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大張 正己(おおばり まさみ、1966年1月24日 - )は、日本の男性アニメ監督、アニメーター、メカニックデザイナー[1]。神奈川県生まれ、広島県育ち[1]。スタジオG-1NEO代表取締役[2]。新日本プロレスリングの元代表取締役社長の大張髙己は実弟[3]。
経歴
広島県立宮島工業高等学校時代、友人のうるし原智志がアニメーターを目指していたことがきっかけでそういう仕事があることを知り、自身も興味を持ってアニメの世界を目指すことになった[4][注 1]。絵を描いたりアニメを見たりするようになったのもその頃からで、『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『うる星やつら』といった当時のヒット作すら見たことがなく、周囲の熱狂ぶりについていけなかったという[4]。高校卒業後、葦プロダクションに入社。
1985年放映の『超獣機神ダンクーガ』(当時19歳)にてメカニックデザインおよびメカ作画監督を担当、その独特の作画スタイルで一躍注目を浴びる[1][5]。
その後、葦プロダクションを退社してフリーとして活動を始め、南町奉行所の立ち上げに参加する[1]
1986年、葦プロの担当回をきっかけに原画やメカ作監として参加した『忍者戦士飛影』[注 2]の仕事で自分の作画意図と音楽の演出のズレに不満を感じ、演出や監督もやりたいと思うようになる[1]。
1987年、『機甲戦記ドラグナー』の前期オープニングアニメーションを一人で[注 3]担当[5]。人間の筋肉や骨をロボットと合体させてポージングも含めてカメラを計算して見せるという自分なりのアプローチやスタイルを実行[5]。主役メカのドラグナー3機や敵メカたちを「オーバリズム」と呼ばれる独特のディフォルメを加えて描いたが当時は受け入れられず、特にデフォルメの度合が著しかったドラグナー1の頭部が「製品とあまりに違う」という理由からスポンサーのバンダイの指示により、第14話以降は設定画にほぼ忠実な作画に修正された[注 4]。しかし、その後も大張は以後も数々の作品のオープニングアニメーションに起用され、同様のデフォルメを加え続けている。
1988年、OVA『バブルガムクライシス』PART5を22歳[注 5]で監督(クレジット表記は「演出」)し、初監督の最年少記録を更新した[4][注 6]。
対戦格闘ゲームの一大ブームが巻き起こった1990年代、92年にSNKの『餓狼伝説』を原作とするテレビスペシャル「バトルファイターズ 餓狼伝説」の監督を務め、93年に続編『バトルファイターズ 餓狼伝説2』、94年に劇場版『餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-』を手がけた[7]。
2013年8月1日には画集『ロボ魂-ROBOT SOUL-』 (ISBN 978-4-7973-7003-4) がSBクリエイティブより発売された[8]。
2016年11月14日、自身のTwitterにて27歳年下のモデラーの戸ヶ崎葎と沖縄で結婚(再婚)したことを報告した[9][10]。
2022年発売の対戦格闘ゲーム『THE KING OF FIGHTERS XV』にて、ゲーム内に収録されるスペシャルムービーを手掛けた[2]。
人物
アニメーターや監督としてだけでなく、ロボットのキャラクターデザインも手掛けるなど、幅広く活躍[2]。
ロボットのデザインにおいては顔を重視[注 7]、目や鼻の形にもこだわっており、人間の顔のように表情も変わることがある[11]。またロボットでありながらボディは筋肉の流れを意識して描いている[5]。それら人間のような頭部、人体の筋肉のような印象を与えるボディデザインや人間のような決めポーズなど、特徴ある独特な絵柄を持ったロボットは、俗に「バリメカ」と称されている[12][13]。
変形のギミックについては、脳内で3Dモデルを回転させて考えている[14]。そのことについては、学生時代にインテリアデザインや建築の勉強をしていた経験が生きているという[14][注 8]。しかし、これからアニメーターを目指す人は建築よりもカメラ(パースやレンズなど)や習字(筆使い)を学んだ方が良いと語っている[14]。
田村英樹の影響を受けた「中無し」[注 9]を多用する作画スタイルは、「勇者シリーズ」の合体バンクや、後に自身のフォロワーが参加した『機動戦士ガンダムSEED』などにも影響を見せた。自身が「勇者パース」と呼ぶこの技法は、周囲の優秀な先輩アニメーター[注 10]のいる中で自分なりの「技」として編み出したものと語っている一方、この技法から20年間変化がない部分については、「21、2歳の頃に掴んだ方法論が未だに使えてしまうのは、驚くよりも、つまらないことですね」と語って[15]、描き手として長年問題視しているとも述べている[16]。
「スーパーロボット大戦シリーズ」に協力的なクリエイターの1人でもある。自身が関わった作品のロボットのカットイン原画をゲーム用に描き下ろしたり、ゲームオリジナルロボットのデザインを担当しているほか、2010年にはテレビアニメ『スーパーロボット大戦OG -ジ・インスペクター-』の監督を務めるまでになっている[注 11]。また、「スパロボ公式ブログ」における寺田貴信の記事内では、自身が関わった作品の1つ『超重神グラヴィオン』にちなんで「超重神」と呼ばれている[17]。
自身が最も愛するロボットアニメ作品は『無敵鋼人ダイターン3』で、所持している同作のDVD-BOXの上下巻には主役を演じた鈴置洋孝のサインがそれぞれ金と銀のペンで書かれている。大張がアニメ業界に入って唯一サインを求めたのは、この一例のみであるという[18]。
石田敦子は元妻。
中村謙一郎は直弟子。
発言
格闘技についての発言
アントニオ猪木を「心の師匠」「(自分は)猪木と同じAB型」と語るほどの格闘技好きであるが、中でも主に新日本プロレスで活躍した武藤敬司の大ファンであり、「動画のタイミングは武藤敬司から学んだ」「(アーケードゲーム『闘魂列伝3』で)日本で1番、武藤を使って戦える」と明言している[19]。
アニメーターとしての発言
自身はアニメーターとして未熟であると発言している。理由として「他人が作り上げたキャラクターやメカニックに似せて描くことが、どうしても出来ない」と語り、ワガママに捉えられても仕方がないとして、同様の理由で原画の仕事も「本当にできない」と明言している。その上で「個性を殺してまで、絵を描きたくない」「世の中には、優秀なアニメーターがいっぱいいらっしゃるし、自分くらいは変なことをした方が良いのかもしれない」とコメントしている[15]。
コンピュータグラフィックスについての発言
アニメーション制作に於けるCGの扱いについて、「本当なら、何でも手で描けばいい。爆発でも、エフェクトでも。手で描けないものなんて、凡そ無いんじゃないかな」と指摘した上で、「使いこなせてCGっぽく見せない所が恰好良いと思う」として、一見するとCGには見えない使い方がベストであると述べている[20]。その後アニメ制作を取り巻く環境の変化もあり、2020年代ではCGにはある程度肯定的な考えに変わってきている。自身が監督を手掛けた『勇気爆発バーンブレイバーン』では制作当初からCGによるメカ描写を取り入れており、CGスタッフの優秀さに「手描きでは絶対に描けない」とも評している[21]。
オープニングアニメーションについての発言
自身が注目を集めることになったオープニングアニメーションについては、「本編は本編として、(オープニングは)兎に角ワクワクする始まりであって欲しい」「きっと面白いことが始まるに違いないと、見る側に期待させなきゃいけない部分じゃないですか」と語り、それを踏まえた上で制作すれば良いとして、そうやって他者から評価された部分が、『機甲戦記ドラグナー』から始まったオープニングの仕事であると述べて、「デザイナーが作ったデザインをアレンジしたつもりはない。美しいと感じるプロポーションに作品のパーツを嵌め込む作業をしただけ」「メカもキャラも区別はない。人間なら身体が、メカならパーツが、美しいと考えるプロポーションに嵌って出来上がる感じで、今でも変わっていない。これからも、そうやって描いていくことになる」とコメントしている[22]。
勇者シリーズについての発言
『勇者エクスカイザー』から『勇者警察ジェイデッカー』までの勇者シリーズに関わり、オープニングアニメーションやメカ作監などを担当したが、同時期に『DETONATORオーガン』や『バブルガムクライシス』などのOVAで監督を経験しており、「他の監督の絵を動かすのは食い足りないなと気づいてしまった」「OVAという限られた視聴者でなく、広い層を対象にしたTVだから、と自分を納得させながら仕事をしました」と当時の心境を明かし、この食い足らなさが高じて、勇者シリーズを完走することなく離脱してしまったことについて、「あの時は、自分でもどうしようもなかったんですよね」との感想を述べている[19]。
その他の発言
- 自身の絵柄については「メカもキャラもギラついてる」とし、「表情やプロポーションを含めた全てにオリジナリティを出したい」と語っている[15]。
- 職業監督に為りたくないと発言しており、「今じゃなきゃ作れないものがあるはず。原作がそこそこ売れてます、無難に動かして暮れれば結構、という仕事はやりたくない」と明言している[15]。
- リメイク作品に否定的で、24、5歳頃から依頼はあったものの、「食い足りなさ、空しさを感じて手を出さなかった」「先達が作ったものを今の技術で作り直せば、絵面は凄いものが作れるかもしれない。だけど魂までは作り直せないんですよ。その怖さを感じてしまう」とコメントしている[15]。
- 自身が監督をする際の声優起用について、「人気のある役者をキャスティングしてるつもりはない」として、「(収録)スタジオへタイムカードを押しに来るような人はゴメンですね」と語って、作品と運命と共にする気概があり、尚且つ「こっちが惚れ込むような役者でないと」と、その拘りを述べている[20]。
- 人生設計について、「体が壊れるのが先か、運に見限られるのが先か、という自らのリミットを感じたのは28歳くらい」と語って、以降はいつでも全力で仕事に臨みたいという意気込みを述べている[20]。
- ゲームは映像作品ではないと断言しており、その理由として、「映像は、劇場という不特定多数と感動を共有できる作品なんです」と語っている[20]。
参加作品
テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
※上記のほか、1995年には『精霊使い』で監督を務めると発表されていたが、降板している[37]。
アダルトOVA
Webアニメ
ゲーム・遊技機
その他イラスト、デザイン、など
書籍
出演
関係者
脚注
注釈
- ^ それまでは大学に行って警察官にでもなろうと考えていた。
- ^ 当時、机はAICに置きながら、葦プロの仕事にも引き続き参加していた。
- ^ 当時はオープニングを大勢ではなく一人で描くことが一般的だった。
- ^ ドラグナーたちはやがてファンの一部から「バリグナー」と呼ばれるようになる[6]。このデフォルメ版ドラグナー1は、バンダイが刊行していた模型情報誌「B-CLUB」よりガレージキットとして改造キットが発売され、2007年にはバンダイの超合金「魂SPEC」で玩具化された。
- ^ 制作当時の1987年時点では21歳。
- ^ しかし、本人は周囲に越智一裕や北久保弘之や合田浩章といったすごいアニメーターがたくさんいたので焦りの方が大きかったと語っている。
- ^ 「ロボットは顔」とも語っている。
- ^ 二級建築士の資格を持つ。
- ^ 中割り動画をほとんど使わずにタイミングの良い原画だけで動かす手法。
- ^ 大張が挙げた名前は金田伊功、庵野秀明、山下将仁、板野一郎。
- ^ 一部のメカニックデザインや、メカニック作画監督も担当している。
- ^ 第6話は「大張正美」、第38話は「藤三桂」名義。
- ^ 「おーばりまさみ」「藤三桂」名義。
- ^ 「大張ちゃい丸」名義。
- ^ a b c 「おーばりまさみ」名義。
- ^ a b 「愚麗闘破裏」名義。
出典
外部リンク
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テレビアニメ | |
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劇場アニメ | |
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OVA |
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Webアニメ | |
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1:PART5・6に監督として参加(PART5では「演出」と表記) / 2:第2巻まで監督として参加 |