秋月藩(あきづきはん)は、福岡藩の支藩。藩庁は秋月陣屋(福岡県朝倉市秋月)[1]。無城大名ではあるが城主格が与えられていた。
秋月は元々は秋月氏の本拠地であったが、豊臣秀吉の九州平定の際に抵抗したために改易は免れたものの日向国の串間を経て同国高鍋藩に移された。
1623年(元和9年)に黒田長政の三男・黒田長興が福岡藩より5万石を分知されて立藩した。4代藩主長貞の息女、春姫は秋月の旧領主である高鍋藩秋月氏に嫁いだ。春姫の次男は米沢藩へ婿養子に出され上杉鷹山(財政再建に取り組んだ名君)となった。
寛永年間に福岡藩の間で下座郡の一部と穂波郡・夜須郡の一部の所領交換が実施されたが、幕府の承認を得られなかったため、「御内證替」とも呼ばれた(一説には福岡藩から秋月藩につけられた重臣の所領をそのまま安堵されたからとも言う)。また、秋月陣屋の目と鼻の先にあった交通の要所である甘木宿を手放すことを福岡藩が拒否したため、秋月・福岡両藩の境界線は甘木宿が福岡藩領に含まれる形での複雑な線となった[2]。
1871年(明治4年)の廃藩置県により秋月県となり、その後、福岡県に編入された。
秋月黒田家は1869年(明治2年)に華族に列し、1884年(明治17年)に子爵となった。
外様 5万石 (1623年 - 1871年)
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