高市 圭二 (たかいち けいじ、1955年8月18日 - 2020年2月17日)は元調教師・騎手。
日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに騎手時代から所属していた。主な管理馬にファストフレンド、シングンマイケルなど。
1971年4月に東京競馬場(のちに美浦)の荒木静雄厩舎所属の騎手候補となり、1978年に騎手デビュー。初騎乗は同年3月4日中山競馬第9競走のセツザンで1着と、初騎乗で初勝利を挙げた。
1990年2月に騎手を引退し、嶋田功厩舎の調教助手に転身。騎手成績は702戦25勝であった。引退まで荒木厩舎に所属していた。
1996年に調教師免許を取得し、厩舎を開業。初出走は同年12月22日中山競馬第4競走のマレットラックで8着。初勝利は翌1997年3月8日中山競馬第7競走のミヤギロドリゴで、のべ22頭目であった。
1998年の京成杯をマンダリンスターで制し、重賞競走初勝利を挙げた。
2017年の札幌競馬開催中に身体に激痛を感じ、競馬開催後に精密検査を受け、希少がんでの一種である後腹膜脂肪肉腫(サルコーマ)であることが判明[1]。治療を続けながら調教師として厩舎を運営し、2019年の中山大障害をシングンマイケルで制した。
その後、2020年に入り体調を崩し、同年2月17日11時06分、茨城県土浦市の病院で死去[2][3]。64歳没。高市の死去に伴い、同厩舎の管理馬は同月18日付で大江原哲厩舎に転厩(臨時貸付)となった[3][4]。
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
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