黒野駅(くろのえき)は、岐阜県揖斐郡大野町大字黒野にあった名古屋鉄道揖斐線と谷汲線の駅である。ほのぼのとした風情のある駅として第1回の中部の駅百選に選定された。
2005年(平成17年)4月1日をもって廃駅となり、跡地は2013年(平成25年)4月12日より「黒野駅レールパーク」として整備されている。
歴史
当駅は北方方面から来た路線が谷汲方面と揖斐方面に分岐する駅であった。このうち北方から当駅までの区間と、当駅から谷汲までの区間は1926年(大正15年)に同時に開通し、前者は美濃電気軌道、後者は谷汲鉄道の路線として建設された。2社は別会社であるものの、谷汲鉄道は谷汲方面へ向かう鉄道を建設するために美濃電気軌道が地域の有力者とともに設立した会社であり[2]、谷汲鉄道の路線は当初より美濃電気軌道から受電して営業していた[3]。開業後まもなく美濃電気軌道は谷汲鉄道との相互直通運転が認められている[3]。一方、残った当駅から揖斐までの区間は2年後の1928年(昭和3年)に美濃電気軌道の手により開業し、当駅は分岐駅となった。
なお、谷汲鉄道は当駅と養老鉄道広神戸駅とを結ぶ鉄道敷設免許を保有しており、同鉄道を経由して大垣駅で省線と接続する計画であったが、揖斐川の架橋問題や関東大震災による景気の悪化、美濃電への配慮などにより未成に終わっている[4]。
その後美濃電気軌道と谷汲鉄道は相次いで名古屋鉄道に吸収され、同社の揖斐線と谷汲線となった。しかし21世紀に入ってすぐ、2001年(平成13年)には谷汲線と揖斐線の当駅から揖斐方面が廃止され、当駅は北方方面から来た路線の終着駅となる。またその残った区間も2005年(平成17年)に廃止され、当駅も廃駅となった。駅の跡地は町の観光拠点として整備が進められ、2013年(平成25年)には「黒野駅レールパーク」が完成した。
駅構造
単式ホーム・島式ホーム各1面の2面3線[12]。駅舎とホームの行き来には、構内の踏切を経由する必要があった。1番線から3番線まであり、駅舎側から3・2番線(島式ホーム)、1番線(単式ホーム)の順になっていた。谷汲線が廃止される前は1番線から本揖斐方面、3番線の谷汲寄りから谷汲方面、忠節寄りから忠節方面が発車し、2番線は忠節方面から来た列車の降車用に使われていた[12]。谷汲線が廃止されてからは2番線のみが旅客の乗降に使用された。
構内には車両基地(黒野検車区)があった[12]。駅舎と島式ホームの間に車庫が併設され、検車区は揖斐線運行の要や夜間滞泊場所として機能していた。
駅舎の改札外に待合室が、改札内に男女共用の水洗式便所があった。谷汲鉄道時代にはこの駅舎の2階に同社の本社が入居していた[13]。
のりば(2001年9月まで)
配線図
利用状況
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は1,217人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中208位、 揖斐線・谷汲線(24駅)中3位であった[1]。
駅周辺
黒野駅レールパーク
廃駅となった後も揖斐線の駅は線路も含めて廃止時の姿で残っていたが、当駅は2013年4月12日に「黒野駅レールパーク」として整備された。構内は島式ホームである2、3番線を残し整地され、線路も2番線のみが保存された。また、駅舎も「黒野駅ミュージアム」として改装された。揖斐線の備品などが展示されているほか、かつて駅務室だった出札口や2階部分にも入ることができるようになった[11]。
運営は特定非営利活動法人くろの[15]によって行われている。開業(2014年度)から2016年夏まで、ミュージアム1階ではパン屋が営業していたが、2017年5月までに営業終了し、休憩スペースのみとなった。その後、2017年11月15日より喫茶店が営業している。また、谷汲鉄道の備品についても2016年までにプラレール遊び場に置き換わっている[16]。また、2階について開業当初は写真パネル展示のみであったが、2015年8月以降はジオラマスペースになり土日休日のみの開放となっているが、2017年度は申込みのない一般公開については年度途中から2018年3月30日まで閉館となっている[17]。(主に2014年当時は写真参照)
2015年3月12日-2016年2月27日の期間には、美濃駅からモ510形512号を貸出設置された[18][19]。これに伴い、モ512号の紹介も写真の通りにされている[20]。
風景
2014年10月撮影分
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黒野駅ミュージアム
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黒野駅レールパーク
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黒野駅ミュージアム内休憩所
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谷汲鉄道備品
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ミュージアム2階
2017年5月撮影分
代替交通手段
隣の駅
- 名古屋鉄道
- 揖斐線
- ■急行
- 相羽駅 - 黒野駅
- ■普通
- 相羽駅 - 黒野駅 - 中之元駅
- 谷汲線
- 黒野駅 - 黒野北口駅
- 1969年(昭和44年)までは揖斐線の中之元駅との間に麻生駅が、谷汲線の黒野北口駅との間に黒野西口駅が存在した。
脚注
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、139頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ a b c d e f g 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 大島一朗『谷汲線 その歴史とレール』岐阜新聞社、2005年、19頁。ISBN 978-4877970963。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月13日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 大島一朗『谷汲線 その歴史とレール』岐阜新聞社、2005年、46頁。ISBN 978-4877970963。
- ^ 大島一朗『谷汲線 その歴史とレール』岐阜新聞社、2005年、54頁。ISBN 978-4877970963。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 大島一朗『谷汲線 その歴史とレール』岐阜新聞社、2005年、253頁。ISBN 978-4877970963。
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52-53頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ a b “黒野レールパーク完成しました”. 大野町. 2014年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月11日閲覧。
- ^ a b c 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、143頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ 名古屋鉄道株式会社(編)『この駅この町 沿線散歩・名鉄100駅』名古屋鉄道広報宣伝部、1986年、107頁。
- ^ 宮脇俊三・原田勝正 『東京・横浜・千葉・名古屋の私鉄 (JR・私鉄全線各駅停車)』小学館、1993年、ISBN 978-4093954112)
- ^ 特定非営利活動法人くろの
- ^ 施設のご案内 - ウェイバックマシン(2016年8月26日アーカイブ分)
- ^ ジオラマ - 黒野駅レールパーク
- ^ “黒野駅に名鉄電車が帰ってきた!!”. 大野町 (2015年4月24日). 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月7日閲覧。
- ^ “赤い電車お別れ会” (PDF). 黒野駅レールパーク (2016年2月27日). 2016年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ 赤白電車 - 黒野駅レールパーク
- ^ “岐阜バス路線「黒野八幡町バス停」「下方バス停」に上屋について”. 大野町役場政策財政課 (2015年1月3日). 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ “岐阜バス路線「真正大縄場線」の延長について”. 大野町役場政策財政課 (2015年1月3日). 2015年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ “デマンドタクシー停留所(H29.4.1改正)” (PDF). 大野町役場政策財政課 (2017年4月1日). 2017年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ “大野デマンドタクシー「あいのりくん」の自宅前登録申請について”. 大野町役場政策財政課. 大野町 (2017年3月1日). 2017年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ 大野町の認定で利用可能[24]。
参考文献
関連項目
外部リンク
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※: 現在廃止 |