石原裕次郎のディスコグラフィ
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脚注
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石原裕次郎の受賞とノミネート
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合計
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受賞
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11
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ノミネートのみ
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0
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石原裕次郎の作品(いしはらゆうじろうのさくひん)では、石原裕次郎の歌った曲を列挙する。ただし、曲順が年代と一致するとは限らない。
思い入れ
子供の頃から俳優業よりも歌が大好きであった彼は、李香蘭の「紅い睡蓮」を映画館で初めて聞いて覚えたという。しかし彼の大好きな曲は憧れであるディック・ミネの「夜霧のブルース」と霧島昇の「胸の振子」である。(1978年ビッグショーより)
エピソード
あがり症の為、車に乗ったとき自分の曲を音楽関係者が歌っているデモテープを聞き、彼なりの独特の歌唱方法を身に付ける。当日のうちに曲と詞を覚え、レコーディングスタジオに着き、レコーディングの時は必ずビールを飲んだ。その際ヘッドホンを生涯一度も付けなかった。またレコーディングは一回で成功したとも言われ、その後はすぐに忘れてしまうという。再度同じ曲に試みる場合は楽譜(詞入り)があれば思い出せるという[要出典]。吹込みでは数多くのバンドのセッションをレコーディングでこなしてきた。ただしテレビ番組のときは自身のマイクで歌った[要出典]。
主な代表曲・総売上
本項の出典は、『KAMZINE カムジン』(産業経済新聞社)2005年8月号、41頁。テイチクエンタテインメント調べ、2005年5月現在。
- シングル売上トップ20(枚数順)
- 銀座の恋の物語 - 335万枚(1961年)
- 二人の世界 - 285万枚(1965年)
- 赤いハンカチ - 275万枚(1962年)
- 夜霧よ今夜も有難う/粋な別れ - 255万枚(1967年)
- 俺は待ってるぜ - 193万枚(1957年)
- 狂った果実 - 190万枚(1956年)
- 錆びたナイフ - 175万枚(1957年)[1]
- 俺はお前に弱いんだ - 175万枚(1964年)
- 夜霧の慕情 - 170万枚(1966年)
- ブランデーグラス - 152万枚(1977年)
- 夕陽の丘 - 140万枚(1963年)
- 北の旅人 - 125万枚(1987年)
- わが人生に悔いなし - 85万枚(1987年)
- 恋の町札幌 - 65万枚(1972年)
- 嵐を呼ぶ男 - 62万枚(1958年)
- 別れの夜明け - 62万枚(1974年)
- サヨナラ横浜 - 53万枚(1971年)
- おれの小樽 - 43万枚(1983年)
- 港町 涙町 別れ町 - 42万枚(1969年)
- みんな誰かを愛してる - 40万枚(1979年) ドラマ「西部警察」主題歌
- シングル総売上
- シングルレコード - 237タイトル、4120万枚、179億円
- CDシングル - 62タイトル、260万枚、19.5億円
- シングルカセット - 125タイトル、277万枚、19.2億円
- シングル計 - 424タイトル、4657万枚、217.7億円
- アルバム・映像ソフト総売上
- LPレコード - 223タイトル、913万枚、131億円
- CD - 1176タイトル、489万枚、125億円
- カセット - 264タイトル、700万枚、180億円
- カートリッジ - 121タイトル、182万枚、59億円
- ビデオ - 5タイトル、18万枚、6億円
- DVD/DVD-Audio - 2タイトル、3000枚、0.2億円
- ETERNAL (13th Memorial) - 1タイトル、1.2万枚、15億円
- THE SUPERIOR (17th Memorial) - 1タイトル、3000枚、4億円
- アルバム計 - 1793タイトル、2303.8万枚、520.2億円
- 総合計 - 2217タイトル、6960.9万枚、737.9億円
発売曲
コンサート
賞歴
実績
- 2005年5月現在、2217タイトルの音楽作品が発表されており、約6960万枚、810曲、738億円を売り上げている(通算で)(歌った曲だけで見ると599曲である。)[2]。
- 1987年8月24日、オリコンシングルチャート1位を当時最年長で獲得(52歳7か月)。後に小田和正「こころ」に抜かれる。
- 1987年8月31日、アルバムがオリコン「LP&TAPESチャート」で100位以内に13作品がランクイン(当時のアルバム最高記録・現在は2位タイ記録)。なお、オリコンLPチャートでは100位以内5作品ランクインが自己最高記録である。
- 1957年、日本人アーティスト(流行歌)として初めてLPレコード『裕次郎と貴女の夜』を出している説がある[3]。LP盤『裕次郎と貴女の夜』の発売当初の定価は1000円(高卒の最低賃金が8000円の時代)だったが、40万枚超を売り上げ大ヒットした[4]。
- デュエット曲の録音数28曲は当時(日本人)歴代1位。後に稲垣潤一の34曲に抜かれている。彼の別称を(サンケイスポーツでは)「デュエットの帝王」と呼んだ。
脚注
関連項目
外部リンク
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