1 |
10 |
3 |
+7
|
ウェールズ
|
1 |
3 |
0 |
1 |
2 |
1 |
6 |
-5
|
北アイルランド
|
1 |
3 |
0 |
1 |
2 |
4 |
17 |
-13
|
1950 FIFAワールドカップ・予選グループ1はブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップを兼ねて開催された。イギリスの4チーム(イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランド)が初めてFIFAワールドカップに参加した。2位となったスコットランドも1950 FIFAワールドカップ本大会出場権を獲得したが、自国はブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップの優勝チームでないという理由で本大会への出場を辞退した[1]。
グループ2
1次ラウンド
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
トルコ
|
2 |
1 |
1 |
0 |
0 |
7 |
0 |
+7
|
シリア
|
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
7 |
-7
|
決勝ラウンド
オーストリアが辞退した為、トルコの出場が決定。しかし、本大会直前にトルコは参加を辞退。理由はブラジルへの渡航費用の懸念とされる[2][3]。
グループ3
1次ラウンド
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
ユーゴスラビア
|
4 |
2 |
2 |
0 |
0 |
11 |
2 |
+9
|
イスラエル
|
0 |
2 |
0 |
0 |
2 |
2 |
11 |
-9
|
決勝ラウンド
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
ユーゴスラビア
|
2 |
2 |
0 |
2 |
0 |
2 |
2 |
0
|
フランス
|
2 |
2 |
0 |
2 |
0 |
2 |
2 |
0
|
2試合を終えて2チームの勝ち点、得失点差、総得点が並んだ。その為、再試合を中立地のイタリアで行った結果、ユーゴスラビアが3-2でフランスに勝利して出場を決めた。
グループ4
1次ラウンド
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
スイス
|
4 |
2 |
2 |
0 |
0 |
8 |
4 |
+4
|
ルクセンブルク
|
0 |
2 |
0 |
0 |
2 |
4 |
8 |
-4
|
決勝ラウンド
ベルギーが辞退した為、スイスの出場が決定した。
グループ5
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
スウェーデン
|
4 |
2 |
2 |
0 |
0 |
6 |
2 |
+4
|
アイルランド
|
3 |
4 |
1 |
1 |
2 |
6 |
7 |
-1
|
フィンランド
|
1 |
2 |
0 |
1 |
1 |
1 |
4 |
-3
|
フィンランドは途中棄権した。
グループ6
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
スペイン
|
3 |
2 |
1 |
1 |
0 |
7 |
3 |
+4
|
ポルトガル
|
1 |
2 |
0 |
1 |
1 |
3 |
7 |
-4
|
グループ7
アルゼンチンが辞退した為、ボリビアとチリの出場が決定した。
グループ8
エクアドルとペルーが辞退した為、パラグアイとウルグアイの出場が決定した。
グループ9
1949年北米選手権がワールドカップ予選を兼ねた。
チーム
|
勝ち点
|
試合数
|
勝
|
分
|
敗
|
得点
|
失点
|
得失点差
|
メキシコ
|
8 |
4 |
4 |
0 |
0 |
17 |
2 |
+15
|
アメリカ合衆国
|
3 |
4 |
1 |
1 |
2 |
8 |
15 |
-7
|
キューバ
|
1 |
4 |
0 |
1 |
3 |
3 |
11 |
-8
|
グループ10
ビルマ、インドネシア、フィリピンが辞退した為、インドの本大会出場が決定したが、大会直前に参加を辞退した。その理由は、裸足でのプレーをFIFAに拒否されたため[4]とも、ブラジルへの渡航費用の懸念[2]とも、全インドサッカー連盟がワールドカップよりもオリンピック[注 1]を重視していたため[3]ともされる。
本大会出場チーム
予選通過国のうち、スコットランド、トルコ、インドが辞退した。FIFAはポルトガルやフランス、アイルランド[5]に出場権を与えようとしたが拒否されたため、本大会は13チームで開催された。
南米
ヨーロッパ
北中米カリブ海
脚注
注釈
出典
外部リンク