天野 勇剛(金 勇剛)基本情報 |
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国籍 |
韓国 |
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出身地 |
日本 宮城県仙台市宮城野区 |
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生年月日 |
(1977-12-11) 1977年12月11日(47歳) |
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身長 体重 |
188 cm 82 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
三塁手 |
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プロ入り |
1995年 ドラフト7位 |
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初出場 |
1999年9月29日 |
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最終出場 |
2004年4月14日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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天野 勇剛(あまの ゆうごう、1977年12月11日 - )は、宮城県仙台市[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。
在日韓国人で、千葉ロッテマリーンズ時代の登録名は2002年から2005年まではユウゴー、韓国では本名の金 勇剛(キム・ヨンガン、김용강)。
経歴
小学4年で野球を始め、中学2年の時に内野手へ転向[1]。1994年夏・1995年春・夏の甲子園に出場。2年次は内野手(主に遊撃手)で3年では投手でプレーしていた[1]。
1996年に千葉ロッテマリーンズに入団。当初は投手としての入団だったが、1年も持たずに内野手に転向する[1]。俊足かつパワーヒッターの選手として期待されていたが、一軍では満足な成績が残せなかった。さらに入団以来毎年のようにコンバートが行われており、結局9つのポジションすべてを経験したという珍しい選手の一人である。一軍でも通算25試合出場ながらも三塁、一塁、遊撃、外野を務めている。二軍では2年目から4番を任され、通算50本以上のホームランを記録している。1999年9月には月間MVPを受賞。
2004年12月、寺本四郎の同級生と結婚、翌年第1子が誕生した。
2005年に球団から戦力外通告を受けた。
2006年に韓国野球委員会(KBO)のロッテ・ジャイアンツに入団するが、一軍出場がないまま退団し、日本に戻る。
2007年総合格闘技「MARS」代表就任。同興業のエグゼクティブ・プロデューサーの天野勇気は実兄であり、また勇剛本人もリングアナウンサーを務めた。
その後はYGプロモーション(芸能プロダクション)プロデューサーとして活動していた。
スポーツオーソリティビーンズ赤羽店に勤務していたが、2018年12月1日、東京都新宿区歌舞伎町にカラオケ&ダーツバーを開業した[2]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1999
|
ロッテ
|
10 |
28 |
28 |
1 |
3 |
2 |
0 |
1 |
8 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
8 |
3 |
.107 |
.107 |
.286 |
.393
|
2000
|
2 |
4 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
2001
|
4 |
8 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
2002
|
7 |
4 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
2004
|
2 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
通算:5年
|
25 |
46 |
46 |
1 |
3 |
2 |
0 |
1 |
8 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
16 |
4 |
.065 |
.065 |
.174 |
.239
|
記録
背番号
- 66(1996年 - 2005年)
- 31(2006年)
登録名
- 天野 勇剛(あまの ゆうごう 、1996年 - 2001年)
- ユウゴー(2002年 - 2005年)
- 金 勇剛(キム・ヨンガン、2006年)
脚注
関連項目
外部リンク