屋良 朝博(やら ともひろ、1962年(昭和37年)8月22日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。立憲民主党所属の衆議院議員(3期)。立憲民主党沖縄県連前代表。沖縄タイムスの中部支社編集部長、編集委員、論説委員、社会部長を歴任。
沖縄県中頭郡北谷町出身。米軍基地の近くに生まれる。沖縄県立北谷高等学校、フィリピン大学経済学部卒業。フィリピン留学中の1986年、ピープルパワー革命に遭遇し、ジャーナリストを志した。尊敬する人は瀬長亀次郎[3]。
沖縄タイムス社記者。編集委員、論説委員、社会部長を歴任。2007年からハワイ東西センター客員研究員。2012年フリージャーナリスト[4]。
2018年(平成30年)9月、衆議院沖縄県第3区選出の玉城デニー議員が、翁長雄志前知事の死去に伴う沖縄県知事選挙に立候補し、自動退職(失職)となった(後に当選)。これに伴い、第19回統一地方選挙後半戦(2019年(平成31年)4月21日執行)に衆議院沖縄県第3区補欠選挙が行われることとなり、屋良は2018年(平成30年)12月28日に立候補を表明。その後、屋良は過去に玉城も所属していた自由党に入党した[5]。
2019年(平成31年)4月21日に行われた選挙では辺野古移転反対を明確に明らかにし、オール沖縄や玉城の支持を受け無所属で立候補し、自民党公認の元参議院議員の島尻安伊子を破り、初当選した[4]。なお、この選挙で法定ビラなどに、経歴の一部に「ハワイ大学東西センター客員教授」と記載されているが、実態は「客員研究員」だったと訂正した。弁護士によると自由党の職員が印刷業者と経歴の記載についてやりとりする中で誤記が生じたという[6]。
当選後、4月24日付で院内会派「国民民主党・無所属クラブ」に入会[7]。なお、自由党が国民民主党との合流を模索している事に対する合流後の対応について、屋良は明言を避けていた[8] が、同月26日に自由党が国民民主党に合流したことに伴い、国民民主党の所属議員となった。
2020年8月19日、旧立憲民主党と旧国民民主党が合流する新党への参加を表明[9]。同年11月23日、立憲民主党沖縄県連が発足し、代表に就任した[10]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙は、自民党公認の島尻との一騎打ちになった。立憲民主党は比例九州ブロックで4議席を獲得。5番目の惜敗率(91.775%)だった屋良は比例復活もかなわず、議席を失った[11][12]。同年12月18日、党沖縄県連代表を退任(後任は喜友名智子県議)[13]。
2023年10月10日、この日告示された衆議院長崎4区補欠選挙に、比例九州ブロック選出の末次精一が立候補を届け出たため、公職選挙法の規定により末次は衆議院議員を退職(自動失職)となった[14]。これに伴い、同月18日に行われた欠員補充の選挙会により比例九州ブロック次点の屋良の繰り上げ当選が決定した[15]。任期は翌19日からとなる[16][17]。
2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙では、小選挙区では再び島尻に敗れたものの惜敗率97.58%で比例復活した[18][19]。
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