『激突!女子野球』(げきとつ!じょしやきゅう)は、1978年と1979年にフジテレビで放送された特別番組(スポーツバラエティ番組)である。全14回。
正式タイトルは、ニューヤンキースとブラックイーグルスが戦う試合は『激突!女子野球シリーズ』、両女子野球チームが連合を組んで対戦チームと戦う時は『激突!女子野球対○○』(○○は対戦チーム名が入る)となっている[1]。
概要
それまで『オールスター対抗!女子野球大会』(以降『女子野球大会』と略記)を放送した『土曜グランドスペシャル』(以降『土GSP』)が、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の再開のために廃枠、そしてニューヤンキースから一部の選手を分離独立し、第2の女子野球チーム「ブラックイーグルス」を誕生させた事から、『女子野球大会』の後継として開始、両女子野球チームの連合による試合を中心に、不定期に両チームの直接対決も行った。司会は『女子野球大会』に引き続きおりも政夫、主審も引き続き森山周一郎が務めた。また開催球場は引き続き横浜スタジアムだが、冬場は沖縄県で行われた。
放送は『女子野球大会』の様に一定せず、土曜・日曜午後の関東ローカル単発特別番組枠で放送されたが、平日夕方に1時間枠で放送した事もあった。
番組は半年で終了、同時にニューヤンキースの試合も終了し、しばらくしてニューヤンキースは解散した[2]。またフジテレビの野球バラエティ番組も、1981年3月に再開される『オールスター夢の球宴』まで中断する。
オープニングテーマ
試合・放送リスト
放送時間は全て日本標準時。
第1戦
激突!女子野球対オールジャパン
第2戦
激突!女子野球シリーズ 開幕第1戦
- 放送日:1978年10月29日
- この回から第5戦まで日曜13:00 - 14:30の『サンデーイベントアワー』枠で放送[1]。初のニューヤンキース×ブラックイーグルスの試合。
第3戦
激突!女子野球対オールスターズ
第4戦
激突!女子野球対オールスターズ
第5戦
激突!女子野球対江戸の旋風
第6戦
激突!女子野球対オールジャンプ
- 放送日:1978年12月9日
- 放送時間:土曜16:10 - 17:25(『土曜映画劇場』を休止して放送)
- 出場選手:「週刊少年ジャンプ」(集英社)に当時漫画を連載していた漫画家
- 漫画家が相手という、歴代でも異色の対戦[1]。
- 「週刊少年ジャンプ」といえば、後年様々な連載漫画がテレビアニメ化されたが、この時期は1本もジャンプアニメが放送されていなかった。
第7戦
激突!女子野球対V1ヤクルト
第8戦
激突!女子野球シリーズ
- 放送日:1978年12月28日
- 放送時間:木曜17:00 - 18:00[1]
- 第7戦と合わせて唯一の2日連続放送。なお5分増えたのは、17:55の番宣番組『フジテレビ番組ハイライト』が16:50に移動したため。
第9戦
激突!女子野球対オールジャパン
- 放送日:1979年1月7日
- 放送時間:日曜13:00 - 14:30(『サンデーイベントアワー』)
- 出場選手:日本プロ野球OB[1]
第10戦
激突!女子野球対プロゴルフチーム
第11戦
激突!女子野球シリーズ
- 放送日:1979年2月18日
- 放送時間:日曜13:00 - 14:30(『サンデーイベントアワー』)[1]
第12戦
激突!女子野球シリーズ
第13戦
激突!女子野球対オールスターズ
- 放送日:1979年3月10日
- 放送時間:土曜14:30 - 16:00(『土曜スペシャル』)[1]
第14戦
激突!女子野球シリーズ
- 放送日:1979年3月23日
- 放送時間:金曜16:00 - 17:00[1]
参考・『火曜ワイドスペシャル』で放送された試合
参考までに、本試合とは別に『火曜ワイドスペシャル』(当時火曜20:00 - 21:24)で放送された試合について記述する。
第1戦
女子野球・アメリカ遠征 ついに実現!夢の黄金カード
- 放送日:1978年9月26日
- 対戦チーム:オールアメリカ
- 8月にニューヤンキースがアメリカに遠征、そして、かつて日本プロ野球で活躍した外国人選手OBで結成された「オールアメリカ」との試合を放送。
第2戦
女子野球だよドリフターズ!
- 放送日:1978年10月24日
- 対戦チーム:パーフェクト
- 『土GSP』時代では絶対に出来なかった[5]ドリフとの対決が実現。またメンバーは『夢の球宴』中断前から常連の郷・沢田などの強者揃い。
第3戦
女子野球だよドリフターズ!
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1978年10月1日 - 1979年3月23日。 ラジオ・テレビ欄
- ^ ただしニューヤンキースキャプテンの橋本美砂子はジャニーズ事務所とタレント契約し、同局の『全日本女子プロレス中継』のレポーターなどに出演した。
- ^ 『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1978年9月26日。 ラジオ・テレビ欄
- ^ 『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1978年10月24日。 ラジオ・テレビ欄
- ^ 裏番組にドリフの『8時だヨ!全員集合』があったため。
- ^ 『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1979年3月20日。
関連項目