『陸行水行』(りっこうすいこう)は、松本清張の短編小説。『別冊黒い画集』第5話として『週刊文春』に連載され(1963年11月25日号 - 1964年1月6日号)、1964年9月に短編集『陸行水行-別冊黒い画集2』収録の一作として、文藝春秋新社(ポケット文春)より刊行された。
東京の某大学の歴史科の万年講師である私・川田修一は、大分県の安心院にある妻垣神社の境内で、浜中浩三という郷土史家の男と出会い、名刺を交換する。浜中は『魏志倭人伝』の話題を切り出し、倭人伝の邪馬台国に至る道程の解釈に新説を唱え、伊都国や不弥国の所在地について自説を語る。浜中の説を面白いと思った私は、駅館川の近くの洞窟遺蹟まで同行する。
一か月くらい経ったのち、地方紙に邪馬台国考の意見を募る浜中の広告が載った。さらに半年ばかり経った頃、私のもとに分厚い手紙が届き、論文出版の前渡金を浜中に払ったものの、その後音沙汰が無い、浜中は詐欺漢でしょうかと訴えた。さらに同様の問合せが、西日本一帯から続々と私に届く中、臼杵地方の女性から、浜中と会って意気投合した醤油屋の夫が「いっしょに邪馬台国を調べに行く」と言い残し、一か月半何の音信も無いと伝える手紙が届く。浜中らは、恰も魏の使いが歩いたように、自分の足でその距離感を確かめているのではないか。そして、不弥国からの「水行二十日」を実際に試みた二人の、不幸な報らせが届く。
1982年、家族旅行村安心院温泉センター前に、本作の一節を刻んだ文学碑が竣工した。著者が「税金を使って記念碑を作るのは許さない」と述べたため、安心院観光協会と安心院町内の寄付で建てられたとされる[8]。