大室 秀樹(おおむろ ひでき、1990年7月25日 - )は、埼玉県出身の陸上競技選手。専門はハードル。110mハードルで13秒48、200mハードルで22秒80(元アジア最高記録)の自己ベストを持つ。2017年ロンドン世界選手権男子110mハードルの日本代表。
吉見町立吉見中学校、埼玉県立松山高等学校、筑波大学卒業。筑波大学大学院修了。大塚製薬所属。
小学生の時にモーリス・グリーンの影響で陸上競技を始め、中学生になってから110mハードルを始めた[2]。中学時代は3年生の時に2005年ジュニアオリンピック110mハードルで表彰台(3位)に上った。
地元埼玉県で開催された2008年インターハイ110mハードルを高校歴代4位(当時)の14秒05(+0.4)で制すると、10月の日本ジュニア選手権110mハードルも高校歴代3位(当時)の14秒01で制して高校2冠を達成した。
4月に筑波大学へ進学。9月の日本インカレ110mハードル予選で13秒91(+1.5)をマークし、中村兼希が持つ13秒88のジュニア日本記録(当時)に迫ると、準決勝では追い風参考記録ながらジュニア日本記録を上回る13秒73(+3.1)をマークした。
9月の日本インカレ110mハードルを13秒76(+0.7)の自己ベスト(当時)で制して初の大学タイトルを獲得した。
6月23日の日本学生個人選手権110mハードルにおいて、それまでの自己ベスト13秒75を大幅に塗り替える日本歴代3位(当時)・学生歴代2位の13秒54(+2.0)をマークした。これは2012年ロンドンオリンピックのB標準(13秒60)を突破する記録で、110mハードルの標準を突破した唯一の選手となったが、約2週間前に行われたロンドンオリンピック選考会の日本選手権にエントリーミスで出場できなかったため[注 1]、日本代表に選出されることはなかった。
7月のユニバーシアード110mハードルに出場し、初めて世界大会を経験した[4]。予選では各組2着に入るか、予選全体のタイム上位2名(予選突破者を除く)に入れば決勝に進出できたが、結果は13秒97(+2.2)の組5着で予選敗退に終わった。
4月に大塚製薬へ入社。11月3日の西日本陸上競技カーニバル110mハードル決勝で自己ベストタイ(当時)の13秒54(+0.2)をマーク。
5月22日の関西実業団選手権110mハードル予選で13秒61(-0.5)、決勝で自己ベストタイ(当時)の13秒54(+0.3)をマーク。予選と決勝で大会記録を樹立して優勝し、大会の男子MVPに選出された[5]。しかし、この大会でアキレス腱を痛めてしまい、治療に2週間を費やした[6]。6月18日の日本体育大学陸上競技会110mハードル2次レースにおいて、リオデジャネイロオリンピックの参加標準記録(13秒47)と同タイムの13秒47(+3.2)をマークしたが、惜しくも追い風参考記録となった[7]。 7月23日のオールスターナイト陸上(実業団・学生対抗陸上)110mハードルで13秒52(+0.5)の自己ベスト(当時)をマーク。それまでの自己ベストを0秒02更新し、大会記録を樹立して優勝した[8]。10月16日の日本記録挑戦会200mハードルで22秒80(-2.2)をマークし、2010年に秋本真吾が樹立したアジア最高記録に並んだ[9]。
4月15日の筑波大競技会110mハードル一次レースで13秒48(+1.7)の自己ベストをマークすると、二次レースでも13秒48(+1.5)の自己ベストタイをマーク、2レース連続でロンドン世界選手権の参加標準記録(13秒48)を突破[2]。4月29日の織田記念国際110mハードルは13秒52(+1.5)で優勝、5月21日のゴールデングランプリ川崎110mハードルは13秒59(-1.8)で3位(日本人トップ)とロンドン世界選手権日本代表選考会で好成績を収め、初の世界選手権日本代表入りに前進した。6月24日の日本選手権110mハードルでは準決勝直前のウォーミングアップで左脚ハムストリングスを痛め、13秒75(+0.6)の組7着で決勝進出を逃したが、織田記念国際優勝などのアドバンテージによりロンドン世界選手権日本代表に選出された[10][11]。
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