暦仁(りゃくにん、旧字体:曆仁)は、日本の元号の一つ。嘉禎の後、延応の前。ユリウス暦で1238年から1239年の期間を指す。この時代の天皇は四条天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。
日本の元号の中では最も使用日数が短く、約2か月半しか使用されなかったが、年を跨いでいるので2年まである。
元年のみの元号は朱鳥(約6か月、686年~687年)と天平感宝(約3か月、749年)。
改元
撰進者は藤原経範であるが、『百錬抄』によれば、世間では「暦仁=略人」すなわち、この世から人々が略される(=死んで消えてしまう)とする風評が発生したために再び改元を実施したとある(ただし、詔書では「変災」を理由としている)[1]。
出典
「隋書」(音楽志下)の「皇明馭レ暦、仁深二海県一」より。
暦仁期におきた出来事
- 元年
西暦との対照表
※は小の月を示す。
暦仁元年(戊戌) |
一月※ |
二月 |
閏二月※ |
三月 |
四月※ |
五月※ |
六月 |
七月※ |
八月 |
九月※ |
十月 |
十一月 |
十二月
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ユリウス暦 |
1238/1/18 |
2/16 |
3/18 |
4/16 |
5/16 |
6/14 |
7/13 |
8/12 |
9/10 |
10/10 |
11/8 |
12/8 |
1239/1/7
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暦仁二年(己亥) |
一月※ |
二月 |
三月※ |
四月 |
五月※ |
六月※ |
七月 |
八月※ |
九月 |
十月※ |
十一月 |
十二月 |
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ユリウス暦 |
1239/2/6 |
3/7 |
4/6 |
5/5 |
6/4 |
7/3 |
8/1 |
8/31 |
9/29 |
10/29 |
11/27 |
12/27 |
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脚注
- ^ 北爪真佐夫「元号と武家」『札幌学院大学人文学会紀要』第68巻、札幌学院大学人文学会、2000年9月、1-32頁、CRID 1050859370519001728、hdl:10742/00003574、ISSN 0916-3166。
《所収》北爪真佐夫『文士と御家人 : 中世国家と幕府の吏僚』青史出版、2002年。ISBN 978-4-921145-13-2。国立国会図書館書誌ID:000003067831。
関連項目