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この項目では、元号について説明しています。聖獣については「朱雀」をご覧ください。 |
朱鳥(しゅちょう、すちょう、あかみとり)は、日本の飛鳥時代の元号の一つ。白雉の後、大宝の前。大化以降3番目の元号。686年を指す(九州年号では、686年から695年までの期間を指す)。この時代の天皇は天武天皇。本来の読み方は「あかみとり」であるが、訓読みが確認される元号は現在に至るまで後世に存在しないため、一般的には「しゅちょう」と読まれる。この元号は浄御原(きよみはら)の宮号と共に定められたとされる。
改元
元号制度は孝徳天皇の代から始められ、大化・白雉の2つの元号が定められたが、孝徳天皇が崩御して次の斉明天皇の代より断絶していた。天武天皇15年7月20日(ユリウス暦686年8月14日)に朱鳥と定められ、32年ぶりに再開された。理由は明記されていないが、浄御原の宮号と共に天皇の病気平癒を祈願した改元と思われる。しかし同年(末日は閏12月30日(ユリウス暦687年2月17日))に天武天皇が崩御すると、翌年以降、701年の大宝までは、元号が定められることはなかった。
典拠
行前
朱鳥而後玄武、左青龍而右白虎
— 『礼記』曲礼
東宮蒼龍‥南宮
朱鳥‥西宮咸池‥北宮玄武
— 『史記』天官書、『漢書』天文志
東方,木也‥其獸蒼龍‥南方,火也‥其獸
朱鳥‥中央,土也‥其獸黃龍‥西方,金也‥其獸白虎‥北方,水也‥其獸玄武
— 『淮南子』天文訓
朱鳥年間の出来事
- 元年(686年)
- 07月20日:朱鳥に改元する。(1月1日に遡る立年改元)
- 07月20日:宮号を飛鳥浄御原宮と定める。
- 07月00日:天皇のために諸王臣等、観世音像を造る。観世音経を大官大寺で読経する。
- 09月09日:天武天皇が崩御し、皇后(後の持統天皇)の称制となる。
- 10月02日:大津皇子、八口音橿、伊吉博徳、中臣臣麻呂、巨勢多益須、新羅僧行心、礪杵道作ら三十余人が謀反の疑いをかけられ捕らえられる。
- 10月03日:大津皇子が自害させられ、妃の山辺皇女が殉死する。
- 10月29日:皇子以外の大半の者は赦されるが、行心は飛騨国の寺に移され、礪杵道作は伊豆国に流される。
- 11月16日:大来皇女が伊勢斎宮を解任され帰京する。
- 12月19日:天武天皇のために無遮大会(かぎりなきおがみ)を大官大寺、飛鳥寺、川原寺、小墾田豊浦寺、坂田寺の五寺で行う。
- 閏12月:筑紫大宰が高句麗、百済、新羅の三国の百姓男女僧尼62人を献じる。
死去
- 元年
- 9月9日 - 天武天皇
- 10月3日 - 大津皇子、山辺皇女
西暦との対照表
朱雀
「万葉集」、「日本霊異記」などには、朱鳥4年、6年、7年、8年などが見える。天武天皇の代の文献には、朱鳥と朱雀の2つの年号が見える。
「古事類苑」は、
按ずるに、
続日本紀に、
白鳳以来朱雀以前とあれば、朱雀は白鳳より後なること著し、蓋し諸書に朱雀の改元をば、或は天武天皇の壬申とし、或は癸酉とし、或は甲申として区々なれど、其天武天皇の朝の改元なること皆同じ、熱田縁起に天渟中原瀛真人天皇朱雀元年丙戌とあるに拠れば、朱雀は朱鳥の一名にして、天武天皇の十五年丙戌の改元なるべし、そは改元の種子となりし朱鳥は即ち赤雀なりしかば、当時朱鳥とも朱雀とも通はして云ひしならん、然るに上に挙げたる書どもには、朱鳥の号を赤雉に由れりとし、朱雀を赤雀、又は三足の赤雀に由れりとして分ちたり、されど赤雉を瑞祥とせしこと、国史及び
延喜治部式の祥瑞の下に見えず、頗る疑ふべし、されば朱雀即ち朱鳥にて、再び改元ありしにはあらざるべし、また按ずるに、日本書紀に拠れば、朱鳥は一年にて終りたれど、万葉集には朱鳥四年庚寅、六年壬辰、七年癸巳、八年甲子あり、蓋し庚寅は己丑の誤、壬辰は辛卯の誤、癸巳は壬辰の誤り、甲子は癸巳の誤にして、霊異記に朱鳥七年壬辰とあるを正しとすべし
という。
出典
- 『日本書紀』巻29 天武天皇下
- 改元曰朱鳥元年。〈朱鳥。此云阿訶美苔利。〉仍名宮曰飛鳥淨御原宮。
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