西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。
人物
東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。
1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。1989年(平成元年)、「日本近代歌謡の実証的研究」で文学博士号(國學院大學)を取得[1][2]。日本音楽著作権協会理事などを務めたほか、1982年(昭和57年)に紫綬褒章を[3]、1994年(平成6年)に勲四等旭日小綬章を受章する[4]。
2000年(平成12年)7月19日、敗血症のため東京都内の病院で死去[5][6]。 81歳没。
作詞した楽曲
歌謡曲
応援歌
自衛隊歌
補作した楽曲
- 「万国博音頭」(日本万国博覧会テーマソング)
- 「めぐろ・みんなの歌」(目黒区歌)
- 「パイオニアわれら」(パイオニア社歌)
著書
論文
博士論文
脚注
- ^ 「ひと 70歳で文学博士になった作詞家 西沢爽さん」『朝日新聞』1989年12月31日、3面。
- ^ 「作詞家・西沢爽さん、70歳で文学博士に “55歳の手習い”実る」『読売新聞』1989年12月19日、30面。
- ^ 「報われた努力の日々 歌謡界に大きな足跡――紫綬褒章の西沢爽さん 各国VIPをお世話――黄綬褒章の竹谷年子さん」『読売新聞』1982年4月28日、21面。
- ^ 「94秋の叙勲 都内から518人受章」『読売新聞』1994年11月3日、33面。
- ^ 「西沢爽氏死去 「からたち日記」作詞」『朝日新聞』2000年7月24日、15面。
- ^ 「西沢爽氏(本名・義久=作詞家)死去 歌謡曲2千曲作詞」『読売新聞』2000年7月24日、15面。
外部リンク
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