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松平 家清(まつだいら いえきよ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。松平清宗の長男。三河国吉田藩の初代藩主。竹谷松平家6代当主。
生涯
徳川家康に仕え、元服の際には祖父以来の通字「清」の上に家康から「家」の一字を拝領して家清と名乗った。天正18年(1590年)、家康が関東に移封された際、それまでの功を賞されて武蔵国児玉郡八幡山に1万石の所領を与えられ、雉岡城主となる。この国替えの途上で正室・天桂院が産気づいて女児を出産したものの、間も無く亡くなっている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは尾張国清洲城の守備を務めた。戦後、その功績を家康から賞されて三河吉田に3万石の所領を与えられ、初代藩主となった。慶長15年12月21日(1611年2月3日)に死去。享年45。跡を嫡男・忠清が継いだ。
法号は葉雲全霜清宝院。墓所は愛知県蒲郡市の全栄寺(後に龍台山天桂院と改称)。
末弟の清定は、家清に仕えている。家禄3,200石。この家系はのちに幕臣となっている。
系譜
竹谷松平氏 三河吉田藩初代藩主(1600年 - 1610年) |
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竹谷松平家 | |
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深溝松平家 | |
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水野家(沼津) | |
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水野家(山形) | |
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小笠原家 | |
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久世家 | |
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牧野家 | |
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大河内松平家 | |
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本庄松平家 | |
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大河内松平家 | |
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