小原沢重頼

小原沢 重頼
浦和実業学園高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県三郷市
生年月日 (1969-08-09) 1969年8月9日(55歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト2位
初出場 1992年4月8日
最終出場 1997年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

小原沢 重頼(こはらざわ しげより、1969年8月9日 - )は、埼玉県三郷市[1]出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

小学2年の時に野球を始め、中学3年の時に投手となる[1]

浦和実業高から、首都大学野球連盟に加盟する城西大学に進学。1年春から登板し、2年の時にリリーフから先発に転向する[1]。大学時代は、伸びのある速球と縦に大きく割れるカーブを武器に1部通算43登板20勝8敗[1]、通算防御率1.80の成績を残した。3年次の秋には5勝1敗、防御率0.68の成績をマークし最優秀投手賞とベストナインを獲得している[1]。4年夏には全日本メンバーにも選ばれた[1]

1991年のプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから2位指名を受け入団[1]

1992年4月8日阪神タイガース戦(東京ドーム)でプロ初登板し、4月21日ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)でプロ初勝利を挙げる。しかし、その後は故障や不振(特に与四球率6.90という制球難)による低迷や選手層の厚さで一軍登板が遠のき、1995年から背番号も15から62に変更される。同年は3年ぶりに一軍に昇格し17試合登板し8月31日中日ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場)では3年ぶりの先発も務めた。

1996年は中継ぎで22試合に登板し、自己最高の2勝(4敗)を挙げたが四球の多さは改善できず。1998年から榎康弘との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍[1]。巨人では投手層の厚さに泣き、ロッテでは先発投手として期待されたが[2]、オープン戦で肩を痛め一軍未登板で同年オフに現役を引退[1]

引退後の1999年から2003年まで妻の実家が経営する株式会社夢やに勤めた[1]。小売店のフランチャイズ事業を運営、堅実な会社員生活を送っていることが報じられた。

2004年から2006年は大学時代の同僚が監督を務める明星大学野球部で投手コーチを務めた。2007年には社会人野球ジャパンエクスプレス監督に就任するも、経営陣が刷新され活動がないまま廃部となる。再び明星大学野球部コーチを務め、2010年からは城西大学野球部の監督に就任[3]2019年秋季より監督を退き、スカウティング等を担当することになった。

2020年4月より、母校の浦和実業学園高校野球部の投手コーチに就任。2022年秋より、同校野球部監督に就任[4]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1992 巨人 6 4 0 0 0 1 2 0 -- .333 117 25.0 28 5 14 1 1 16 4 0 19 18 6.48 1.68
1995 17 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 106 22.0 24 4 20 2 1 13 1 0 16 16 6.55 2.00
1996 22 0 0 0 0 2 4 0 -- .333 127 28.0 22 6 21 2 2 25 3 1 21 20 6.43 1.54
1997 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 2.0 1 0 4 0 0 1 0 0 2 2 9.00 2.50
通算:4年 47 5 0 0 0 3 7 0 -- .300 361 77.0 75 15 59 5 4 55 8 1 58 56 6.55 1.74

記録

背番号

  • 15(1992年 - 1994年)
  • 62(1995年 - 1997年)
  • 30(1998年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、228ページ
  2. ^ 1998年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑
  3. ^ http://josaibaseball.cher-ish.net/?page_id=24
  4. ^ 浦和実が県大会進出決定 監督は元巨人の小原沢重頼氏/春季埼玉大会予選”. サンケイスポーツ (2023年4月14日). 2023年7月9日閲覧。

関連項目

外部リンク

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