清澄(きよすみ)は、東京都江東区の地名で、旧深川区に当たる深川地域内である。現行行政地名は清澄一丁目から清澄三丁目。住居表示実施済区域。
深川地域西部に位置する。清澄のシンボルともいえる清澄庭園をはじめ、深川図書館が所在し周辺住民が集う憩いの場所として賑わいを見せている。長らく深川を冠していたことから「深川清澄」の名で親しまれている。これは、現在でも旧深川区内に根強く残る習慣である。
隣接する白河と共に清澄・白河エリアは、深川北部の森下・高橋と南部の門前仲町・富岡に挟まれた立地条件から、深川地域行政の集約地として機能していた。その後、深川区などの合併により江東区が発足すると同時に、区役所も地理的中心地の東陽に設置された。区役所所在時の賑わいは失ったものの、現在も複数の行政施設を保有し、その面影を残している。
2000年12月の大江戸線開通や2003年3月の半蔵門線延伸により、交通利便性が急速に向上したエリア。高層マンションの建設など再開発が盛んである。また近年になってブルーボトルコーヒーの日本第一号店が出店されたことなどにより「コーヒーの聖地」として急激にクローズアップもされ、週末等には若い世代の観光客が急増した。
住宅地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、清澄2-13-12の地点で74万9000円/m2となっている[5]。
徳川家康の江戸入府の頃は干潟だった。江戸時代に入り1629年(寛永6年)頃、この一帯の干潟を開拓した猟師町開拓八人の一人に弥兵衛という者がおり、その名を由来として弥兵衛町と呼ばれていた[6]。無年貢地で御菜御用などを務めたが、寛文10年に年貢地となり、1695年(元禄8年)の検地の際に清住町と命名された。この清住は弥兵衛の姓だと考えられている[6]。清住町に伊勢崎町・西大工町・裏大工町・仲大工町が合併した1932年(昭和7年)に深川清澄町に改称され、現在に至る[6]。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[13][14]。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
青海 | 有明 | 石島 | 海の森 | 海辺 | 永代 | 枝川 | 越中島 | 扇橋 | 木場 | 清澄 | 佐賀 | 猿江 | 塩浜 | 潮見 | 東雲 | 白河 | 新大橋 | 住吉 | 千石 | 千田 | 高橋 | 辰巳 | 東陽 | 常盤 | 富岡 | 豊洲 | 平野 | 深川 | 福住 | 冬木 | 古石場 | 牡丹 | 三好 | 毛利 | 森下 | 門前仲町
大島 | 亀戸 | 北砂 | 新砂 | 東砂 | 南砂 | 新木場 | 夢の島 | 若洲
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