『歌のグランド・ショー』(うたのグランド・ショー)は、1964年4月12日[1]から1968年3月31日、1972年4月4日から1973年3月27日、1976年4月6日から1977年12月21日までの3期に渡ってNHK総合テレビで放送されていた音楽番組である。カラー放送[1]。1964年3月22日 19:20 - 19:59 (日本標準時)に一度パイロット版を放送した後、同年4月にレギュラー放送を開始した。
概要
第1期の『歌のグランド・ショー』は、『花の星座』→『こよい歌えば』の後継番組として放送開始。NHK東京放送会館に併設されていた初代NHKホール(1973年6月に運用を開始した現在のNHKホールとは別物)での公開放送で、放送開始から1年間は倍賞千恵子、アントニオ古賀と金井克子が司会を務めていた。1965年4月に倍賞が降板し、替わって同年6月に中尾ミエがメンバー入りした。番組はパイロット版の時点からカラー放送を行っていたが[2]、何らかの都合でモノクロ放送に切り替えることもあった[3]。
NHKには1968年1月7日放送分の映像(モノクロ映像)が保存されており、横浜市にある放送ライブラリーでも視聴が可能である[4]。この回では、美空ひばりが「真赤な太陽」を歌唱する際、ジャッキー吉川とブルー・コメッツと、同曲を作曲した原信夫が演奏に加わった。他にも橋幸夫、西郷輝彦、和田弘とマヒナスターズが出演した。
第2期の『歌のグランドショー』(「・」が無くなる)では、当時NHKのアナウンサーだった山川静夫が司会を務め、番組レギュラーとして前期はフォーリーブス、後期(1972年10月17日から)は歌手デビュー前のキャンディーズが出演した。なおキャンディーズは、第2期と第3期の間に放送された後継番組『歌のゴールデンステージ』にも出演した。
第3期は引き続き山川と、演奏家の森ミドリが務めていたが、1977年3月に森が降板してからは山川が単独で司会を務めていた。
放送詳細
期 |
放送期間 |
放送日時 |
司会者
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第1期 |
1964年4月12日 - 1965年4月4日 |
日曜 19:25 - 20:14[1] |
倍賞千恵子[1]、アントニオ古賀[1]、金井克子[1]
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1965年4月11日 - 1965年6月27日 |
日曜 19:30 - 20:14[5] |
アントニオ古賀、金井克子
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1965年7月4日 - 1968年3月31日 |
アントニオ古賀、中尾ミエ、金井克子
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第2期 |
1972年4月4日 - 1973年3月27日 |
火曜 20:00 - 20:59 |
山川静夫
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第3期 |
1976年4月6日 - 1977年3月15日 |
火曜 20:00 - 20:49 |
山川静夫、森ミドリ
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1977年4月6日 - 1977年12月21日 |
水曜 20:00 - 20:49 |
山川静夫
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スタッフ
脚注
外部リンク
NHK総合テレビ 日曜19:25枠 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
こよい歌えば(1962年4月8日 - 1964年4月5日) ※19:20 - 19:59
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歌のグランド・ショー(第1期) (1964年4月12日 - 1965年4月4日) 【1965年4月廃枠】
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きょうのニュース(日曜) (1965年4月11日 - 1969年4月6日) ※19:00 - 19:30 【5分拡大】
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NHK総合テレビ 日曜19:30枠 |
こよい歌えば (1962年4月8日 - 1964年4月5日) ※19:20 - 19:59 若い季節(1963年4月7日 - 1964年4月5日) ※20:00 - 20:44 【日曜20:15枠へ移動】
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歌のグランド・ショー(第1期) (1964年4月12日 - 1968年3月31日)
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歌の祭典(1968年4月7日 - 1969年4月6日)
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NHK総合テレビ 火曜20:00枠 |
世界の音楽(1969年10月7日 - 1972年3月28日) 【日曜20:45に移動、14分縮小】
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歌のグランドショー(第2期) (1972年4月4日 - 1973年3月27日)
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歌のゴールデンステージ (1973年4月3日 - 1976年3月30日) ※20:00 - 20:54
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歌のグランドショー(第3期) (1976年4月6日 - 1977年3月15日)
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河内まんだら(1977年4月5日 - 1977年9月27日)
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NHK総合テレビ 水曜20:00枠 |
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歌のグランドショー(第3期) (1977年4月6日 - 1977年12月21日)
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花のステージ(1978年1月11日 - 1980年4月3日)
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