佐藤 拳太郎(さとう けんたろう、1994年11月16日 - )は、埼玉県出身の陸上競技選手。専門は400mで、自己ベストは日本記録の44秒77。男子4×400mリレーのリオデジャネイロオリンピック日本代表、東京オリンピック日本代表。
所沢市立狭山ヶ丘中学校、埼玉県立豊岡高等学校、城西大学(経営学部)卒業。富士通在籍。
中学時代は野球部に所属し、陸上は高校から始める[1]。当初は天文部に所属していたが、リレー要員の数合わせでいいからと陸上部に誘われ、初めてトラックに足を踏み入れることになった[2]。 高校3年時の4月末には肺気胸のため1週間ほど入院し、インターハイ県大会の出場が危ぶまれた。しかし、無事に出場したインターハイ県大会の200mで優勝、400mで2位に入ってインターハイ北関東大会初出場を決めると、北関東大会でも200mで優勝、400mで2位に入ってインターハイ初出場を決めた[1]。インターハイは両種目で準決勝まで進出した。
2013年、城西大学に進学。1年時は主要大会の個人種目で入賞することはできかったが、アンカーを務めた4×400mリレーでは日本インカレで7位、日本選手権リレーで4位という成績を残した。
2014年、5月に関東インカレの400mで5位入賞を果たすと、6月には日本学生個人選手権の400mで2位に入り、全国大会で初の表彰台に上った。シーズン前半は好調だったが、9月に左脚ハムストリングスの肉離れを起こしたため[3]、後半の日本インカレや国民体育大会などを欠場することになった。
4月、出雲陸上の300mで3位に入ると、世界リレーの日本代表選考会となった織田記念国際の400mでは46秒21の自己ベスト(当時)で優勝し、主要大会を初めて制した。
5月、世界リレーの4×400mで初めて日本代表を経験。予選で日本チーム(小林直己、佐藤、ウォルシュ・ジュリアン、北川貴理)の2走を務め、チーム最速のスプリットタイム(47秒71)を記録する活躍を見せたが、結果は組6着で決勝には進出できなかった[4]。関東インカレでは400mを制して初のインカレタイトルを獲得すると、3走を務めた4×400mリレーでは城西大学初の決勝進出と優勝に貢献した[5]。
6月、アジア選手権の400mで国際大会の個人種目に初出場を果たすと、決勝では46秒09の自己ベスト(当時)を記録し、アブドーラ・ハルーン(44秒68)、ユセフ・マスラヒ(45秒14)に次ぐ3位に入り銅メダルを獲得した。4×400mリレーにも出場予定だったが、直前のアップ中に腹痛に襲われ、急遽メンバーから外れた[6]。初出場となった日本選手権の400mでは、予選で自身初の45秒台となる45秒58をマークし、山崎謙吾が持つ46秒00の埼玉県記録を塗り替えた。決勝ではこの種目10連覇中の金丸祐三からリードを奪い、ゴール30m手前あたりで金丸に負けを意識させたが、惜しくもゴール直前にかわされて0秒02差の2位に終わった[7]。
7月、ユニバーシアードの400mと4×400mリレーに出場。400mは準決勝敗退に終わったが、4×400mリレーでは日本チーム(ウォルシュ・ジュリアン、加藤修也、北川貴理、佐藤)のアンカーを務めて銀メダルを獲得した(当初は4位だったが、上位2カ国が失格になり2位に繰り上がった)[8]。
8月、北京世界選手権の4×400mリレー日本代表に選出されたが、大会では出番なしに終わった。
6月、日本選手権の400mは46秒30の5位で表彰台は逃したが、大会後にリオデジャネイロオリンピックの4×400mリレー日本代表候補に選出(日本が出場権を獲得すれば日本代表となる)。日本は最終的に出場権を獲得したため、晴れて日本代表となった[9]。
8月、リオデジャネイロオリンピックの4×400mリレーは補欠として出番なしに終わった。
4月、富士通に入社し、同社陸上競技部に入部[10]。
6月24日、日本選手権400m決勝では最後の直線でトップに躍り出たが、予選を全体1位(45秒48)で突破した北川貴理にかわされ、45秒95の2位(1位と0秒19差)で初優勝を逃した[11]。
8月6日、東京オリンピック4×400mリレーに伊東利来也、川端魁人、鈴木碧斗とともに出場し、日本記録に並ぶ3分0秒76のタイムを出したが、予選2組5着となり決勝には進出できなかった[12]。
7月13日、アジア選手権男子400mで優勝し金メダルを獲得。
8月20日、ブダペスト世界選手権の男子400m予選で高野進(当時東海大学教員)が1991年の日本選手権決勝にてマークした44秒78[注 1]を32年ぶりに更新する44秒77の日本新記録を樹立した[13]。
8月4日、2024年パリオリンピックの陸上競技男子400メートルの予選1組に出場したが、45秒60で5着となり、上位3着に入れず敗者復活ラウンドに回った[14]。しかし、男子1600メートルリレーに専念するため、男子400メートル予選で上位3着に入れなかった中島佑気ジョセフ、佐藤風雅の両選手とともに敗者復活ラウンドのレースは欠場することになった[15]。そして同月11日に行われた男子1600メートルリレーの決勝で2分58秒33のアジア新記録で6位入賞の快挙。[16]
記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
備考欄の記録は当時のもの
4x400mRは日本選手権リレーの成績
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