尾崎のコンサートツアーは1987年に開催された「TREES LINING A STREET TOUR」が体調不良により中断されて以降行われておらず、覚醒剤取締法違反による逮捕や所属レコード会社であるマザーアンドチルドレンとの確執などがあり、1988年9月12日に一夜限りの復活コンサートとなった東京ドーム公演「LIVE CORE」以降は事務所との契約問題により一切音楽活動が行われなかった[7]。その後レコード会社を古巣のCBS・ソニーに再移籍し5枚目のオリジナル・アルバム『誕生』(1990年)をリリースして音楽活動を再開するも、リリース直後に新たな所属事務所となったロード&スカイを退所し個人事務所であるアイソトープを設立、自らが社長に就任し新たなスタートを切ることとなった[8]。その後紆余曲折あったものの、同作を受けた「TOUR 1991 BIRTH」を全国37都市全48公演に及び実施、大規模なコンサートツアーを約4年ぶりに実現することとなった[9]。さらに追加公演となる「TOUR 1991 BIRTH ARENA TOUR 約束の日 THE DAY」が3都市全8公演行われ、10月24日、25日、29日、30日には6年ぶりに代々木オリンピックプール第一体育館での公演を実施する[10]。
1992年1月からは新作アルバムのレコーディングを行っていたが、その最中に10代の頃の作品を手掛けたプロデューサーである須藤晃と決別し、プロデュースやアレンジなどほぼすべてを尾崎が一人で担当することになった6枚目のオリジナル・アルバム『放熱への証』が3月にレコーディングを終了した。しかし尾崎がアルバムジャケットの文字の色を変更したいと要請するも、締め切りに間に合わないと断ったアート・ディレクターである田島照久との間に確執が発生し、尾崎は田島とも決別することとなった[13]。『放熱への証』は5月10日にリリース予定であったが、リリース直前の4月25日に東京都足立区千住河原町の民家の庭で泥酔状態で発見され、妻と兄と共に自宅マンションに帰宅するも突如危篤状態となり、救急車で日本医科大学の緊急病棟に収容される[14]。蘇生措置がされるが午後0時6分に肺水腫による死亡が確認された(享年26)[14]。4月30日には東京都文京区の護国寺で追悼式が行われ、3万7500人ものファンが詰め掛ける事となった[14]。また、アルバムを受けたコンサートツアー「TOUR 1992 “放熱への証” Confession for Exist」は本人急死のため全公演中止となった[15]。そのため、生前最後のコンサートは「TOUR 1991 BIRTH ARENA TOUR 約束の日 THE DAY」における10月30日の代々木オリンピックプール第一体育館公演となった。
本作は1991年5月20日の横浜アリーナ公演から9月28日の長野市民会館まで開催されたコンサートツアー「TOUR 1991 BIRTH」の追加公演として3会場でのみ実施された「TOUR 1991 BIRTH ARENA TOUR 約束の日 THE DAY」の内、最終日となった1991年10月30日の代々木オリンピックプール第一体育館公演における演奏が収録されている[17]。会場の特性によりマイクが歓声を大きく収録できる環境であったため、観客の熱狂指数が強く感じられる録音状態となっている[18]。
同ツアーでは開演前のSEとして、尾崎がニューヨーク滞在時にラジオ番組で頻繁に聴いていたハワード・ジョーンズの楽曲「悲しき願い」(1986年)が使用されている[19]。SE終了後には「BIRTH」という言葉が低い声で連呼され公演が開始する演出となっており、また「悲しき願い」の原題「No One Is to Blame」の意味する「誰もせいでもない」という言葉を尾崎は「誕生」演奏前のMCにて「“誰のせいでもない”っていうことの答えを、これからみんなと一緒に捜していきたい」と述べ引用している[20]。1曲目の「FIRE」ではイントロが長らく演奏された後に尾崎のカウントによって本格的な演奏がスタートし、その後「Driving All Night」「十七歳の地図」「Scrambling Rock'n'Roll」が続けて演奏された[21]。5曲目では尾崎自身がアコースティック・ギターを抱えて「僕が僕であるために」を演奏、さらに「ロザーナ」「虹」「きっと忘れない」「COOKIE」とスローテンポまたはミドルテンポの楽曲が演奏され、10曲目には「卒業」が演奏された[21]。「卒業」演奏前に尾崎はピアノにて学校のチャイムを模した演奏を行い、「君たちのこのチャイムはきっと一生心の中で鳴り続ける。そして、君たちの一つ一つの卒業がいつまでも祝福されるように心を込めてこの曲を送ります」とMCを行ってから演奏を開始。演奏終了後にはサイケデリック・ミュージックのようなイントロから「LOVE WAY」が演奏され、さらに「KISS」「RED SHOES STORY」が演奏された[22]。「Freeze Moon」の演奏時にはステージ脇の鉄柱セットによじ登り「(自分は)傷ついた心を癒すロックンローラー」という内容を含む長いMCを行った[22]。さらにその後「永遠の胸」「太陽の破片」「誕生」が演奏されて本編は終了となった[23]。
本編終了後、1回目のアンコールとして「I LOVE YOU」「シェリー」を演奏、2回目のアンコールでは「いつまでも大切にしたいと思ってるこの曲を」というMCの後にアコースティック・ギターによる弾き語りで「15の夜」を演奏、さらに当日のみ3回目のアンコールとして「ダンスホール」を同じく弾き語りで演奏した[10]。当日は全20曲が演奏予定であったが、予定外のハプニングとしてアンコールで3曲目が演奏されたため21曲となった[17]。急遽1曲追加された背景は、アンコール終了後に舞台袖にいた須藤から「尾崎、もう1曲やりなよ」と言われ「ダンスホール」をリクエストされたためである[24]。「ダンスホール」演奏後のMCにおいて尾崎は「どうもありがとう。また次のツアーで会いましょう」と述べており、公演終了後にも次回ツアーの事などに言及していたが、翌年急死したために同日が最後の公演となった。
「TOUR 1991 BIRTH ARENA TOUR 約束の日 THE DAY」ではそれまでのセットリストから「黄昏ゆく街で」と「音のない部屋」が削除されるなど若干演奏曲が変更されており、最終日のみアンコールの最終曲として「ダンスホール」が演奏されたが本作には未収録となっている。「ダンスホール」の音源は先行シングルとしてリリースされた「15の夜 (ライブ)」のカップリングとして収録されている。当日演奏された21曲の中から『Vol.1』には7曲が収録されている。収録曲は『誕生』収録の「FIRE」、「COOKIE」以外はライブでの定番曲を中心に選曲されている。『Vol.2』には6曲が収録されており、収録曲は『誕生』収録の「永遠の胸」、「誕生」以外はライブでの定番曲を中心に選曲されている。また、シングルのみでリリースされていた「太陽の破片」がライブバージョンではあるがアルバム初収録となった。
2012年8月29日にはCD-BOX『LIVEBEAT BOX』に収録される形で再リリースされたが、CD1枚組となったために収録曲の内「Driving All Night」「十七歳の地図」「Scrambling Rock'n'Roll」「FREEZE MOON」「I LOVE YOU」の計5曲がカットされ、ボーナストラックとして「きっと忘れない」が追加収録されている[32][33][34]。