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松永 幸男(まつなが ゆきお、1965年7月15日 - )は、熊本県葦北郡芦北町出身の元プロ野球選手(投手)。
芦北高から九州東海大学(現・東海大学九州キャンパス)へ進学。在学中、4年連続で大学選手権に出場。同大学選手権では、1年時の1984年、第33回大会1回戦で準優勝した2年阿波野秀幸投手らの亜大に5-9で敗退。2年時の1985年、第34回大会準決勝で準優勝した森浩之捕手らの東洋大に0-1(延長10回)で惜敗したがベスト4進出に貢献した[1]。4年時の1987年、第36回大会1回戦では4年新井富夫投手や3年野村謙二郎らの駒澤大に2-9で敗退した。
1988年に大学卒業後、社会人野球の三菱重工長崎に進む。1989年はチームとして8年ぶりとなる都市対抗野球に出場。1回戦のヨークベニマル戦で先発したが1-3で敗退した。
1989年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。
プロ1年目の1990年から一軍登板を果たし、3年目の1992年には主に中継ぎとして19試合に登板しプロ初勝利もあげた。
1997年4月のシーズン途中に中日を退団し、台湾・中華職業棒球大聯盟の統一ライオンズに移籍する。先発・中継ぎとして17試合に登板するが、同年シーズン限りで退団。その後、現役を引退した。
引退後は、中日ドラゴンズの球団職員となり、GM付広報、編成部長[2]、スカウト部長を歴任している[3]。
妻の実家は名古屋市のひつまぶし店あつた蓬莱軒を経営[4]。長女は宝塚歌劇団101期生、星組男役の草薙稀月[5]。