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太田 敦士(おおた あつし、1978年3月20日 - )は、宮城県仙台市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
小学3年の時にボーイズリーグに入り、5年生の時に全国大会で準優勝する[1]。仙台高校では2年夏に県大会ベスト4、3年夏もやはり準決勝で優勝した仙台育英高に敗れる。2年夏のベスト4進出の際、他チームのエースが仙台育英・金村秀雄、東北高・嶋重宣、仙台工・櫻井幸博と高卒プロ入りする面々であったことから注目されると1995年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団[1]。同校初のプロ野球選手となった。カーブやスライダーを武器とした。
1999年に初の一軍登板を果たすも、2000年に現役引退[1]。その後はいくつかの仕事を経て、整体を習得するためにカラダファクトリーへ入り、店長やエリアマネージャーを歴任して株式会社ファクトリージャパングループ専務取締役となる[2]。