冨岡 鉄平生年月日 |
(1977-03-01) 1977年3月1日(47歳) |
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出身地 |
福岡県 |
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大学 |
福岡工業大学 |
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愛称 |
鉄平 |
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ラグビーユニオンでの経歴 |
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ポジション |
センター |
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アマチュア経歴 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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中村学園三陽高校 福岡工業大学 |
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() |
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シニア経歴 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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2000-2011 |
東芝 |
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() |
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代表 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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2005 |
日本 |
2 |
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更新日: 2015年8月 | コーチ歴 |
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年 |
チーム |
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2011-12 2013-16 |
中国電力 東芝 |
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冨岡 鉄平(とみおか てっぺい、1977年3月1日 - )は、日本の元ラグビー選手。
プロフィール
経歴
中村学園三陽高校から福岡工業大学を経て、2000年に東芝入社。
2002年、新たに就任した薫田真広監督より主将に指名される。絶大なリーダーシップを発揮し、主将2期目に発足したトップリーグでの三連覇、日本選手権連覇などタイトル獲得へチームを導く。
2005年,6月12日リポビタンDチャレンジ2005、対アイルランド代表戦にてリザーブから出場し日本代表初キャップを獲得した。
2006-07シーズンではチームを完全優勝(リーグ戦1位、プレーオフトーナメント優勝)に導きトップリーグMVPに選ばれる。
薫田監督勇退とともに主将から退いた後も主力メンバーとして2008年度から09年度のトップリーグでの2度目の連覇に貢献。2011年3月31日引退が発表される。
引退後は中国電力ラグビー部の監督(2011-12年度)、東芝のバックスコーチを経て2014年に東芝のヘッドコーチに就任する。[1]2015年に役職が東芝の監督に変更になった。[2]指揮官初年度は3位、2期目の2015年度は当時リーグ連覇中だったパナソニックを順位決定トーナメント決勝戦ノーサイド直前あと一歩まで追い詰めるも惜敗し、準優勝に終わる。翌2016年度はチームとしてトップリーグで初めて4強入りを逃し、9位に沈んだ。指導者としては現役時代主将としてチームを率いた時ほどの成績は残せず、2016年度限りで監督を退任した。
関連項目
脚注
外部リンク
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1930年代 (19名) | |
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1950年代 (27名) | |
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1960年代 (11名) | |
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1970年代 (25名) | |
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1980年代 (28名) | |
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1990年代 (30名) | |
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2000年代 (56名) | |
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2010年代 (45名) | |
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2020年代 (20名) | |
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