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李 大振(イ・デジン、1974年6月9日 - )は、韓国出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
広州振興高等学校を経て1993年にヘテ・タイガースへ入団した。ルーキーでありながらいきなり10勝を挙げるなど新人ながら大活躍を果たす。
1995年、1998年に最多奪三振、1997年にゴールドグラブ賞を受賞するなど時のエースとして活躍。
欲1999年頃からは新人時代の酷使からか不調に陥り、渡米して肩の手術に成功するが以前の活躍は見られなくなったことで2001年からは野手にも転向した。
しかし、2001年は一軍出場は無く2002年は23試合に出場し打率0割8分台、3安打、4打点の記録しか残せなかったため2003年から投手に再転向した。なお、この安打3つは単打が一つ、二塁打が一つ、三塁打が一つだった。
2009年に通算100勝を達成[1]。
だが2010年以降1勝も挙げられず、さらに起亜投手陣が若手主体となったことで出番が減り、2011年7月23日に起亜よりウェーバー公示され放出された。
同年7月30日、LGツインズと契約した。
LGではわずか3試合の出場で1勝もあげられず、2012年限りで引退した。
2013年よりハンファ・イーグルスの投手コーチに就任。
2014年から2019年まで古巣起亜の投手コーチだった。
2021年よりSKワイバーンズ改めSSGランダース、2023年よりハンファ・イーグルスのコーチとなった。
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