堀 博俊(ほり ひろとし、1926年2月5日[1] - 没年不詳)は、福岡県出身のラグビー選手。主なポジションはスタンドオフ(SO)[2]。
来歴
1943年福岡県中学修猷館を卒業[3]。早稲田大学政治経済学部へ進学し、ラグビー部に入部。1948年に主将を務め、早稲田大学の戦後初の全国制覇をもたらしている[1][4]。
1949年早稲田大学を卒業後、三井化学に入社し、ラグビー部に入部。1950年1月6日、1949年度全国社会人ラグビーフットボール大会の決勝に出場し、優勝をもたらしている[5]。
1955年ゲームメーカーとしてラグビー日本代表に選出され[1]、1956年3月4日、平和台ラグビー場で開催された、豪州学生選抜第2回来日第3戦において主将を務めた[6]。
脚注
- ^ a b c 日本ラグビーフットボール協会デジタルミュージアム キャッププレーヤー選手プロフィール
- ^ 早稲田大学ラグビー蹴球部 堀博俊プロフィール
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員52頁
- ^ 早稲田大学ラグビー蹴球部 昭和23年(1948)資料
- ^ 日本ラグビーフットボール協会デジタルミュージアム 昭和24年(1949)度第2回社会人大会決勝
- ^ 日本ラグビーフットボール協会デジタルミュージアム テストNo.12 豪州学生選抜第2回来日第3戦
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1930年代 (19名) | |
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1950年代 (27名) | |
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1960年代 (11名) | |
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1970年代 (25名) | |
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1980年代 (28名) | |
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1990年代 (30名) | |
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2000年代 (56名) | |
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2010年代 (45名) | |
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2020年代 (20名) | |
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